第5話 放浪の王子
無責任な観衆は拍手と歓声を上げ、落札した男とお立ち台の間に花道が出来上がった。意図せず通り易いようにと観衆が開けたのだが、その道を男は困惑しながら歩くハメになった。
男は少しばかり癖のある眺めの金髪を揺らし、それを少しばかり搔きむしりながら進み出てきた。困惑した表情は中々に端正であり、憂いた表情もまたどこか涼しげであった。
来ている服も地味ながら良い生地を使っており、結構な分限者であることが分かる人には分かった。
そして、男が競り落とした“
「はい、それでは落札された方に金貨五枚にて、牝馬エリザをご提供でございます! はい、周囲の皆様も、拍手、拍手ぅ!」
さらに煽り立てるソリドゥスに反応してか、群衆からの歓声と拍手の音が鳴り響いた。
そして、ソリドゥスはエリザを縛る縄の先を手にして、それを落札した男に差し出した。やって来た男はどうしたものかと困惑していたが、そんなことはお構いなしといった態度だ。
「ええっと、やっぱりナシってわけにはいかないか?」
ノリと勢いに乗せられて、まんまと“普段からやっていた”ことをやってしまったわけで、
男はそう言いたかったのだが、それはソリドゥスはきっぱりと拒絶した。
「ダメですよ~。競売に対する妨害行為とみなして、罰金取っちゃいますから」
「まあ、そうなるわな」
「それに、そんなことしたら、あなた様の名誉に関わることですし、大人しくお支払いください。そこまで困る金額でもないでございましょう?」
「そちらの方も同意せざるを得んな」
男はやれやれと言わんばかりにため息を吐き、特に欲してもいない商品のために財布の中から金貨五枚を取り出して、それをソリドゥスに手渡した。
「はい、毎度ありぃ~♪」
ソリドゥスは見事に競りを成立させたことに満面の笑みを浮かべた。
そして、いつの間にか戻ってきていたアルジャンとデナリの手によって、エリザを縛っていた縄が解かれていった。
なお、エリザとザックは男よりも更に困惑した表情を浮かべており、『え、本気なの!?』と言いたげな顔をしながらソリドゥスを見つめていた。
なにしろ、現在の状況は二人が考えていた状況と大きく乖離しており、それゆえに頭の処理が追い付いていなかったのだ。
ザックにしてみれば、「これだけ脅しつけりゃあ、ちったあ大人しくなるだろう」とでも考え、エリザの方も「どうせ喚き疲れて、そのうちあっちが勝手に折れるでしょう」とでも考えていたのだ
ところが、見知ったお嬢様の横槍によって本気で競売にかけられ、しかもきっちり競り落とされる事態となったのだ。
自業自得とはいえ、これで困惑するなという方が無理であった。
なお、仕掛けたソリドゥスは極めて上機嫌であった。啖呵売りを一度やってみたかったのだが、悪くない結果を残せたので、今一度商人としての手応えを感じているのだ。
なお、商品が牝馬と銘打った人間であることは忘却の彼方であり、祭りだしいいだろうと自分を納得させていた。
(事前にあれほど強く念押しして尋ねたんだし、今更引っ込みがつかないでしょうよ。お互いに馬鹿なことをしたと思っていたとしても、文字通り“後の祭り”なんだからね)
困惑する二人を見ながら、ソリドゥスはニヤリと笑うだけであった。
そして、エリザの手を握り、さらに男の手を握り、二人の手と手を強引に重ね合わせ、これにて商談成立となった。
「では、しっかりと牝馬の面倒、見てあげてくださいね、“殿下”」
シレッと言ってのけたソリドゥスであったが、それ以外の面々は目を丸くして驚いた。
「「「え、殿下!?」」」
全員が同時に叫び、そして、改めて男の方を見つめ直した。
これと言ってパッとしない風体に服装。おまけに従者や護衛もなし。どこからどう見てもそこいらの庶民と変わらぬ姿なのだが、そう言われるとどことなく気品を感じさせる何をまとっているなと思わせた。
「ええ、こちらの御方は間違いなく“殿下”と呼ばれるほどの身分。お名前はバナージュ=カリナン=ドン=ルーンベルド様。うちの国の第三王子、正真正銘の王族よ」
ちなみに、ソリドゥスが王子の容姿を知っていたのは、以前の宴で顔合わせする機会に恵まれ、その際にしっかりと覚えていたからだ。
もちろん、今の地味な装いではなく、公式の場であるため正装に身を包んではいたが。
「え、本当の本当に王子様、なのですか?」
まさか自分をお買い上げになったのが、王子様だったとは思いもよらず、どう反応するべきか迷いながらも目の前の貴公子を見つめた。
なお、それについては周囲も同様のようで、面識のあったソリドゥスを除く全員が、見たことのない珍獣でも眺めているかのようにじっくりと観察を始めた。
「まあ、王子と言っても、特に何かしているわけではないがな。私は芸術に囲まれる生活以外には興味のない男なのだ」
実際、バナージュは風変わりな人物だと、社交界では思われていた。政治にも戦にもとんと興味も熱意もなく、ただ暇を持て余してはあちこちを放浪するという生活を送っていた。
ただ、目利きに関しては上流階級でも屈指とされており、その眼力を持って見出した何人もの画家や彫刻家の
最近では細工物や工芸品にまで興味を示すようになり、今日のような祭りや市に紛れ込んでは珍しい品はないかと物色するのが、最近の楽しみとしていた。
先程の競売の件も、つい“いつもの”が出てしまった結果なのだ。
芸術をこよなく愛する放浪の王族、それがバナージュであった。
