第9話 ③

 マンション『タティースドラウト』




 青子は、自室のベッドで寝転がりながら悩んでいた。

 悩みは当然、天廷会に入会するかどうかだ。

 ――どうしよう……。

 ――真白ちゃんを悲しませたくは無いけど……。

 ――入会費は一万……月一万……。

 ――娯楽費として考えれば……それくらいはかかるものかな……。

 ――人間関係も増えるし、活動に強制力は無い……。

 ――デメリットがあるとすれば、それこそ私の価値観において、費用対効果が見合ってるかどうかだけ……か。


 残念ながら、人間関係などのメリットは不透明であり、実際に入会しないことには効果がわからない。

 それでも、青子はお金のかかる趣味を持っていなかったため、金銭的な余裕はあった。

 断るもっともな理由は、何一つ思い浮かばない。

 彼女はもう一つ、悩みと同時に考えている疑念があった。

 ――楓は……こうなることがわかってたのかな……。

 ――真白ちゃんの気持ちをわかっていて……それを利用して私を勧誘させたんじゃ……。


 彼女は自己評価が低くはない。

 自分の能力がどの程度かは理解していた。

 楓も言っていた通り、多少は営業関係に自身がある。

 もしかしたら、楓はそんな自分を引き抜きに来たのではないかと考えてしまっていた。

 ――考えすぎかな……。自意識過剰すぎるかもしれない……。



 ポロン



 その時、楓から一つのメッセージが届く。



『青子、今度の日曜日、食事に行かないか?』



 楓からそんな誘いが来るのは初めてだった。

 これも、彼女に断る理由は無い。

 むしろ、今自分が持つ疑念を、とっとと晴らしてしまいたくなった。

 ――楓……。



 数日後 レストラン『狂園きょうえん




 楓との食事先は中華のレストランだった。

 楓は普段通り落ち着いた様子で青子をエスコートする。

 食事がひと段落すると、青子は楓が自分を誘ってきた理由を尋ねたくなる。


「楓、今日は一体どうしたの?」

「ん? 別に何でもないけど?」

「……」


 何の気なしに誘いたくなったという風に言われると、青子も少し楓を意識してしまう。

 だが、彼女はすぐ冷静に考える。

 楓が、何の意味もなく自分を食事に誘うような人物ではないとわかっていた。


「で、本当は?」

「……参ったなぁ……じゃあ逆に聞くけど、何で誘ったと思う?」

「……私が天廷会に入るかどうか気になったとか?」


 楓は驚いたような表情をする。

 だが、すぐその表情は笑顔に変わった。


「何々? 入る気になった? 真白に誘われたのか? まあ、だからって無理に入る必要は無いけどさ」

「……楓は、真白ちゃんなら私を勧誘するってわかってたんじゃないの? だから、海で連絡先を交換するように言った。違う?」


 楓は不敵な笑みを浮かべる。


「へぇ……凄いな。流石は青子だ」

 

 青子はこれを肯定と受け取った。

 楓は、自分を勧誘するために真白を使ったのだ。

 そう思うと、楓に対する不信感が生まれてしまう。


「私なんかいてもいなくても変わらないよ?」

「いや、青子は優秀だよ。俺が大学で出会った人間の中では、五指に入るレベルだ。天廷会に入ってくれたら凄く頼りになるだろうな」

「……だからって、楓……。真白ちゃんの気持ちを利用するのは……良くないよ……」


 楓は目を伏せる。

 青子には心の底から申し訳なさそうに見えた。


「……そうだな。でも、俺はアイツに求められるようなことがあったら、断ったりはしないよ。アイツのことは、どちらかと言えば好きだからな。……アイツが俺のことについてお前に相談することは予想できた。まあ、お前が真白に勧誘されるかどうかも、その勧誘を断るかどうかも、俺にはわからなかったし、どちらでもよかった。面白くなると思ったから、連絡先を交換させただけなんだ」


 楓が嘘を吐いているようには見えなかった。

 青子は、彼が本心からそう言っていると感じた。


「……楓はいつもそうだよね。『面白いから』ってだけで、色々な種を蒔いて、あとからそれを回収したりしなかったり……。教主様になるためにも、色々と種を蒔いてたんでしょ? それを全部回収したわけじゃないんだろうけど……。まさか、真白ちゃんも種だったわけじゃないよね?」


 青子が聞きたいのは、楓が真白を利用しているのではないかということだった。

 彼と真白の間にあった出来事を青子は知らない。

 青子には、楓が教主を目指すようになった要因に、『面白いから』という理由があると確信があった。

 むしろ、それが最大の理由なのではないかと勘繰っていたのだ。


「違うよ。もちろん違う。俺はアイツに感化されて、天廷会のために頑張ろうと思ったんだ。そのために今だって新しい修行を考えていたりするんだ。何度も言うが、俺はアイツが直接好意を向けてくることがあったら、それに応えるつもりでいるんだ」

