第9話 ①

 喫茶店『ミスズラ』




 真白は、休日に青子を呼び出していた。

 海水浴場で色々とあり、連絡先を交換したのだ。

 二人は喫茶店のテラス席で、向かい合って座っていた。


「嬉しいなー、真白ちゃんから会いたいだなんて。お姉さんどんな悩みも聞いちゃうよー」


 五つ年上の青子はすっかり姉気分だ。

 学生の知り合いも他にいないため、真白は彼女にとって仲良くしたい対象だった。


「竜胆さん」

「なぁに?」


 真白は真っ直ぐな瞳で青子を見つめる。


「私、黒倉さんのことが好きなんです」

「…………え?」



 一瞬時が止まる。

 青子は聞き間違いかと疑ったが、真白の綺麗な目を見て、本心からそう言っていると感じ取った。

 真白はそのまま自分が楓に対してどう思っているかを詳細に説明した。

 青子は色々な感情を抑えながら聞き手に回った。


「……そっか……楓のことが……」

「はい」

「そっかぁ……」


 青子は少し考えてから口を開く。


「……わかった! 私、真白ちゃんのこと陰ながら応援するね! 大人のお姉さんとして、何でも聞いてくれていいからね!」

「ありがとうございます。まあ、私も成人しているので、『お姉さん』扱いはできないですけど……頼りにはさせてもらいます」


 真白は自分を子ども扱いしてくる人間があまり好きではなかった。

 なので、最初に会った時に自分を『ロリ』と呼んだ青子に対しては、良い印象を持っていない。

 しかし、自分の恋を叶えるために、彼女はなりふり構っていなかった。


「楓のことなら何でも聞いてよ! 好みのタイプとかも教えようか!?」

「それは……いいです。真反対だと知っていますから……」

「そ、そっかぁ……」


 真白は一瞬ネガティブになりかけたが、必死に自分を取り戻す。


「でも! 私は諦めないと決めました! 必ずあの奇人を落としてみせましょう!」

「おお! 頑張れ、真白ちゃん!」


 青子は真白につられて気合を入れたのだが、すぐに落ち着きを戻す。

 そして、冷静に息を吐いた。


「でも……楓か……。真白ちゃんは、楓のどこを好きになったの?」


 青子は、真白が楓のことをどの程度理解しているのかが気になった。

 彼女も楓に対しては特別な感情があった。

 もちろんそのことを真白は知らない。


「……黒倉さんは、私がいくら酷いことを言っても、気にしないそぶりを見せてくれるんです。私も直したいとは思ってるんですけど……。でも、もう癖になってしまっていて……。それなのに優しく接してくれることが、私はとても嬉しくて……。でも……こんな私を好きになってくれるはずがないですよね……」

「……そんなことないよ」

「……最初に黒倉さんのことが気になったのは、黒倉さんが私の悩みに気付いてくれた時です。黒倉さんのおかげで、私は他人を信じていいのだと思うことができるようになりました。……多分。他にも、私は黒倉さんがいつもみんなに明るく話しかけているところが好きです。本当は面倒だと思ってるんですよ? でも、『俺は人相が悪いから、常に明るくしてなくちゃいけないんだ』って、自分の短所をものともしないで頑張っているんです。そんなところが……良いんですよね」


 真白の楓に対する想いはまだ続く。


「この前私と出掛けた時、黒倉さん、飲み物を頼むときに、『お前キャラメルが好きだったろ』って言ってきたんです。私が最初のデートで、キャラメルバナナ味のクレープを頼んだことを覚えていたんですよ? 私、それが嬉しくて、嬉しくて……。多分、また皮肉めいた言い回しで返してしまったんですけど、もう自分が何を言っているかもわからなくなってしまいました」


