第8話 ②
海の家前
佐奈と砂浜や海を走ったり泳いだりして回った真白は、海の家の前にあるテントの下で休憩していた。
佐奈は真白の為に飲み物を買いに行っている。
真白は一人で溜息を吐いていた。
「はぁ……私……何やってんだろう……」
「休憩しているように見えるが?」
突然独り言に返事が来た。
「……! 貴方は……」
「やあ、久しぶりだね」
返事をした人物は――黄道麟示郎。
いや、本名は玄野武。
何食わぬ顔で、その男はそこにいた。
「……何故ここにいるんですか? 黄道さん」
「その名はもう捨てたんだ。今の私は玄野武だよ」
「……」
真白は楓から玄野がどういう人物だったかは聞いていた。
彼の決定が真白にとってもいい方向に進んだとはいえ、漂う圧迫的な雰囲気にはまだ慣れない。
「玄野さん、何故ここに?」
「ほんの暇潰しさ。君たちの動向を見ておきたくてね。どうだい? 楓君との仲は。彼のこと、好きなんだろう?」
「……お爺さんが、若者の恋路に首を突っ込むものではないですよ」
「それもそうだ」
玄野はハハハと笑った。
「…………」
「何だい? ずっと見つめて」
「いえ、何というか……こうして見ると、体はちゃんとジジイだなぁって……」
「……そうだね」
「むしろ顔とのバランス悪いですよね」
「わかった、ありがとう」
真白の悪口をすかさず遮断する。
玄野にも一応プライドがあった。
「……その様子だと、上手くいっているようだね」
「まあ、運営は問題ないようですよ? 黒倉さんは人を使うのが上手いみたいです」
真白は自分のことの様に誇らしげに語った。
「確かにそうだ。彼には『行動力』という目を引く長所がある。優秀な幹部たちをその行動力で使いこなせば、運営には……問題は出ないだろう」
「『運営には』?」
「……君は、どれくらい彼について詳しいのかな? いつも一緒にいるようだが……」
「どれくらいって……」
真白は言葉に詰まった。
よく考えれば、自分は楓のことをよく知らない。
そもそも知ろうとすらしてこなかった。
そして、彼女はそのことを恥じる。
「……長所くらいなら……わかってるつもりですけど……」
「そうか……。まあ、彼と仲良くしたいのなら、多少は知っておいた方がいいかもしれないな」
「はい……」
楓のことで頭が一杯の真白は、楓のことについての話では、本人のいない時だけ素直になった。
「彼は優秀だよ、間違いなく。今のところ、彼の良い話題しか耳に入っていないからね」
「まあ? 周りの人間が優秀というのもあると思いますけどね?」
真白は得意げな顔を浮かべる。自分のことを含めて言ったつもりだ。
だが、玄野は無視して話を続ける。
「しかし……人は誰でも、何かを始めるたび、失敗を一度は経験するものだ。君は……その時彼を支えてあげられるのかな?」
玄野はいつもの様に不敵な笑みを浮かべていた。
真白は、そんな彼の言葉に不安を抱く。
「……当然です。それが私の役割なので。あ、でも、別に黒倉さんの為とかではないですよ? 天廷会の為ですから。私はそこまで盲目ではないですから」
「……大きな力を持つと、人は必ず小さなものが見えづらくなる。正しいことをしていたとしても、幸福になれるかは別だ」
「何の話ですか?」
玄野は目を伏せた。
「……これは、私の体験談なんだがね。昔、私が市議会議員に立候補した時の話だ」
「え!? 初耳なんですけど! 何者なんですか……?」
真白の疑問も無視して続ける。
「私は、明らかに達成困難なマニフェストを掲げ、見事に当選したんだ。市民はどうせ、公約など忘れると思ってね」
「いやいや……」
「しかし……二期は当選しなかった。私の信用は、その一度の当選の後に失墜していたんだ」
「それが何なんですか?」
「市民は公約のことなど記憶になかったが……私が嘘を並べていると、市民に対して吹聴する者が現れたんだ。まあ、実際達成していなかったのだから、『嘘』と断じられても仕方ないのだがね。そして……その人物は、なんと私の身内だった。私はその後、二度と政界には出られなかった。私を持ち上げていた人間たちは、気付いた時にはいなくなっていたんだ」
