第10話 ①

 天廷会館




「うーん……」


 真白は、エントランスのソファで腕組みしながら悩んでいた。

 楓は、今日は来ていない。

 彼女は、楓の企みをどのようにして止めるかを思案していた。


「真白たーん」


 受付の佐奈がいつものように真白にソファの後ろから抱き着いてくる。


「うーん……」


 だが、真白に反応はない。

 いつもならすぐに拒絶されるため、佐奈は不審に思う。


「真白たん? どうしたの? 何か悩み?」

「ええ、ちょっと……」

「どうしたんですか?」


 真白の様子がいつもと違うことから、朱音も佐奈に続いて疑問を抱いた。


「……その……」


 真白は一瞬言葉に詰まる。

 佐奈も朱音も敬虔な天廷会の信者だ。

 天廷会の為に行動している楓を止めたいという自分の意見を、肯定してくれるとは思えなかった。

 しかし、一人で抱え込むのは自分の悪い癖だとわかっていた。


「……実は――」




 真白は二人に、楓が有料の修行を始めようとしていることと、マルチを再開しようとしていることを話した。


「成程……それで悩んでたの?」

「どうしてですか?」


 二人は真白が悩む理由がわからないといった様子だった。


「……私は、天廷会の所為で苦しむ人を出したくないんです。天廷会がお金を儲けようとすれば、必ず会員の中から損をする者が現れます。私はそれが許せない」

「でも、楓君は天廷会の為に働いてくれているんでしょ?」

「そうですよ。私は教主様が正しいと思います」


 真白は二人の言葉を聞いて、目を伏せてしまった。

 二人は楓のことを信じていた。

 真白だって楓と対立したいわけではない。

 だが、自分の理想と楓の理想は違っているのだ。

 誰も付いて来ないとしても、真白は自分の理想の為に動かなければならないと考えた。


「……わかりました。それでも私は黒倉さんの考えに同調できません。……一人でも、絶対止めて見せます」


 佐奈と朱音は目を合わせた。

 二人は盲目というわけではない。

 楓と真白の両方のことを、同じくらい信じていた。

 出来ることなら二人には対立してほしくないと考えているのだ。


「待って待って! 私は真白たんの味方だよ! 楓君が間違った事してるとは思わないけど……別に、そこまでお金儲けする必要ないもんね!」

「……そうですね。真白さんと教主様には仲良くしてほしいです。それが目的なら、私は真白さんに協力しますよ」


 真白は驚いてしまった。

 二人が自分に協力的になるとは予想していなかったのだ。


「え……いいんですか? もしかしたら、天廷会が無くなってしまうかもしれないんですよ?」

「そんなことより二人が仲違いする方が嫌だよ」


 佐奈はまっさらな瞳でそう言った。


「雀野さんは? 拠り所を失うかもしれないのに……」

「私も同じです。私達のために頑張ってくれる教主様は正しいです。ですが、私にとって大事なのは天廷会そのものではなく、天廷会の皆さんですから。こんなこと……大声では言えませんけどね」


