最終話 ②

 現在 前林ドリームホール




 前奏が終わり、真白が歌い始めた。



『いつも通りの退屈な日常に 貴方は突然現れた』



 楓はここでようやく事態を完全に把握した。

 これでもだいぶ早い気付きだが、既に手遅れだった。

 ――やられた……!

 ――そう言う魂胆か……真白……!


 突然歌い始めるというだけでその目的を理解できるのは、ひとえに楓の察知能力の高さを表していた。

 だが、だからこそもう自分には何もできないということを理解してしまった。

 ――ここで俺が無理やり彼女たちを止めたら、聴衆の反感を買うのは間違いない……。

 ――何かもっともな理由付けを…………駄目だ! 真白は教祖の孫娘! 邪魔者扱いはできない……。静観するしかない……!

 真白に続き、他の三人も歌いだす。



『私を救うと言って現れた』

『何故? 宗教? 嫌だ 嘘 信じられない』

『出来ない 不可能 聞きたくない』



 ――会員は俺の重大発表を彼女たちのことだと思ってしまっただろう……。タイミングを合わせて照明を落としたんだ。

 ――……青子も、佐奈も、朱音も……真白に協力するのか? 何でだよ……。

 楓は、真白が自分に付いて来なかったのは、彼女が我儘を言っているからとしか思っていなかった。

 信者たちは自分の力で言いくるめられる。

 真白を味方する人物がいるとは考えなかったのだ。



『つまらない日々にsay goodby』

『私は空にfly high high』

『だけど貴方は 私に手を差し伸べてくれた』



 楓は舞台から少し離れてただ歌を聞いていた。

 ――何だこの歌詞……。

 歌はサビに入っていた。



『fanatic! もう貴方しか見えない』

『fanatic! 貴方がいてよかった』

『貴方のおかげで私の世界は変わる』

『貴方のおかげで私の心は色付く』

『きっと 何があっても 私は貴方を信じてる』



 ――重いな……なんか。

 楓は歌詞に共感しづらかった。

 しかし、サビはどうやらここまでの様だったので、楓は真白の下に向かおうとしたが――。



『いつも通りの恍惚な日常から 貴方は突然消え去った』



 ――二番!?

 歌はまだ続く。



『誰かを救って消え去った』

『何故? 運命? 嫌だ 嘘 信じたくない』

『幸せ? そんなの もういらない』



 真白たちは必死な表情で歌い続けた。

 素人らしく拙くも、彼女たちの歌声には確かに力が込められていた。



『下らない日々にsay goodby』

『私は空にfly high high』

『だけど私は 貴方の声を聞いた気がした』

『fanatic! もう貴方はいない』

『fanatic! 貴方がいてよかった』

『貴方のおかげで私の世界は変わった』

『貴方のおかげで私の心は色付いた』

『きっと 何があっても 私は貴方を信じてる』



 気が付けば、楓は彼女たちの歌に集中していた。

 何か策を考えなければいけないと頭では理解しながらも、そうする気が起きなかったのだ。



『もう貴方には会えないけれど 私は貴方を信じると決めたから』

『もう貴方の声は聞けないけれど 私は貴方の為に生き続けるから』

『だから だから……』



 真白は楓の方を一瞬だけ向いた。

 楓と目が合った。



『fanatici! もう何も怖くない』

『fanatic! 貴方がいてよかった』

『貴方のおかげで私は世界に歩き出せる』

『貴方のおかげで私は心をさらけ出せる』

『きっと きっと 何があっても 私は貴方を信じてる』



 歌が終わった。

 ホール内は溢れんばかりの拍手で埋め尽くされる。

 楓の時とは違い、サクラは一人もいなかった。

 ただ単純に、必死な表情で歌い切った四人のことを祝福するための拍手だったのだ。

 それが少しずつ収まると、楓も拍手をしながら真白の下へと向かった。


「……素敵な歌をありがとう、真白。ただ――」


 真白は声を掛けた楓に返事はせず、すぐに聴衆の方を向いた。


「皆さん! 聞いてください!」

「真白……」


 楓に真白を止めることはできない。

 今、この空間を支配しているのは、楓ではなく真白だったのだ。

 彼女の言葉を遮るということは、自分の心証を悪くすることにほかならなかった。


「私は……虎崎真白! 虎崎輪道の孫です! 私は……天廷会を愛しています! たとえ……たとえ! 天廷会が無くなるようなことになっても! 私は天廷会の教えを裏切るようなことはありません! 皆さんも……きっとそうなると信じています! だから……私は、天廷会は今のままでいいと思っています。皆さんはどう思いますか? 天廷会の変革を望みますか? もしそうだとしたら……私は、その変革を拒絶します! 天廷会を守ってみせます! 形としてではありません。私の信じた人が守ってくれた、『私の心の中にある天廷会を』です!」


 楓は真白に歩み寄った。


「……それは……とても身勝手にも聞こえるな」

「わかっています。でも……大事なのは居場所そのものではなく、人との繋がりだと私は思っています。黒倉さん……いえ、教主様はどう思われますか?」

「……俺は……」


 楓が言葉に詰まったのは、言い返せなかったからではない。

 ここで真白を論破してしまうのは簡単だった。

 だが、集団が信じたいのは現実論ではなく理想論だ。

 真白の考えは理想でしかなく、現実的な組織の経営案を否定して、組織そのものを無くすわけにはいかないことはわかっていた。

 天廷会そのものが無くなっても人の繋がりが無くならない保証など、どこにもないのだ。

 それでも、理想論を大勢の前で否定することはできない。

 理由は簡単だ。

 宗教団体とは、理想を語り、信者に夢を見せるための場所だからだ。

 だからこそ、盲目な信者は幹部にはなれない。

 現実的な経営を行うのはいつだって天廷会を失っても困らない人間だけだった。

 楓の過ちは、自分のすぐ傍に、理想を夢見る少女を置いていたことだったのだ。


「皆さんに! 重大発表があります!」

「え?」


 真白の言葉に、ホール内は再びざわめき始めた。


「私は……教主様を愛しています!」

「ま、真白?」

「先程の歌には教主様への想いも乗せました! ……これからも、私と教主様のことをよろしくお願いいたします!」


 真白はフッと楓に笑いかけた。


「……では! ご清聴ありがとうございました! 天廷会アイドルグループ『believe’s』でした!」


 真白たち四人はそこで舞台上から降りて行ってしまった。

 真白の表情はとても晴れやかだった。


 ――…………クソ……参ったよ、真白……。

 四人がいなくなれば、今の出来事について楓の口から説明する必要が出てくる。

 今のやり取りの後で、真白をないがしろに扱うことはできなくなった。

 楓はもう、少なくともこの場で新しい修行についての説明など始めることができない。

 完全に、自分は真白に敗北したのだと痛感した。

 だが、楓もまた、表情は自然と晴れやかになっていた。

 その理由は、楓自身にもわかっていなかった。


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