第7話 ③

 路線バス内




 真白は疲れが溜まっていた。

 帰りのバスでは、今度も二人で一番後部座席に座っていた。


「まったく……よく考えたら、黒倉さんが女子にモテるわけがないんですよ……はぁ」

「何だよ、失礼だなあ。俺だって昔は彼女くらい――」

「うあああああああああああ」


 真白は叫ぶことによって、聞きたくない話を無理やり終わらせた。


「びっくりしたなぁ……大丈夫か?」

「別に……何でもないです……」

「それは嘘だろ……」


 ――黒倉さんの女性遍歴なんて聞きたくない……。

 ――あー……でも気にならないと言えば嘘になる……ぐぅぅぅ。

 真白は葛藤しながら妥協案を考え付いた。


「その……黒倉さんって……どんな女性がタイプだったりするんですか? いや! 何となく聞いてみたくなっただけですけどね!? 気になるわけではないんですけどね!?」

「そうだなぁ……。タイプかぁ……」


 真白は息を飲む。

 その答え如何によっては、自分が楓の恋愛対象から外れる恐れがあったからだ。


「まずは……年上かな!」


 ――ガハァッ!

 真白は精神的に大ダメージを受けた。


「あと、身長は同じくらいがいいかな」


 ――グホォッ!

 真白は追い打ちを受けた。


「あとは……優しくて、人のこと悪く言わない人とか?」


 ――キャヒィンッ!

 真白はもう限界が来ていた。


「あ! それと胸! 胸が大きい子が好み!」


 ――あ……あ……うあ……。

 真白は胸が小さかった。

 身長と同じく、発達が乏しかったのだ。


「まあ、そんなもんかなぁ」


 真白はピクピクと震えるだけで、何も言えなくなってしまった。

 全てがクリティカルヒットだった。


「は……はは……黒倉さん……喧嘩売ってます……?」

「え? あ…………いや! あくまで俺の好みの話だから! 一般論じぇねぇし、タイプじゃないってだけで、真白のこと嫌ってるわけでもないからな?」


 楓のフォローがトドメになった。

 真白にも彼の言葉の意味がわかる。


 ――『タイプじゃない』……。

 ――恋愛対象ではないということですよね……。

 

「フ……フハハ……ハハ」


 真白は現実から逃げたくなっていた。

 いや、既に彼女の魂はどこか別の世界に消えてしまっていた。

 ――そうだ……私……何を浮かれていたんだろう……。

 彼女は一気にネガティブな気分になってしまった。


「真白?」

「……ごめんなさい、少し寝ます」

「ああ、疲れただろ。着いたら起こしてやるよ」


 真白は目を閉じて窓側にもたれかかった。

 本当なら隣の楓に寄り掛かったりもしたかったが、そんな気分にはなれなかった。


 ――よく考えたら……私……何一ついいところないじゃん……。

 ――性格悪いし……低身長で……胸も無い……。

 ――黒倉さんに好かれる要素は……何もない……。


 涙は出なかった。

 彼女は、もうずっと昔から諦めていたことを思い出しただけなのだ。


 ――私はずっとそうだった……。

 ――お兄ちゃんのことで弄られるのが嫌で……自分から人を遠ざけて……。

 ――お兄ちゃんがいるから家に人を呼びたくないからって……友達と仲良くしすぎないようにしていたら……いつの間にか、友達を作ること自体を止めていた……。


 彼女は未来のことを考えていた。

 もし、仮に、自分と楓が結ばれていた場合の未来を。

 それでも……明るい未来を予想することはできなかった。


 ――そもそも、黒倉さんとどうなりたいっていうの……?

 ――結婚したいの……?

 ――結婚しても……それからどうするの?

 ――お兄ちゃんがいるから、私の家で一緒に住むことなんてできないし……将来お母さんとお父さんが死んだときのことを考えたら……私がお兄ちゃんの下を離れるわけにだっていかないんじゃないの……?

