第7話 ①

 天廷会館




 季節は夏。

 真白は悶々としていた。

 胸のざわめきが収まらなかった。


「みんなおはよー。俺だよ!」


 楓は笑顔で会館に現れた。

 服装はこれまでの平凡な物ではなく、白い羽織が目立つ着物を着ていた。

 彼は名実ともに天廷会の教主となったのだ。


「黒倉さん!」


 真白は心臓をバクつかせながら楓の下に向かった。

 周囲の人々から見れば、彼女の様子は明らかに以前とは違っていた。


「おう、真白。おはよー」

「お、お、おは、は、はよ、ご、ざざいますす!」

「な、何て?」


 楓は真白の慌て具合に引き気味だった。

 真白は思わず楓から顔を逸らす。


 ――ああああ!

 ――駄目だ! 直視できない!

 ――黒倉さんって……こんなカッコよかったっけ!?

 ――うあああああ! があああああ!


「真白?」

「……ハッ!」


 真白は心を何とか落ち着かせようとする。


「えっと…………ハンッ! 似合ってませんね、その服! 豚に真珠じゃないですか?」

「やっぱそう思う? 俺も違和感バリバリでさー」


 ――あああああ!

 ――何でそういう言い方しかできないの!?

 ――似合ってるのに!

 ――凄いカッコいいのに!

 真白は完全に恋に落ちていた。

 だが、彼女の暴言癖は一長一短で直るものではない。

 感情の裏返しが激しいことになっていた。


「私はとてもお似合いだと思いますよ、教主様!」


 対して受付の朱音は素直に楓のことを褒める。

 ――このアマ……!

 ――黒倉さんのことを狙っているのか……!?

 真白は正常にものを考えられていなかった。


「な、何故睨むんですか真白さん……」


 真白は鋭く敵意を交えた眼差しを朱音に向けていた。


「楓君、ちょっといいかな?」

「はい! すぐ行きますよ! 教主として!」


 楓は自分を呼ぶ会員の下に颯爽と向かう。

 若さもあってか、教主となって一週間足らずでかなり人気を博していた彼だったが、全ての人間が彼の教主の立場を祝福しているわけではない。

 彼はまだまだ人望を集めるのに必死だった。


「……むぅ」


 楓を会員達が囲みだすと、真白は少し不機嫌な表情になった。


「真白さん、何だか今日は変じゃないですか?」

「……別に、何でもないですよ」


 真白は会員に対応する楓の下にずかずかと近づいた。


「黒倉さん」

「ん?」

「楽しいですか? 会員に囲まれて。立場が偉くなれば持つ権力も増しますからね。いいですね、天廷会を自由にできて」


 真白があまりに嫌味たらしく言うものなので、周囲の会員達は少し後退りしてしまった。

 しかし、当の楓はにこやかだった。


「ああ! 最高だよ! 権力者ってこういう気分なんだな! ……なんて、ホントはやることなくてお飾りなんだけどな!」


 楓は会員達に向かって笑いかけた。

 真白の飾らない嫌味に動揺した彼らも、愛想笑いを浮かべる。


「あ、そうだ。真白に話があったんだ」

「え?」


 楓は真白の肩に触れてエントランスから出て廊下の端の方へ連れて行った。

 真白は楓に触れられて少し顔を紅潮させるが、楓を他の連中から引き剥がす目的を果たしたことで、自ら進んで楓に付いて行く。



「真白、助かるよ」

「え、な、何がですか?」


 真白は楓を意識するあまり、二人きりになるだけで心臓の鼓動を速めていた。


「今はみんな教主になったばかりの俺に優しくしてくれるが、全員が俺を歓迎しているわけじゃない。だが、お前が俺に歯に衣着せぬ物言いをすることで、その鬱憤を晴らす役割ができているんだ」

「べ、別に私はそんなつもりじゃ……」


 楓は首を振った。


「いや、だからこそいいんだよ。イエスマンより、反抗的な人間が右腕にいる方が、組織は運営しやすい。みんなのストレスを抑えられるからな」

「み、右腕!?」


 真白は感動的な目の輝きを見せる。

 喜びを隠すことができない。


「これからも、みんなの前では俺を好きなだけ馬鹿にしてくれ。まあ、真白が嫌われる可能性があるのがちょっと嫌なんだけど……」

「私は……今更別に好かれたいとも思ってないですけど……」

「そうか……。本当にありがとうな、真白」



『ありがとうな』

『ありがとうな』

『ありがとうな』


 真白の頭の中で何度も楓の言葉がリピートされる。

 真白は爆発するのではないかというくらい全身を真っ赤に染め上げていた。


「……グハァ!」

「うお!? ど、どうした……?」


 真白は楓に対する感情に耐え切れなくなっていた。

 ゼエゼエと息を切らしている。


「……とぅき……」

「何だって?」


 ――好き。

 ――好きです。

 ――あああああああああああ。

 真白はもう頭がこんがらがっていた。

 全身を激しく揺さぶり、楓はそんな姿を見て表情を引きつらせていた。


「うおおおおおお」

「……マジで大丈夫か? 疲れてるなら帰った方がいいぞ?」

「あああああああ」


 ――優しいいいいい!

 ――好きいいいいい!

 ――あああああああ!


「……今度一緒に行ってほしいところがあったんだが……その話はまた次の日にするか?」

「何ですか!?」


 真白は瞬時に体勢を立て直した。

 彼女の耳には『一緒に』という部分しか届いていない。


「ボランティア活動を再開したんだ。で、教主の俺が直接出向くことにした。お前も一緒に来てくれると助かるんだが……」

「行きます! 行くに決まってるじゃないですか! 馬鹿ですか!?」

「あ、うん、わかった」


 ――また悪口言っちゃったああ!

 ――でも一緒……嬉しい……。

 真白は、何よりも楓と共にいられることが幸せで仕方なかった。

 兄のことも、天廷会のことも、完全に悩みを無くしてしまっていた。

 真白は両手で頬の火照りを抑えながら、二人で行くボランティア活動にやる気を出していた。


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