軽く掌を動かしながら、玄野は自分の過去を語った。
真白は彼のことなど興味はなかったが、その言わんとすることは何となく理解できた。
「……つまり、黒倉さんも同じようになると? 信者が離れていくと……そう言いたいんですか?」
「いや、システム上、信者が全員離れるということはないだろう。だが……私が言いたいのは、君のような身近な人間の話だ」
「私……?」
「私の悪評を振りまいたのは、私の側近だった。丁度楓君にとっての、君のような……ね」
「……!」
真白は息を飲む。
玄野はその様子が面白いのか、少しだけ声の調子が上がる。
「私は間違ったことをしていたわけではない。だが……周囲の者の気持ちを汲めていなかった。私と彼らの望むものが違っていただけなんだ。……楓君は、昔の私によく似ている。彼はきっと、正しい方向に進むことだろう。だが、それを君が許容できるとは限らない。彼の選ぶ道が、君の望む道ではないかもしれないんだ。……もし、君と彼の望む道が違っていた時、君はどうするかな? それでも彼に付いて行くかい? それとも、彼と対立するかい? 君の選択は、どっちだろうね?」
玄野は嫌らしい微笑みを真白に向けた。
真白は、自分が答えに困る疑問を受けていると理解していた。
だが、答える必要があるというのは本能でわかった。
「……私は、黒倉さんに付いて行きますよ。彼のことを、『信じて』いますから」
初めて玄野が真顔になった。
「……私の側近だった者と、同じことを言うね」
「え?」
「……真に彼のことを大切に想うのなら、一度彼と距離を置くのもいいかもしれない。俯瞰して彼のことを知るべきなんだ。正しいかどうかではなく、自分が同じ道を志せるのかどうか、ハッキリとさせておいたほうがいい」
真白は玄野の言っていることにいまいちピンとこず、眉をひそめていた。
玄野は立ち上がると、そのまま海の家の方に向かっていった。
真白は佐奈が飲み物を買って戻って来たので、彼を追うことはしなかった。
*
玄野は楓に話しかけに行った。
仕事中とはいえ、客は今のところ一人もいない。
そもそも、海水浴に来ている人間が少なかったからだ。
「やあ、楓君」
「……あんた、さっき真白に何話してたんだ?」
楓は机を拭く作業をしながら海の家の前にいた真白の方を見ていた。
「なあに、他愛もない話さ。君が気にすることでもない」
「成程、どうやら余計なことを言ったみたいだな」
楓はこれまでの短いやり取りの中で、玄野の不敵な笑みにはいくつか種類があることを見抜いていた。
些細な変化から、彼が隠し事をしていることくらいは読み取れる。
「どうだい? 上手くいっているかい?」
「まあ、ぼちぼちかな。あんたがまともな引継ぎをしてくれたおかげで、大助かりだよ」
「それは良かった。だが……」
楓の疑問を待つように、玄野は意味深に笑う。
「何だよ」
「君はきっと、天廷会の為に頑張っているのだろう。だが、君の選ぶ道に全員が付いてくるとは限らない。私だって、まさか自分を陥れる者が現れるとは思っていなかったわけだしね」
もちろん楓のことを話している。
楓は、少しきまりを悪くする。
「……肝に銘じておくよ。ま、俺はそれでも構わないけどな」
「そうなのかい?」
「あんただって、前に言ったろ? 俺はあんたと同じだって。そうだよ、俺は『面白ければ』それでいい。退屈な人生に、明るく楽しい要素を入れられたら満足なんだ」
「…………」
楓は両手を広げた。
表情はとても晴れやかだった。
「俺は、今を半端なく楽しんでいる! 次から次へと天廷会の新しいイベントが思いつくんだ! 楽しくって仕方ないんだ!」
「私が思っていた以上に、君には天職だったようだね」
