館の魔術師
ひなみ
本文
ここは街の裏通り。行き交う人も少なく家屋が軒を連ねる中、ひときわ古びた外観に思える一軒のお店がありました。
看板の文字はすっかりとぼやけ、扉は建て付けが悪いのかギィギィと音が響き、外壁に絡まった蔦は伸び放題。
それはまるで長い歴史を感じさせるような佇まいで、ここがいつ頃から開かれているのかは誰にもわからないと言います。
とある昼下がりの事、一人の少年がこの店に足を踏み入れました。
焦げ茶の帽子を浅く被り、
そのまま彼は店の奥へと進みます。すると、一人の老人が椅子にもたれ掛かりうつらうつらと体を揺らしていました。
その様子に少年は口元に弧を描いて、近くに積み上げられていた一冊を手に取りました。その表紙には魔女と逃げ惑う人々の姿が描かれています。
次の瞬間、彼はあろう事か老人に向かって手にした本を投げつけました。
けれど、その本は途中で力を失ったかのように床に落ちパサリと音を立てたのみでした。
「また来おったか、悪ガキが。その本は元に戻しておくようにな」
白い髪に白い髭を蓄えた老人はいつのまにか起きていたのです。
「だから俺はガキじゃないって言ってるだろ! じいさん、俺はあの女のせいで……!」
店には甲高い声が響き渡ります。
少年は、落ち着いた風貌からは考えられないほどの
けれど老人は事も無げに口を開きます。
「リッドよ。何度も言うが、この店に呪いを解く方法なんぞあるわけがなかろう。わかったら教会へ行くなり術師を頼るなりするがよい」
リッドと呼ばれた少年はその言葉に黙って首を振りました。
「グラエル、あんた大魔術師だったんだってな。街の酒場で聞いたよ。それがどうしてこんな店に落ち着いた? 本当は何か知ってるんじゃないのか? なあ、なあ……何とか言ってくれよ」
瞳に涙を滲ませたまま捲し立てた彼は、小さな体を震わせ床に崩れ落ちました。
「それは遠い過去の話。もちろん、『館の魔女』については粗方調べておるよ。じゃが解決できるものならば、主に言われるまでもなくとうにやっておるとは思わぬか?」
その言葉にリッドは力なく店を後にしていきます。
それでも彼は、どうしても諦めきれずに二日後再び店を訪れました。けれど明かりはなく中には誰の姿もありませんでした。
『この店は捨て置くがよい。リッドよ、最後に一つ頼まれてはくれぬか。アリエルと名乗る娘がこの街を訪れる事があれば、すまなかったとそう伝えて欲しい』
書置きはひらひらと床へと滑り落ちていきました。辺りを見回したリッドはすぐに異変に気付きます。
壁に飾ってあったはずの、かつてグラエルが使っていた古びた杖や装備品一式がすべて消えていたのです。
古い額縁の絵には若かりし頃のグラエルと、一人の女性。そして、彼女が抱きかかえる赤ん坊の姿が見えます。
一年ほどが経ったある日、目覚めるとリッドの体は元の青年の姿に戻っていました。どうして戻る事ができたのか彼にはわからないままですし、旅立ったグラエルはいまだに帰ってきません。
そうして今日もリッドは元気よく店を開け、いつもの場所で本を読んでいます。まるで誰かを待っているかのように、時々物憂げに窓の外の月を見つめては溜息を吐く姿も板についてきました。
*
ここは街の裏通り。行き交う人も少なく家屋が軒を連ねる中、一軒のお店がありました。
看板の文字は塗り直されて、扉は滞りなく開け閉めができ、外壁には何一つ絡むものはありません。
以前とは違い、明るくなった店には多く人が訪れるようになりました。
夜を迎え店主は椅子にもたれ掛かりうとうととしていました。
そんな中、弱々しい足音が床を軋ませています。そうしてそれが聞こえなくなると、彼は何かを察知して目を開けました。
すると視界に飛び込んで来たのは一冊の本です。その裏表紙には魔女を打ち倒した魔術師が描かれています。
咄嗟にそれを掴むと、目の前には忘れようのない姿が立っていました。
「驚いたな。店がこのような事になっておるとは」
「ああ、お客さんかい。俺は店番をやってるリッドって言うんだ。そういえばじいさんよ、これが初めましてになるな?」
「やはり、お主はそうなのか……」
老人は服の袖で深く
彼らはお互いににやりとして固い握手を交わしました。
「よく聞いてくれ。あんたの探し人の事がようやくわかった――」
黄、青、緑。
空には三つの月が満ちて、夜は今日も更けていきます。
これは『
館の魔術師 ひなみ @hinami_yut
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