「楓からっていうのは……考えてないの?」

「アイツの気持ちの問題だ。俺は……飽きられやすい人間だからさ……」


 楓は、何度も付き合ってきた女性に振られた経験があった。

 青子もそれは知っている。

 だから、彼が自分から、他人に恋愛感情を向けるようなことはしないとわかっていた。


「……真白ちゃんから、私が天廷会に入ってくれたら嬉しいって言われたの。そんな風に言われたらさ……断れないよ。楓は真白ちゃんがそういう風に言うって想像しなかった?」

「……ああ。悪いな、お前が気にする必要はないよ。俺から真白にフォローしておく。天廷会に入ることを強制したくはない」

「……私は……」


 青子は、もう悩んでいなかった。

 それが楓の策略なのかもしれないと思っても、純粋な真白の傷付く顔を見たいとは思えない。

 彼女は、入会を決めていた。


「……一応聞いておくけど、本当に天廷会の為に……というか、真白ちゃんのために頑張ってるんだよね?」

「ああ、それも間違いないよ。……あと、面白いことも考えてるんだ」


 不敵に笑う楓を見ると、青子は眉をひそめてしまう。

 彼が言った『面白い』という言葉が、どうしても頭に引っかかってしまう。

 だが、この場でそれを言う気にはならなかった。

 彼女は、一度楓のことを諦めた自分が出る幕ではないと思ってしまっていたのだった。



 天廷会館



 真白は違和感を抱いていた。

 何かが妙だと感じるのだ。

 その原因は、楓が忙しなく会館の中を歩き回っていたからだ。

 どうやら幹部連中やそれ以外の会員の数人と、何かを話し合っているようだった。

 真白は楓の手が空いた一瞬の隙を突いて話しかけにいった。


「何を忙しそうにしているんですか?」


 楓は待ってましたと言わんばかりに口を開いた。


「ああ、聞いてくれよ真白。実は、今度新しい修行を増やそうと思っているんだ」

「え?」

「有料にはなるが、神聖な場所を使って、自然の中で読経する修行なんだ」

「え? え? ちょ、ちょっと待ってください……それは一体……」


 真白は自分の耳を疑った。

 何より、『有料』という言葉が彼女は気になった。

 ひたすら困惑の表情を浮かべる。


「それと、マルチを再開しようかなって思ってるんだ」

「な……!」

「もちろん以前と同じ企業に提携を求めた。一度断りを入れたから、こっちは少し難航しているが、まあ、定例会では良い方向に話が進んでいる。時間の問題だろうな」

「黒倉さん……でも、それは……」

「お前の言いたいことはわかってる。マルチに良いイメージが無いんだろ? でも、犯罪じゃない。会員を増やすのに手っ取り早い方法ってだけなんだ。天廷会を大きくするためだしな」


 真白は動揺していた。

 楓がそんな話をしてくるとは予想していなかった。

 元々、楓に助けを求めた理由の一つには、自分の祖父の創り上げた宗教団体を、変えてほしくなかったからというのもあった。

 楓もそれに同調してくれたはずだった。


「どうして……天廷会を大きくする必要があるんですか? 私は……そんな危険な手段を使ってまで、天廷会の発展を望んでいません。マルチは違法ではないかもしれませんが、必ず損をする人間が現れます。全員が頭良く動くわけではありませんから」

「わかってる。でも、多少は仕方ないだろう。天廷会を大きくするためにはな」

「だから……何の為に……」


 楓は真面目な表情になった。


「……このままだと、天廷会は緩やかに消滅していく。玄野……前の教主もそれをわかっていたんだ。今の時代、宗教法人一本でやっていけるほど簡単じゃないんだよ。天廷会を守るためには……『人』と『金』がいる。だから、マルチは必要なんだよ」


 真白は天廷会の会計事情を知らない。

 楓は感情論ではなく、合理的な理由でマルチの提案をしているのだ。

 真白には、それを否定するだけのもっともな理由を持ち合わせていない。


「でも……私は、今の天廷会が好きなんです」

「ああ、わかってるよ。でも、今のままだと、天廷会そのものがなくなって、みんないずれ離れ離れになるかもしれないんだ。例えば朱音。アイツの心の拠り所は天廷会だけだ。もしここが無くなったら……アイツは今度こそ完全に壊れてしまうかもしれない。……いや、そうなるはずだ。他の奴だってそうだ。佐奈だって、近藤さんや、立花さんだって、佐々木さんもそうかもしれない。俺は教主だ、みんなを守る必要がある。……違うか? 真白」


