第9話 ②
天廷会館
青子は、真白に誘われて天廷会館にやって来ていた。
真白は楓の目の前だと態度が裏返ってしまう。
本日想いを伝えるために、もしものことがあった時に青子に助けをもらいたかったのだ。
もちろん、楓にそのことを悟られないためにも、『天廷会の活動の体験』という名目で彼女を連れてきた。
連れてこられた青子は若干緊張していた。
「えっと……これから何があるのかな?」
「修行です。黒倉さんもいますよ」
楓は、教主となってからも会館にしょっちゅう顔を出していた。
しかし、これまで程の頻度ではない。
本部での仕事もあるので、修行の時間に現れるくらいになっていた。
「それでは行きましょう!」
「う、うん……」
青子は天廷会のことを詳しくは知らない。
あくまで『体験』ではあったが、そのまま勧誘されてしまうのではないかと警戒していた。
*
第一ホールに入ると、青子は真っ青になった。
「天亜気偲士顕自滅理朴櫓…………」
信者たちが両手を合わせるかどうかという距離で、上下に動かしながら御経のようなものを唱えている。
目は開いていて、瞬きをしている瞬間が捉えられない。
全員が一様に同じ動作をしている様は、異様としか表現できない。
そして、その集団の先頭に楓はいた。
信者たちの方を向いて同じ様なことをしている。
その姿を見ると、青子は動揺せざるを得ない。
「……あの……真白ちゃん……」
「何ですか?」
真白は普段からこの活動に参加している。
今更不思議に思うことは無い。
「私も……これやるの?」
「やりましょう! 面白いですよ!」
真白は明るい顔でそう言った。
この修行には、天廷会の第一理念である、『結束』を高め、『救済』を目指すという意味がある。
必ず信者複数で行い、およそ二十分の間これを続ける。
真白は、この修行はあくまで宗教活動として必要なものだと考えているだけで、その異様さ自体は理解していた。
恐らく信者のほとんどが真白と同じことだろう。
真白が青子にこの修行を『面白い』と言ったのは、こんな異様な行為を集団ですること自体を馬鹿にしているからに他ならない。
だが、それでも彼女は修行にいつも参加している。
それが習慣だったからだ。
「……わかった。私もやるね」
青子は仕方なく修行に参加した。
断る理由が思いつかなかったからだ。
彼女は無心になって集団に混ざっていった。
*
修行が終わると、信者たちはそれぞれ散り散りになる。
青子は真白と共に楓の下に向かった。
長いこと正座していたため、足が痺れてしまっている。
おまけに喉も乾いてしまった。
青子は休憩したくなっていた。
「黒倉さん」
「ん? 真白か……。青子もいるのか?」
楓はそこまで意外そうな表情をしていなかった。
青子が会館に来るのは初めてのことではない。
だが、青子はそんな楓に一瞬違和感を持つ。
「体験しに来たの、まあ、休みだから、暇潰しみたいな?」
「そりゃ結構な暇潰しだな。ハハハ」
暇潰しで知らない宗教の活動に来ることなど普通ではない。
だが、楓は深く言及しなかった。
「あの……少し話が……」
「あー、悪い。この後本部で三木さんと話があるんだ。また今度にしてくれるか?」
「え……そ、そうだったんですか?」
「ホントごめん。ぜってぇ埋め合わせするからさ」
そう言って楓は会館を後にした。
青子が来た意味はすぐになくなってしまった。
「……黒倉さん……最近私より三木さんを頼りにしている気がします……」
青子はしょんぼりする真白を見て、すかさずフォローを入れに行く。
「そんなことないって! 真白ちゃんにしかできないこともあると思うよ? 同じ様に三木さん(?)っていう人にしかできないことがあるって話でさ!」
「そうですかね……いや! そうですよね! そうに決まってます!」
真白はすぐに元気を取り戻す。
しかし、青子は疲労が溜まった様子だった。
「では、竜胆さん。『講習』に行きましょうか!」
「え? 『講習』?」
天廷会の活動には、『修行』の他に『講習』というものもある。
もちろん、全ての活動に強制力があるわけではない。
だが、会員のほとんどは、その二つにだけは必ずと言っていいほど参加していた。
青子は、真白に連れられるままに会館の研究室に向かった。
*
「『天廷』とはそもそも、我々の住む現世とは別に、独立した空間を形成している、天における運命の裁きを意味しています。我々はその天による裁きを受け入れ、または抗い、生と死を流転しているのです。そして――」
青子は渋い顔をしていた。
まるで講師の言葉が理解できない。
話が頭に入っていかない。
今自分が何をしているのかすらわからなくなっていた。
『講習』では、天廷教の教えを学ぶ活動を行っている。
当然興味のない人間からすれば、頭に入っていかなくても仕方がない。
しかし、会員達は周りに合わせるために『講習』に参加せざるを得ない。