 ――初めから……望んではいけなかったんじゃないの……? 私の幸せなんて……。


 バスには二人以外の客はいなかった。

 ただ聞こえるのは、アナウンスの音声だけ。

 真白には、それすらも聞こえていなかった。



 虎崎家




 真白は意気消沈しながら帰宅した。

 だが、彼女はこれまで抱えていた諦観を取り戻しただけで、立ち直れない程になっていたわけではない。

 明日からも変わらない顔で楓に会うこともできるだろう。

 だが……もう期待することはない。

 彼女は全てを諦めていた。


「ただいま……」


 彼女は小声で玄関の扉を開けた。

 すると――。


「お帰り、真白」


 母親は、その言葉を言うと同時に真白を抱きしめた。


「……え? な……何? どうしたの……? お母さん」


 母親は体勢を戻しながらも、真白の両肩に手を置きながら口を開いた。


「聞いたわ、黄道さんから。……貴女が一人で頑張っていたこと……」

「え……」

「ありがとう……。ごめんね? 気付いてあげられなくて……」

「べ、別に……私はただ……」


 真白は戸惑う。

 母親がこんなに自分を想う様な態度を取ることは珍しかった。

 母親は兄のことがまず一番だったからだ。


「事業所を新しく考える必要もなくなった……真白のおかげね。ほら、お兄ちゃんも喜んでるわよ」


 母親の背には真白の兄がいた。

 拙い口調で、感謝の言葉をくれている。


「お兄ちゃん……」


 母親は微笑んだ。


「真白がこんなにもいい子だったなんて、私、知らなかったわ。……ずっと一人で……悩んでたんでしょ? 頼りにならなくて……ごめんね」

「だから……そんなことは……。そ、それに! 黒倉さんだっていたし!」

「うん、それも聞いた。新しい教主様は、私達の恩人ね」


 玄野は、かなり誇張して楓の活躍を真白の家族に伝えていた。

 その方が面白くなると考えただけなのだが、効果は早くも現れた。


「……黒倉さんは……」

「……真白?」

「私は……黒倉さんに……」


 自分の想いを言えなかった。

 もう、捨ててしまいたくなっていたからだ。


「……もしかして……。……そっか……大事な人なのね」


 だが、母親は真白の気持ちに気付いていた。

 そして、彼女が悩み苦しんでいることにも思考が働く。


「真白、気を遣わなくていいからね」

「え?」

「自分の気持ちに素直になること。相手が誰とか……関係ないの。天廷教では、人を愛することはとても大切なことだって教えているでしょう? お父様は、自分の気持ちを大切にしなくてはならないと仰っていたわ」

「お母さん……」


 真白の母親は虎崎輪道の一人娘だった。

 彼女自身も父親の思想に染められていた。

 だが、人の思想に染まることは、必ずしも悪いことではない。

 こうして、誰かを慰めることもできるのだ。


「私やお兄ちゃんに遠慮しないでね? 絶対に。ね、お兄ちゃん?」


 兄はわかっているのかどうか不明だったが、幸せそうな笑顔を真白に向けていた。

 真白は、熱いものを流さずにはいられなかった。


「お母さん……お兄ちゃん……。ありがとう……ありがとう……」


 彼女は今まで自分を信じることができなかった。 

 だが、もう今は違う。

 少しずつだが、彼女は自分の気持ちを信じ切ることを決意した。

 その気持ちが実ることも。

 強く、強く、信じることに決めたのだ。



 翌日 天廷会館




「おはようございます、黒倉さん」


 昨日とは打って変わって、真白は元気を取り戻していた。

 楓に対してにこやかな表情を見せる。


「ああ、おはよう。というか……お前、いつもいないか? 授業は?」

「今日は午後ですので」

「本当かー? サボってんじゃねぇの?」

「本当です!」


 二人は共に笑顔だった。


「真白たーん!」

「うひゃぁ!」


 佐奈が不意に真白に抱き着く。


「今日も可愛いねー」

「だから! やめてくださいって! いつもいつも……」


 真白が何を言おうとしても彼女は放さない。

 スリスリと顔を擦り合わせていた。


「教主様、すみません、ちょっと……」

「あ、何々?」


 楓は幹部に呼ばれて真白の傍を離れていく。

 だが、いちいち追うことは無い。

 真白の心には多少の余裕が生まれていた。

 

 ――黒倉さん……。

 ――好きです、本当に。

 彼女は楓の方を見て、心の中で呟いた。


「マジっすか!? 大丈夫ですよー。俺に任せて下さい!」


 楓は何やら幹部に応対している。

 真白には何の話かわからなかったが、恐らく仕事の話だろうと考えた。


 ――貴方のその、誰にでも臆することなく接することのできる所が好きです。

 ――貴方の、自信に溢れた態度が好きです。

 真白は、楓の好きな所を心の中で羅列していく。


「ところであの件なんですけど……」

「あ、それならもうやりましたよ! チャチャッと済ませた方がいいかと思って!」

「え……いや、それが……やる必要がなくなったんですけど……」

「ええ!?」


 ――貴方の、行動力が行き過ぎて、たまに空回りするところが好きです。

 ――私は……貴方の全てが好きで……好きで、仕方ないんです。

 冷や汗をかいてしょんぼりしている楓に対して、真白は微笑んだ。


「黒倉さん」

「? 何だ?」


 真白は佐奈を無理やり振りほどき、ゆっくりと楓の下に向かっていく。


「ずっと……言おうとは思っていたんですけど……言い出すことができなくて……」

「?」


 楓は真白の意図がわからない。

 だが、無視することはできない。

 静かに耳を傾ける。


「その……その……」

「うん」

「…………ありがとう……ございます」


 真白がここまで気持ちを込めて感謝を述べる日が続くのは、初めてのことだった。

 ましてや、一人は家族ではない人物。

 それだけ楓の存在が彼女の中で大きくなっていたのだ。


「……ああ、どういたしましてだ」


 真白がどんな思いでその言葉を口にしたかわかった楓は、茶化したりせず、素直に感謝を受け入れた。

 それが真白にはとても幸せで、口元を緩めずにはいられない。


 ――だから……私は、自分の気持ちを信じます。

 ――自分の未来を信じます。

 ――きっと……いつか、いつか貴方に、私を受け入れてもらえると信じて……。


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