 意外だった。

 だが、朱音も佐奈も、天廷教を妄信しているのには合理的な理由があった。

 彼女たちは、孤独を埋め合わせる居場所と、信じられる誰かを欲していただけなのだ。


「天廷会が無くなっても、みんなと会えなくなるわけじゃないでしょ? 私は真白たんに会えるなら、どこでだって生きていけるよ!」

「私も……きっと頑張れると思います。まあ……皆さんに助けてもらうかもしれませんけど。エヘヘ」


 真白は、自分で楓に対して『みんなを信じられないのか』と言っておきながら、自身も信じ切れていなかったのだと反省した。

 二人の言葉を聞いて、やはり自分は間違っていないと感じた。

 正しいかどうかではなく、楓にみんなを『信じて』もらうために、立ち上がろうと考えた。



「……そっかぁ。そういう話になってたんだね」


 その時、出入り口から青子が現れた。

 彼女はずっと話しかけるタイミングを計っていたのだ。

 真白は突然の彼女の登場に驚嘆する。


「竜胆さん!? どうしてここに……」

「会員登録しようと思ってね。そうしたら……何だか気になる話してるみたいじゃない?」

「え……入って下さるんですか……?」


 青子はコクリと頷いた。


「まあね。……で、真白ちゃんはどうやって楓の計画を止めるつもりなの?」

「どうって……」


 いつもの如く、真白はノープランだった。

 具体的にどうしいたらいいのかはまったく考慮にない。


「会議か何かで企画の話し合いしてないの? そこで決定してしまったらもう止めようがないと思うけど……」

「あ! 定例会があります! そこで何とかできれば……」


 青子は微笑んだ。


「私も真白ちゃんに協力するよ。約束もしたことだしね」

「竜胆さん……!」


 青子は感動する真白の瞳を見て、思案に更ける。

 ――楓の言っていた『面白いこと』ってこういうことか……。

 ――まったく……いつも勝手に一人で決めて。

 ――でも……今度の子は離れていきそうにないみたいだね……。

 気合を入れている真白を見ながら、青子は表情を緩めた。



 楓は、ほんの数年前のことを思い出していた。

 それは、楓が大学四年生だった頃のことだ。

 楓は小銭稼ぎと称して探偵業を行っていた。

 ほとんどは友人の恋人の浮気調査がメインだったが、それが災いしたためか、楓は人に避けられ始めていた。


「最近、みんなに嫌われてる気がするんだよな……」


 楓は青子に相談していた。


「そりゃあ、嫌われるようなことしてるからでしょ」

「うーん……でも、浮気調査楽しいんだよなぁ……」

「そういうとこやぞー」


 楓は、『面白い』という理由だけでこの探偵業を始めていた。


「面白い上に、人の為にもなる。なのに……思うようにならないんだよなぁ……。ま、だからこそ楽しいわけだが」

「……まあ、楓が楽しいならいいけどさ。いつか痛い目見るよー」

「そうだ! 折角だし、親父の浮気調査でもするか! 最近帰り遅いしなー」

「……勇気あるね……」


 結果として、この選択が誤りだった。

 楓の調査は上手くいきすぎて、父親の決定的な浮気現場を目撃してしまったのだ。

 楓はすぐに家族会議を開き、母親も交えた三人で父親の浮気について話し合った。

 証拠を提示した楓に、父親は殴りかかった。

 元々自分よりも優秀な息子に対して苛立ちを持っていたのだ。

 自分の不貞の証拠を、よりにもよって楓に握られるのが我慢ならなかった。

 しかし、その拳は楓ではなく、楓を守ろうとした母親に当たった。

 それが、離婚に繋がる決定的な要因となった。

 


 楓は、自分の手によって引き起こした事態に激しく動揺してしまった。

 就職活動も行う気にならず、自室に籠って、インターネットに潜ることしかしなくなってしまった。

 楓のことを心配した友人達から何度か連絡が来ることがあり、青子もその一人だった。

 楓は喫茶店で、自分の起こしたことについて語った。


「そっかぁ……大丈夫? 私、いつでも力になるからね」

「大丈夫! 慰謝料もガッポリ奪ったし、暫くはニートするよ!」


 楓は笑顔を見せるが、青子にもすぐわかる程のやせ我慢だった。

 青子は何もできない自分自身を責めていた。


「ホントに……何でも言ってね? 私達……友達なんだから」

「……ああ、わかってるって」


 楓の言葉に力はなかった。

 青子以外にも楓を励ましてくれる人間は何人もいた。

 だが、誰の言葉も楓には響かなかった。


「……青子は………………いや、何でもない」


 楓は、自分の父親が本当に浮気しているなど思ってもいなかった。

 表面上は、口うるさくとも良い父親だと思っていたのだ。

 彼は、人間不信に陥っていた。


「私のこと、信じてね?」

「…………」


 楓は頷くことすらしなかった。

 今でもそれを後悔していない。

 彼にとって、『信じる』という言葉は、それだけ重いものになってしまっていたのだ。

 だからこそ、真白に対して『俺を信じろ』と言った後、彼はそれを後悔していた。

 人は、人を簡単に信じてはいけないのだと、そう思っていたのだ。



 自身の過去を思い返しながら、楓は、真白が自分に対して敵意を向けたことを悲しんでいた。


「……俺、間違ってないよな? 『みんなのことを信じる』だなんて……そんな無責任なこと、できるわけないだろ……」


 天廷会本部の教主室で、彼は一人溜息を吐いた。

 彼は元々、自分の意思を何より優先する人間だった。

 それに人間不信が重なり、彼は真白の気持ちを考えられなくなってしまっていた。

 今までの女性の様に……また、自身の父親の様に、彼女が自分の下を離れつもりでいるのだと考えていた。


「教主様、失礼します」


 教主室に入って来たのは、幹部の中でも元々玄野の補佐を務めていた人物だ。

 楓が教主となって暫くは余所余所しかったが、大人の彼は、もう部下としてきっちりとした態度を取っていた。


「何ですか?」

「以前の新しい修行の話ですが……」

「ああ、それなら今度の定例会でじっくりお話しますよ。それだけですか?」

「いえ……その……」


 楓は不審に思った。

 明らかに言いにくそうにしている様子だったからだ。


「何ですか?」

「……虎崎真白さんが、是非とも定例会に参加したいと仰いまして……。いかがいたしましょう?」


 合点がいった。

 真白は楓の計画について否定意見を述べたいのだろう。

 定例会で、幹部の前で粗を見つけることによって、計画を台無しにしようという魂胆なのだと勘付いた。


「……構いませんよ。私だって最初は、無遠慮に定例会にお邪魔させてもらった身でしたしね」


 ここで真白を拒絶することはできない。

 まだ若輩の自分では、少しでも教主に対しての不信や不満を持たれるのが痛手だった。

 新しい修行に関しても、円滑に取り入れるためには人望は欠かせなかったのだ。

 だから、否定意見は受け入れたうえで計画を実行する必要がある。


 ――真白……一体どうするつもりだ?

 楓は真白が自分よりも思慮に欠けるタイプだとは理解していたが、念には念を入れて、慎重に定例会での自身の立ち回りを考慮することにした。

 絶対に、自分の意志を貫くために――。

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