時間はそこまで長くはなく、会員達が苦痛に感じない程度に抑えている。
ただ、興味が無いどころか学ぶメリットすらない青子からすれば、参加するだけで苦痛になっていた。
*
暫くして講習が終わると、青子はぐったりしながらエントランスのソファに座った。
真白もその正面のソファに腰を下ろす。
「そうしてだらけていると、平日昼間の主婦のおばさんみたいですね」
「真白ちゃん……癖出てるよ」
真白はハッとして口を塞いだ。
「……私、ちゃんと体験しに来ただけになっちゃったね」
「すみません……私が黒倉さんのスケジュールを把握していなかったために……」
青子は首を振った。
「いや、『応援する』って言ったのは私だし、気にしてないよ」
「本当ですか? では! 応援ついでに、天廷会に入会されませんか!?」
「それは……まあ、考えとくね……。とにかく、私は大丈夫だからってことで……」
そう言いつつ、青子は違和感を持っていた。
それは、真白に対してではない。
楓に対してだ。
――なんか……妙な感じがする。
その違和感の正体はわからない。
彼女は思考を働かせる。
「竜胆さん?」
一人俯く青子には、真白の声が届かない。
――そういえば……そもそも、何で真白ちゃんは私を頼ってくれたんだろう。
――いや、楓と真白ちゃんの共通の知り合いなんて、私しかいないか……。
違和感を無理やり消し去ろうとする。
その時――。
「あ、この前の!」
「げ」
受付から、先ほどまではいなかった人物が向かって来る。
「真白たーん!」
佐奈は真白にソファの後ろから抱き着いた。
「……灰原さん、いつの間に来たんですか……」
「さっき! 交代の時間だったからねー。あ! というか、この前の海以来ですよね? 確か……竜胆青子さん?」
「あ、どうも」
佐奈と青子はそこまで関係は深くない。
ただ、青子からすれば、ずっと真白に引っ付いている彼女の存在は印象的だった。
「そっか。真白たん、私のアドバイス聞いてくれたんだねー。嬉しいー」
「え? アドバイス?」
「そうなんですよー。なんか、楓君のことが知りたいって私に尋ねてくれたんですけど、私は何も知らないから、この前海で会った楓君のお友達に聞いたらどうかって言ったんですー」
真白は苦い顔をする。
彼女は当初、なりふり構わずに佐奈に尋ねてしまったのだが、それまで誰に楓のことを聞くか思い付いていなかった。
「ああ……そういう理由で……」
「でも、そもそも連絡先知ってるのかなって思ったんですけど……大丈夫だったんだねー」
佐奈は執拗に真白に頬擦りをする。
真白は嫌がりつつも無理やり振りほどきはしない。
「……まあ、海で交換しましたからね」
「あ! そういえばそうだったね! 確か……楓君に言われて交換してなかった?」
――……え?
青子は、ほんの少し思考が止まってしまった。
「あー……そうだったかもしれませんね」
――そうだ……そういえばそうだった……。
真白と同じく青子も思い出す。
『青子は商才があるし将来的に頼りになるから、今のうちに仲良くなっとけ』
楓は笑いながら冗談の様にそう言って青子と真白の連絡先を交換させていた。
そのことを、今更ながら青子は思い出した。
「ところで、青子さんは天廷会に入会されるんですか? 知ってます!? 今、入会特典でトートバッグが貰えるんですよ!」
「そ、そっかぁ……」
青子は少し怯まされたが、同時に止まった思考を再び動かし始める。
彼女は、違和感の正体に気付き始めていた。
――真白ちゃんが私を頼ってくれたのは、そもそも真白ちゃんが私の連絡先を知っていたから……。
――そして、交換を勧めたのは楓……。
――まさかとは思うけど……。
「……私、友達いないんです。青子さんが天廷会に入ってくれたら……その……嬉しいかも……。なんて、あはは……」
真白は、生まれて初めて他人と仲良くしたいと思っていた。
それは、青子が自分の恋を応援すると言ってくれたからだ。
照れくさそうにしながら、彼女は自分の気持ちを素直に出していた。
だから、青子は反応に困ってしまう。
「そ、そうだね……。う、うーん……」
真白だけではない、佐奈も迫ってくる。
「真白たんが私以外に友達を!? そ、そんな……。でも! 私はポジティブシンキング! 真白たんの友達は私の友達ですよ! 入っちゃいましょうよ! ね! ね!」
「灰原さん、無理は良くないですよ」
真白は佐奈を窘めるが、本心ではないことは明らかだ。
その目はもう、青子に対して『入ってほしい』という願望で溢れている。
「……と、取り敢えず、色々考えるね? 色々……ね?」
「……はい……」
真白は、青子があまり乗り気ではないと見るや否や、項垂れてしまった。
青子の良心は激しく痛んでしまう。
彼女はもう……断る理由などは探していなかった。
――まさか……楓……。
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