 真剣な眼差しを向けられると何も言いづらくなってしまう。

 だが、真白は彼の言葉から一つの疑問を抱いた。


「黒倉さん……どうして、天廷会が無くなった後のみんなの心配をしているんですか?」

「だから、それは俺が教主だからだよ」


 真白は首を横に振る。


「違います。私は、天廷会が今のままでいられなくなるくらいなら、自然消滅してしまっても仕方ないと思っています。そして、みんなはその後もきっと、新しい居場所を見つけると信じています。……兄もきっと……」


 真白はもう誰も何も疑うことはない。

 彼女にとって天廷会は大事な場所だが、それ以外にも大事なものはたくさんあるとわかっていた。

 救ってくれた楓には感謝していたが、もう兄の心配もしていない。

 天廷会が無くなっても、兄の居場所を新しく探す必要ができたとしても、必ず明るい未来が待っていると、そう信じていたのだ。


「……お前は、天廷会が無くなると困るんじゃなかったか?」

「今は……もう違います。でも、黒倉さんには感謝していますよ? だからこそ、黒倉さんに天廷会を変えてほしくないんです。せめて、祖父の創った天廷会のままで終わってほしい」

「だが、朱音はどうなる? アイツが新しい依存先を見つけられるわけがないだろ? 他の人だってそうだ。天廷会を失うわけにはいかない人間ばかりなんだよ」


 楓は珍しく少しだけ焦燥感を露わにしていた。

 自分に同調してくれない真白が意外だったのだ。


「そんなの黒倉さんにはわからないはずです! 雀野さんだって、きっと新しい場所を見つけられるはずです! 他のみんなも!」

「……俺は信じられないな。楽観視したくもない」

「黒倉さん……」


 正しいことを言っているのはどちらなのか、真白にはわからなかった。

 だが、彼女は今、初めて気付いてしまった。

 彼が言った『信じられない』という言葉が、今までの自分と重なった。

 楓は、自分と同じだったのだ。



『私は間違ったことをしていたわけではない。だが……周囲の者の気持ちを汲めていなかった。私と彼らの望むものが違っていただけなんだ。……楓君は、昔の私によく似ている。彼はきっと、正しい方向に進むことだろう。だが、それを君が許容できるとは限らない。彼の選ぶ道が、君の望む道ではないかもしれないんだ。……もし、君と彼の望む道が違っていた時、君はどうするかな? それでも彼に付いて行くかい? それとも、彼と対立するかい? 君の選択は、どっちだろうね?』



 真白は、玄野の言った言葉を思い出していた。

 自分はこの時、『楓を信じて付いて行く』と答えた。

 だが――。


「黒倉さんは、みんなのことを信じられないって言うんですか?」

「ああ、当たり前だろ? 別に信じたくないわけでも、みんなのことが嫌いなわけでもない。ただ、物事を楽観視して、雑に『信じる』なんて言葉を使いたくはない」

「……私のことは? 私が大丈夫だと確信しているんです。私を信じてはくれませんか?」


 真白は縋る様にそう言った。

 だが、楓の態度は変わらない。


「そんなの何の意味もない。お前のことを信じても仕方ないだろ」

「黒倉さん……」


 真白は、玄野の言ったもう一つの言葉を思い出した。



『……真に彼のことを大切に想うのなら、一度彼と距離を置くのもいいかもしれない。俯瞰して彼のことを知るべきなんだ。正しいかどうかではなく、自分が同じ道を志せるのかどうか、ハッキリとさせておいたほうがいい』



 彼の言葉の通り、真白は今、ハッキリと自分の意思を示す必要があると考えた。


「私は……黒倉さんに付いて行くことはできません」

「真白……」

「私は、今確実に誰かを不幸な未来に導くようなやり方をするくらいなら、きっと明るい未来が来ると信じる方を選びます。たとえ、結局大多数を不幸な未来に追いやる可能性があっても」

「俺はそんな明るい未来なんて信じられない。信じられるわけないだろ……真白……!」


 楓は初めて真白に対して苛立ちを見せていた。

 彼は他人に怒ったことがないわけではない。

 いつだって、彼のやり方に付いて行けなくなってきた人間と対立してきた。

 楓は、自分自身を信じることはできても。他人の可能性を信じることができなかったのだ。


「黒倉さんがそのつもりなら、私は全力で阻止してみせます。私は黒倉さんの味方にはなれません」

「真白……!」


 楓は真白を強く睨みつけたが、すぐに平静を取り戻した。

 そして、フッと笑って見せる。


「無駄だぜ……もう話はだいぶ進んでいる。今更お前にできることはねぇよ」

「それでも……黒倉さんの思い通りにはさせません!」

「へぇ……ま、どうするかは知らないけど、楽しみにしておくよ」


 楓は背を向けて去っていった。

 真白は拳を握り締める。

 彼も自分と同じ様に、人を『信じる』ことができるようにするために。

 必ずその企みを阻止すると決意した。

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