 青子はだんだん気付いていった。

 真白は、どうしようもないくらい楓に恋をしてしまっているのだと。


「それから……あ! いや……すみません、こんなに喋っても仕方ないですよね。恥ずかしい……。このまま黒倉さんの良い所話していたら、日が暮れちゃうところでした……」


 真白は両手で赤くなった顔を隠す。

 その姿が非常に愛らしく、青子は力になりたいと思わされた。


「……そっか……そんなに……」


 青子は真白の思いの強さを知り、はっきりと伝えようと考えた。

 もし彼女が本気で楓のことを想っているのなら、『黒倉楓』という人物を詳らかにしてやらなくてはならない。

 それは、自分の役割だと思ったのだ。

 青子は自身のレモネードをかき混ぜながら話し始める。


「ねえ、真白ちゃん。真白ちゃんは、楓と最終的にどうなりたいの?」

「え!? そ、それは……もちろん……け……結婚……とか……?」


 そう言って、手を振って自ら否定する。


「いや! いやいや! 流石に重いですよね!? それは流石に言いすぎましたけど――」

「ううん、言いすぎじゃないよ」


 さらに青子は否定した。

 レモネードを混ぜる手が止まる。


「楓に限って言えば、むしろそのくらい先のことを考えなくちゃいけないと思う。楓は……先のことしか見ていないような人だから」

「それは……確かにそうかもしれないですけど……」


 真白から見ても、楓は未来志向の人間だった。

 楓は、最初に自分が提案した『教主になる』という目標に対して、明確なビジョンを持って行動していた。

 恐らく教主になってからも、楓はずっと明るい未来を目指して、様々な仕事に取り組んでいる。

 それは真白にもわかっていた。


「こんな話真白ちゃんに聞かせることでもないかもしれないけど……楓と今まで付き合ってきた人って、みんな楓を振って別れてるんだ」

「え?」

「みんな……最初は楓の良い所ばかり見て、楓に告白したんだと思う。楓も優しくて断らない。でも……結局長くは続かない。先のことばかり見る楓に、みんな付いて行けなくなるんだよ。まあ、楓はそれも気にしないんだけどね」


 真白は息を飲んだ。

 以前、玄野に言われた言葉を思い出したからだ。



『……もし、君と彼の望む道が違っていた時、君はどうするかな? それでも彼に付いて行くかい? それとも、彼と対立するかい? 君の選択は、どっちだろうね?』



「真白ちゃんは……先のことを考えられる? 楓はずっと先を見据えて生きている。それが煩わしいと考える人もいる。……真白ちゃんはどう?」

「私は……」


 玄野の言葉を思い出した理由はわからなかった。

 だが、言い知れぬ不安を抱いてしまった。

 真白は、楓と自分が離れ離れになる可能性を考えた。

 しかし――迷いはなかった。


「私は、秘書検定を受けるつもりです」

「え?」


 真白の瞳は、先程と同じく真っ直ぐだった。


「そして、大学を卒業したら、黒倉さんの右腕として働いていこうと考えています」

「そ、そうなの?」

「はい。そして……黒倉さんと結婚するわけですが――」

「結婚するんだ!?」

「私は、黒倉さんの実家に住まわせてもらうつもりです。黒倉さんもお母さんと離れたくないでしょうし、もし私の家族が文句を言う様なら反論も考えています。好きにしていいって言ったでしょって。黒倉さんの家は元々三人で住んでいたわけですし、私がお邪魔してもそこまでの負担にはならないと思います。あ、子どもは二人欲しいですね。入学や卒業のイベントが被らないように考慮すると、二年はスパンを空ける必要がありますかね? 私の両親は、老後は天廷会の施設に行ってもらおうと考えています。まあ、現実的ではないかもしれませんけど。兄もなんとかやっていくことでしょう……そこは結構楽観的に見ちゃってますけど。…………黒倉さんの所為で、こんなにいろんなことを考えてしまいました……。私も……未来を見ているつもりです。私なりに……」


 あまりにも具体的な将来設計に、青子は唖然としてしまった。

 だが、一部困難な部分もあった。

 そこは、真白が楽観視しているためでもある。

 しかし、それでも真白は明るい未来を見ていた。


「真白ちゃん……メッチャ考えてるね……」

「黒倉さんより先を見れていますか?」

「……それはわからない。ただ……真白ちゃんみたいな人は今までいなかったと思う」

「じゃあ! 成就するということでしょうか!?」


 真白は目を輝かせた。


「……楓は、真白ちゃんに告白されて断ったりしないよ。大事なのは楓の気持ちより、真白ちゃんの気持ちだと思う」

「私の……?」

「うん。真白ちゃんが……楓をずっと想い続けられるかどうか……だと思う」


 青子は目を伏せる。

 彼女は、今まで楓に告白をしてきた人物たちを思い出していた。

 皆、楓の傍にいるだけで、彼の類まれなる行動力に置いていかれ、その想いを薄れさせていった。

 ……自分とは違って――。


「そんなの、決まってるじゃないですか」

「……真白ちゃん」

「私は自分の気持ちを信じています。だから……絶対、私の方から黒倉さんを嫌いになったりしません! 絶対です!」


 何の根拠もない言葉だった。

 だが、青子はそれをサラッといえる真白が羨ましかった。


「……そっか……そっか! 頑張れ真白ちゃん!」

「当然です!」


 真白は得意げな顔をした。

 青子はただ微笑ましくその表情を見つめる。

 そして、少しだけ後悔してしまった。

 ――ああ……私は……何で諦めちゃったんだろう……。

 ――自分が他のみんなみたいになるのが嫌で……自分の気持ちを信じ切れなかった……。

 ――私は……。


 青子の胸中を、真白は決して悟ることができなかった。


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