「ああ、そうらしい。だから……将来的にどうなろうが、正直どうでもいい。たとえ、あんたの言う通り、誰も付いてこなくなってもな。それまでを楽しむんだ」
「……そういう考え方か。……面白い」
玄野は楓に背を向けた。
「? 帰るのか?」
「ああ。君らと話したかったのは事実だが、家内と娘を待たせているものでね」
「所帯持ちだったのか!?」
「では、失礼しよう」
玄野はもう少し離れた浜辺の方に向かっていった。
楓たちがいる場所は人の少ないスポットだったが、別の浜辺には、夏らしく人が大勢いる。
そもそも、海の家の構えている傍の海は、遊泳禁止エリアとかなり近く、おまけに水深も深いために、人気が少なかったのだ。
玄野が去った後も、海の家にはなかなか客が来なかった。
楓は少しして、予定より早く休憩に入ることになった。
*
「楓―、ドッチボールしよーよー」
青子は休憩に入った楓を早速誘った。
青子の同僚は、他人が加わることに全く嫌悪感を抱かない。
彼らは楽しめれば何でもよかったのだ。
「いいぜ、この俺の必殺シュートを見せてやるぜ!」
青子は当然の様に真白たちも誘った。
真白は楓が入るなら断る理由は無い。
佐奈はもはや真白の付属品の様になっていた。
朱音は青子と一緒にいたので、もちろん参加することになる。
「君、可愛いね。大学生?」
真白は青子の同僚の男に軽口を叩かれる。
「は? 何で貴方に教えなくちゃいけないんですか?」
「お、おおぅ……ごめんなさい……」
残念ながら、今の彼女は楓に良い所を見せることしか頭にない。
「楓君って言うんだー。青子の友達なんでしょ? どこで働いてるの?」
楓もまた、女性に話しかけられていた。
「教主様やってます」
「はい?」
残念ながら理解されることはなかった。
「おっしゃ! 全員ぶっ倒してやるぜ!」
「頑張ってください! 教主様!」
「朱音ちゃーん、楓君は敵だよー」
楓と真白は同じチームとなった。
佐奈と朱音、青子は二人の敵陣営だ。
そして、ビーチドッジボールが始まった。
ボールはバレーの時に使っていたものと同じで軽い素材。
当たっても大して痛くはないが、顔面に当たったらセーフというルールだ。
「いくぞー」
青子側のチームの男性がボールを投げる。
「おらあ! こいやあ!」
楓が挑発するものなので、男性は楓に向かって投げた。
ボールは真っ直ぐ向かっていき――。
バアンッ
「黒倉さん!? ……っと! キャッチ!」
楓の顔面に当たったボールを、そのまま真白がキャッチした。
楓は倒れこんだ。
「いっつ―……」
「大丈夫ですか? 黒倉さん」
「フ……まあ、これからさ」
「あの、投げます?」
楓は真白からボールを受け取った。
そして、大きく振りかぶる。
「次はこっちの番だ! おらあ!」
楓は力強くボールを投げる。
そのボールは……思いきり相手陣地の地面にたたきつけられた。
「ええ……」
流石に青子の同僚達も苦笑いせざるを得ない。
「教主様? お疲れですか?」
落ちたボールを拾った朱音は心配の言葉を掛けるが、誰がどう見ても煽りだった。
楓は自嘲した。
「……そういえば、俺、無職だった。体力も運動神経も捨てちまったんだよな……」
「く、黒倉さん……」
気にしないという風に皆が声を掛ける。
ドッチボールは再開した。
「黒倉さん! 私に任せて下さい! 足手まといの黒倉さんを守りながら戦ってやりますよ!」
「真白……!」
そして、朱音はボールを投げる。
「えいっ」
バン
バン
完全に余所見をしていた二人に、ボールが当たった。
楓と真白は最初にアウトになった。
「凄いよ、朱音ちゃん! ダブルキル!」
「真白たん! 楓君! ドンマイ!」
朱音は不意を突いたことは意識していなかったので、青子の誉め言葉に素直に照れていた。
敵の佐奈に励まされ、二人はしょんぼりとしながら外野へと歩いて向かった。
ドッジボールは、まだまだ続く――。
*
数時間後 海の家
夕日が沈むころ、既に青子たちは帰宅していた。
