最終話 ③

 一時間後 前林ホール スタッフルーム




 楓は、講演会をなんとかアドリブで場を繋ぎ終わらせると、後処理を済ませてから真白を探していた。

 真白は、楓を待ちかねていたようにスタッフルームの椅子に座っていた。


「……やあ、真白」

「どうでしたか? 私たちの歌は」


 真白はニヤニヤしながらそう尋ねてきた。

 楓はふぅと溜息を一つ吐いた。


「正直に言わせてもらうなら、あまり上手くはなかった。でも……よくもまああれだけの人数の前であのパフォーマンスをやり切ったよ。……誰の発案だ? 青子か?」

「いえ、玄野さんです」

「アイツかよ……」


 楓は少しだけ目を逸らし、呆れてみせた。


「……まあ、でも、やり切ったのは真白たちだ。おかげさまで……新しい修行の説明ができなかった」

「良かったです。黒倉さんが天廷会のことを大事に思っているのなら、私との対立関係を表沙汰にしないと信じていました」

「俺は……正しいことをしてるつもりだったんだけどな……」


 楓はわからなくなっていた。

 正しいことをしているのは自分だと確信していた。

 最終的に自分の思う通りになると思っていた。

 だが、全ては始まる前に頓挫してしまった。

 自分のやり方が間違っているのかと疑い始めていた。


「黒倉さんは間違っていませんよ。……ただ、黒倉さんはもう少しみんなのことを信じていいと思うんです」

「そこが、俺とお前の違っていた点か?」

「はい。黒倉さん、ここは会社や学校ではないんです。天廷会なんです。『信じる』ことで、救われるんです」

「……やれやれ。洗脳か?」

「はい。洗脳されてください。きっと、全て上手くいきます。天廷会があろうとなかろうと、私たちがここで培った考え方が失われるわけではありません。私は……そう信じてます。だから、黒倉さんもそう信じて下さい」

「……『信じる』……か」


 それは、楓にとってもっとも難しいことだった。

 だが、こうなった以上選択肢は無い。

 それに、今はそれほど重い言葉に感じられなくなっていた。


「……簡単に言うよな、ここの連中は。宗教なんだから当然だが……俺もそっちに染まるべきだったのかな……?」

「いえ、黒倉さんは変わらなくもいいんです」

「え?」

「確かに私は黒倉さんに『信じる』ことをお願いしたいですけど、でも、黒倉さんは私に従う必要なんてないんです。黒倉さんがこの先天廷会のためにどんなことをしようと、私は今の天廷会を変えないために尽力し続けます。黒倉さんは……そんな私には関係なく、これまで通りにしてください」

「どういうことだ? 俺は、天廷会に対立を生みたくはないんだが……」

「そうでしょう? だから、今のところは私が優勢です! でも、黒倉さんは頭が良いので、きっと対立を生まないようにみんなを騙してお金儲けする方法を考えるでしょう? でも、私はそれも止めて見せます! 覚悟してください!」

「真白……」


 一瞬意味のわからなかった楓だが、すぐに理解した。

 真白は、絶対に自分の傍を離れることはないということだ。

 たとえ自分の意見を受け入れてはくれなくとも、真白は必ず傍で対立し続けると言っているのだ。


「俺の傍を離れるという選択肢は無いのか? 俺と対立して……俺のこと嫌いにならないのか? なんなら、俺を教主の座から引きずり下ろしたっていい。……まあ、できるとは限らないが」

「『愛している』といったばかりですよ? 私は黒倉さんと考え方が合わないからって離れたくはないんです。自分の気持ちを……信じていますから」

「……信じるものが一杯で羨ましいな、ちくしょーめ」


 楓は呆れて溜息を吐いた。

 だが、気分は悪くはなかった。


「楓」


 その時、スタッフルームに一人の人物が現れた。


「か、母さん!?」

「え、来てたんですか?」


 楓も真白も驚いていた。


「あ、真白ちゃん、よかったわぁ、さっきのパフォーマンス。これからもあの活動するんでしょ? 頑張ってね」

「え? 『これからも』?」


 先程のパフォーマンスはその場限りのつもりだった。

 楓の邪魔をするためなので当然のことだ。


「あー……うん。そういうことにして説明した。あの聴衆の前で言ったから取り消せないぜ」

「な……!?」


 楓はニヤリと笑った。

 これは真白たちに対する意趣返しのようなものだった。


「頑張れよ、アイドル君」

「こ、このぉ……」


 肩をポンと叩かれた真白は歯をギリギリと食いしばった。


「楓もお疲れ様。……良かったわ」

「え? 『良かった』って?」

「だって、私てっきり天廷会を使って変なこと始める気でいるのかと思ったから。でも……心配いらなかったみたいね。貴方が前みたいに歯止めを利かせずにいたら、どうしようかと思ったけど……真白ちゃんのおかげかしら? 真白ちゃんが貴方のいいブレーキ役になっているのかしらね。フフフ」