「では、殿下、代金はしかといただきましたので、エリザを好きになさいませ。ああ、いくらなんでもこの場で放出というのは勘弁してくださいね」
「お、おう」
どうしたものかと困惑する王子であったが、さすがに引っ込みが付かなくなり、無理やり手を繋がされたエリザと顔を見合わせた。
当然、エリザもまさかこんなことになるとは思っておらず、なんの言葉も出てこなかった。
「あ~、もう、はいはい。過ぎたことですし、さっさと帰りましょうね~」
ソリドゥスは二人の背中を押し、強引にその場を立ち去らせた。
そして、残されたザックの方は茫然と立ち去る二人の背中を眺めていたが、そこにソリドゥスが手を差し出して金貨を手渡した。
「はい、これ、競売の売上ね。あ、これは手数料として貰っとくから」
ソリドゥスは五枚の内の一枚を摘まみ、残りをザックに渡し、その背中を押して立ち去らせた。
別に金貨を手にしたことが嬉しいのではなく、強引ながら商取引を成功させたのが嬉しいのだ。これでもう実績がないなどとは言わせない。そうソリドゥスは考えた。
なお、そんな空気を一切読まない男がいた。
「お嬢様、よろしいでしょうか?」
アルジャンがニヤつくソリドゥスに話しかけてきた。折角気分よく余韻に浸っているところへの横槍に、不機嫌になりながらもアルジャンに視線を向けた。
「なによ、なんか文句あるの?」
さすがに今のやり方は強引な手法過ぎて、アルジャンから小言が飛んできそうなのは承知していたので、ソリドゥスは少し引き気味に身構えた。
「金貨一枚はボリ過ぎです。どこの世界に競売落札価格の二割もふんだくる仲介者がいますか。それも出品者から!」
「
予想外のツッコミに、ソリドゥスは思わず叫んでしまった。
実際、競売方式での取引であるならば、売り手ではなく買い手の方から仲介料を取るのが普通である。
しかし、ソリドゥスは混乱しているのをいいことに、出品者であるザックから金銭を抜いたのだ。
理由は二つ。競売形式のやり方を熟知してないであろうザックからなら、簡単にふんだくれると思ったこと。
もう一つは、さっさとバナージュとエリザを帰らせて、“よろしく”やらせたかったからだ。
(そう、私は王子に“触れた”ってことよ。前回会ったときは挨拶程度の軽いやり取り。でも、今日は相手に触れれる位置に立ち、さりげなく調べることができた)
ソリドゥスの“
そして、その結果、導き出された回答は一つ。
「アルジャン、デナリ、これから全力であの二人を引っ付けるわよ。んで、結婚させる」
「「はい?」」
いきなりの仲人宣言である。いくらなんでも急すぎて、二人は目を丸くして驚いた。
「ソル姉様、本気ですか!? あたしはてっきり、ザックさんとエリザさんのケンカを仲裁するために、ほとぼりが冷めるまで二人を離すだけかと思っていましたけど!?」
「うん、私も最初はそれを考えていたわ。でも、気が変わった」
もし、ソリドゥスがバナージュの“
だが、ソリドゥスは気が変わった。
「そう、本気で殿下とエリザを引っ付ける。今からこの三人で
「お断りします」
ノリノリのソリドゥスに対して、冷や水を浴びせたのはもちろんアルジャンであった。
「なんで、あんたはいつも私のやることに反対するの!?」
「明確に犯罪行為だからです」
「はぁ!?」
「国内法、教会法、どちらにおいても離婚はできないことになっております。結婚とは、神に対して人が行う約束、契約であります。よって、人間の一方的な都合により、離婚を行うことはできません。それは神との契約を破り、欺く行為となりますので」
アルジャンの意見は相変わらず正論であった。その言葉通り、神と夫婦の間で交わされた契約は神聖不可侵であり、それを破ることはできない。
「よって、エリザさんが別の方と婚儀を結ぼうとした場合、現在の夫との“死別”が必要不可欠。しかし、ザックさんは健康そのもので、今日明日に病気やケガでお亡くなりとはなりますまい。そうなると、“わざと”そうなるように仕組まないといけませんな、お嬢様」
「私がザックを暗殺するってか!?」
「エリザさんが再婚すると言うことはそういうことでしょう。他に受け取りようがありません」
「なんという人聞きの悪いことを! そんなあくどいことは考えてないわよ!」
エリザの再婚の最短ルートで言えば、アルジャンの示した方法が手っ取り早いことは間違いない。しかし、そんな馬鹿げたことをするほど、ソリドゥスは考えなしではない。
「大丈夫。二人を別れさせる方法はあるわ。でも、その前に軍資金よ!」
「また、旦那様に金の無心ですか?」
「投資と言いなさい! 投資と!」
「返せる“あて”があるのであれば、投資や融資と言えなくもないですが、お嬢様の実績を考えますと」
「うるさい! 黙りなさい! ほら、帰るわよ!」
ソリドゥスはプンプン怒りながら付き従う二人の腕を引き、喧噪の残り香が漂う中、帰路に着いた。
そして、ソリドゥスの頭の中には、世界をひっくり返すほどの壮大な妄想が抱えられていたが、それを実現するために色々と足りないことも自覚していた。
今は妄想に過ぎない思案を現実のものとするには、なにより先に金が要る。そう思うと、ソリドゥスの足は自然と出資してくれそうな唯一の存在の所へと向かうのであった。
~ 第六話に続く ~
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