3月6日 春と感傷


 道端のド根性ビオラについて、続報がある。残念ながら除草された。

 アスファルトの隙間に詰まった土ごと、ごっそりとやられた。まあ、仕方がない。雑草なんだもの。


 人とは違う「好き」を持っていると、自分の「好き」が驚くほどあっさりと踏みにじられる瞬間を、幾度となく味わうこととなる。しかも今回の場合のように、至極正当な理由があったりするものだから、文句すら言うことができない。



 除草は大切だ。道端の雑草を放置していれば、そこで育った雑草の種や害虫が畑に広がってしまう。畑と野菜、それを作る人々の暮らし、それを食べる人々の暮らしを守るためには、雑草は刈らなくてはならないし、害虫は殺さなければならない。


 私も美味しい野菜をいただいている身だ。文句などなにもない。ただ、悲しいものは悲しい。


 誰も悪くないけれど誰かが悲しくなってしまうことなんて、この世にごまんと存在する。

 私たちはただ歩いているだけで誰かの大切なものを踏みにじっているし、踏みにじったことにすら気付かずに生きている。私にとって大切なものは、あなたにとってはどうでもいいものだし、あなたにとって大切なものは、私にとっては何の価値もないものだ。


 そんな中で、これが大切だったよ。大切なものが失われて悲しかったよということを、こうして文章にして誰かに読んでもらえることは、実はとんでもない贅沢なのではないか、と思う。



 あんまり悲しいことばかり書いてもなんなので、今日見付けた嬉しいことも書いていこう。


 近所のさくらんぼの木が、とうとう花を咲かせていた。つぼみが膨らんでいたので、今か今かと待っていたが、可愛らしい花びらがふっくら開いていた。

 それから、カラスノエンドウの花も咲いていた。もう少し暖かくなったら、どこからか大量のアブラムシが出てきて、カラスノエンドウの茎にびっしりとくっつくだろう。そしてそれを目当てにテントウムシが、アリが、カラスノエンドウの森の中を跋扈する。

 カタバミの花も咲いていた。駐車場の砂利の間から、トウダイグサも葉を伸ばしていた。もう、すっかり春だ。


 それから、足元だけでなく頭の上を見上げれば、ほんの少しだけ淵の欠けた月が、空に昇っていた。

 もうすぐ春分だ。春分を過ぎれば、昼が夜を圧倒し始める。大気はいよいよ暖められ、風は湿気を帯び、冬の間じっと静止していたあらゆる生活環が、またゆっくりと動き始める。



 感傷は夜の間だけにしておこう。朝になったら、またほんの少し、春が濃くなっているはずなんだから。


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