「母さん……」


 楓の母親は、楓が以前父親の浮気を発見した時のことを思い出していた。

 彼女にとってもつらい出来事だったが、それ以上に楓のことを心配していたのだ。

 楓が教主になってからも、楓が行き過ぎないかずっと心配していた。

 もちろん、だからといって具体的に何かをしていたわけではないが、楓と、ずっと一緒にいる真白のことを信じていた。

 だから、今回の講演会もただ天廷会のアイドルを紹介しただけと知って安心したのだ。


「そうですね、私はブレーキ。黒倉さんはアクセル。それでいいんじゃないですか? 黒倉さん」


 真白はニッコリと微笑んだ。


「……ああ、そうかもな。……ただ、一つだけ納得がいかないことがある」

「何ですか?」

「あの若作りジジイの手の平で踊らされてる感じが腹立つ。何とかやり返したいな……」

「フフ、それなら、私に良い考えがありますよ?」


 真白がニヤリと口元を緩めると、楓もそれに呼応した。

 楓の母親は二人が何お話をしているかわからなかったが、二人の仲を微笑ましく見守っていた。

 もう大丈夫だ。彼女はそう信じたのだった。



 とあるビル




「一体何の話かな? 楓君のことについてかい?」

「着いてからのお楽しみです」


 玄野は真白に誘われるままに付いて行き、ビルの階段を上がっていた。

 ある階までたどり着くと、またある部屋の扉の前まで連れていかれた。


「さて……では、扉を開けて下さい」

「私がかい?」


 真白がこっくりと頷くと、言われるがまま玄野は扉を開けた。

 すると――。


「還暦おめでとうございます! 前教主様!」


 クラッカー―の音と共に、祝いの言葉が玄野に注がれた。


「……えっと……これは……」

「六十歳おめでとうございます!」

「六十……」


 その場にいた朱音の言葉に、玄野はほんの僅かに表情を引きつらせた。


「どうも、おめでとうございます、玄野さん」

「……楓君、君の差し金かな?」

「はい! 喜んでいただけましたか?」

「……取り敢えず、驚きが大きいかな」


 部屋の中には、天廷会の会員が幾人も集まっていた。

 幹部は全員いるが、他は古参の会員中心だ。

 ただ、朱音や青子のような新参も数人はいた。


「玄野さん、今年で還暦なんて意外ですね! 全然見えない!」

「……ありがとう、青子ちゃん」


 玄野は自分から自身の年齢について話すことには抵抗が無かったが、他人に指摘されるのはあまり好ましく思っていなかった。

 楓に対しては、先手を打って自ら年を明かすことでネタにしてこないように制御したつもりだったので、現状に大変当惑していた。

 加えて言うのならば、彼は他人に祝われることもあまり好きではなかった。

 家族にも還暦祝いをしないようにあらかじめ言った矢先のことだったのだ。


「……真白ちゃん、私の誕生日をみんなに教えたのかい?」

「はい! みんなで祝いたいなと思ったので! 玄野さんにはお世話になりましたから!」

「……そうか」


 混じりけの無い笑顔を向けてくる真白だったが、玄野は彼女が半分嫌がらせを含んでいることにすぐに気付いた。


「おめでとうございます!」

「還暦おめでとうございます!」

「六十歳の誕生日おめでとうございます!」

「…………」


 玄野は初めて不敵な笑みを崩していた。


「……楓君、お礼を言っておくよ」

「え、いいですよー、そんなの。還暦なんて素晴らしいじゃないですか! みんなに祝われてしかるべきですよ! お・じ・い・さ・ま!」

「……」


 玄野の表情は固まったままだった。



 楓と真白は二人でベランダの方に出ていた。

 笑いを堪えることができなかったのだ。


「アハハ! 見ました? 玄野さんのあの顔! あの人、他人に祝われるのが凄く嫌いなんですよ。いやー、最高なものが見れましたね!」

「まったくだ。どうやら、正しいことをするのが誰にとっても良いことではないらしいな。俺も気付いちまったよ」

「何言ってんですか、もう。フフフ」


 二人は手すりに寄り掛かる。

 楓は背中を、真白は両手を乗せた。


「こういったことができるのも、天廷会関係なく、みんながみんなを大好きだからですよ」

「ああ、そうかもな。でも、俺はやっぱり天廷会を失いたくはないよ」

「いいですよ? 誰かを不幸にするような方法を考えるのなら、私は全力で止めて見せますから」

「フン、やってみろよ」


 二人はお互いを見つめ合った。

 だが、それ以上は人目があるので近付けない。

 奥の方から真白のことを呼ぶ佐奈の声もしていた。

 二人きりになるというのは、流石にこの場ではできない。

 二人は向かい合った。


「……これからも、よろしくお願いします、黒倉さん」

「こちらこそだ、真白」

「……いや、『黒倉さんとして』だけでは駄目ですね……」


 真白は右手を楓の方に向けてきた。


「では、改めまして――」


 楓は、最初に出会った時とは違い、今度はその手に触れるつもりでいた。

 もう、彼女の瞳の奥に映る強い意志を理解していたからだ。

 もう、彼女のことを信じていたからだ。


「よろしくお願いします、教祖様!」

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よろしくお願いします、教主様! 田無 竜 @numaou0195

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