楓たちは片付けを終わらせていた。
「私……こんなに誰かと遊んだの初めてです。全部……全部教主様のおかげです!」
「朱音、気にするな。俺のおかげじゃない。お前が天廷教の教えを律儀に守って来たから、今があるんだ」
「教主様……!」
朱音を褒める一方で、天廷教への信仰も深めさせる。
こういったやりとりは、他の信者たち相手にもよくやっている手法だ。
「そうですよ。『天廷会に入ってよかった』って、そう思ってもらえたら、私も嬉しいです」
真白も楓に続く。
朱音のことは個人的には大切に想っているが、信者相手の態度はいつも同じようなものだ。
「はい! もちろんです!」
「よかったねー、朱音ちゃん」
佐奈は普段は真白のことばかりだが、彼女もれっきとした信者だ。
彼女も今の自分があるのは天廷会のおかげだと思っていた。
佐奈は真白に対していつもするように、朱音のことを後ろから抱きしめた。
「私は朱音ちゃんと違って両親がいたけれど、今はいないっていう意味では同じだからねー。そんな時……真白に出会って変われた。前に話したよね? 天廷会に入れば救われるって……最初は信じてなかったけど、実際本当に変わることができた。朱音ちゃんもどんどん良い方向に変わってるよ? 受付でずっと一緒の私が言うんだから間違いなし!」
「佐奈さん……ありがとうございます!」
朱音は柔和な微笑みを浮かべた。
「……いつも今みたいに呼び捨てにしてくれたら嬉しいんですけどね……」
「何で!? 『真白たん』って嫌!?」
「嫌です」
佐奈は『えー』と嘆いた。
微笑ましいやり取りに、朱音も楓も和むばかりだ。
「……やっぱり、そうだよな」
楓は一人静かに呟いた。
真白はよく聞き取ることができなかったが、楓が何か言ったことには気付いた。
「黒倉さん?」
楓は一旦海の家から離れ、砂浜に出た。
そして、ケータイをポケットから取り出す。
「……もしもし、三木さん?」
相手は幹部の三木。
楓が現在最も信用している人物の一人だ。
楓は自身が立案したイベントなどについての詳細な議論を幹部たちと行っていた。
だが、その全てを真白に伝えているわけではない。
彼女が小難しい話を理解できないという理由もあるが、そもそも彼女の方から尋ねることが少なかった。
今の真白は、自分では否定していたが、恋に盲目になっていたのだ。
「……はい……はい……ありがとうございます。それじゃあ、そういう手筈で。……え? いや、大丈夫ですよ。……はい……はい、お疲れ様です。ではまた」
楓はケータイを切った。
そして、静かに微笑む。
海の家にいる人物の誰も、外に出た彼の微笑みには気付いていなかった。
「……よし、これでいい。……面白くなってきた。フフフ……ハハハ」
楓の声も三人には届かない。
だが、真白は外で誰かと電話していた楓の様子を見て、先程の玄野の言葉を思い出していた。
『……もし、君と彼の望む道が違っていた時、君はどうするかな? それでも彼に付いて行くかい? それとも、彼と対立するかい? 君の選択は、どっちだろうね?』
真白は二つ返事で楓に付いて行くと答えた。
だが、心の中では少しだけ悩んでいた。
楓の為になるのはどちらなのだろうかと考えていたのだ。
――私は、黒倉さんのことを知らなすぎる……。
――まずは……少しずつ知っていかないと……ですよね?
真白は目を伏せ、優しい微笑みを見せた。
確かに彼女は一歩踏み出していた。
楓に歩み寄ろうとしていた。
もし、それがもう少しだけ早かったなら、きっとまた別の結末へと向かっていたことだろうが……それは彼女にはわからない。
だが、いつ歩み寄ろうとしたところで、遅すぎるということはない。
彼女が進む道は、必ず明るい未来へと繋がっていた。
それは……彼女が楓に救われた時に……いや、彼女が楓と出会った時から決まっている。
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