第6話 ②
天廷会本部
本部の会議室では、天廷会の幹部が揃い踏みになっていた。
天廷会の幹部は全部で十三人。
その内代表役の教主が一人、その補佐が二人存在していた。
全員の出席が確認されたのち、早速会議が始まろうとしていた。
「では、これより――」
ガラッ
「失礼しまーす!」
楓は、補佐役の一人が会議を始めようかとしたその矢先に、会議室へと乗り込んだ。
「な、何ですか……?」
会議室はざわつき始める。
楓のことをよく知らない幹部達は当然動揺で頭が全く回らない。
そして、楓のことをよく知る周防や三木を始めとした幹部達も、何故彼が急に現れたのかがわからなくて混乱していた。
「会議の最中であるにも関わらず、突然の発言をお許しください! 私は……そこにいる教主様の……いえ! 現教主・黄道麟示郎氏に関する重大な不義の証拠を掴んだために、この場に馳せ参じました!」
楓は掌を教主へと向けた。
教主は相変わらず不敵な笑みを浮かべている。
「な……何を……」
幹部たちは誰も、楓の調子に付いて行くことができない。
「私は、天廷会の一会員・黒倉楓と申すものです! 現教主の不義を明らかにし、そして……その座の辞任を要求しに来ました!」
「な……!」
楓もまた、教主と同じ様に不敵な笑みを浮かべていた。
*
幹部たちはまだ、楓の突然の申し立てによって動揺し、ざわつくことしかできずにいる。
楓はそのざわつきがいったん収まるのを待っていた。
しかし、そのざわつきは意外な方法で収まった。
パン
両の手を合わせて音を鳴らしたのは、教主自身だった。
「教主様……?」
にこやかな顔で教主は口を開く。
「……さて、面白い話だね。黒倉楓君?」
教主の視線は楓の視線に一致した。
二人はお互いのことしか見ていなかった。
「弁明をされますか?」
「何を言う。まずは君の方から、事の次第を説明するべきだろう? ほら、皆困っているよ?」
楓が敢えて弁明を求めたのは、『教主は事の次第を把握している』と周囲に察してもらうためだ。
そして、思惑通り教主は否定よりも先に説明を促してきた。
これで周囲の人間は、誰よりも冷静な教主が、事の次第を把握しているはずだと勝手に思い込んでしまう。
つまり、不義の事実の信憑性を高められるのだ。
楓は一度顔を合わせた時から、教主がどんな時でも冷静さを崩さないような人間だろうと推定していた。
それが正解だったことが功を奏したのだ。
「ええ、もちろんですとも」
楓はずかずかと会議場に入り込んで、円卓の前に立ち、右手をテーブル上に置いた。
「教主・黄道麟示郎さん。貴方は天廷会の教主という立場でありながら、あろうことかその立場を利用し、不義を働きました。その内容とは……会員費の補填と偽り、女性の会員を自室に誘い込み、そして……淫行に及んだというものです!」
幹部たちは驚きの声を上げる。
彼らはそれぞれ『何だと!?』と言ったり、『あり得ない!』と言ったり、様々な反応を示した。
だが、中には楓の言葉を既に信じ始めている者もいた。
周防など、開宗以前から教祖の虎崎輪道と関係のある者だ。
彼らは立場上表に出すことはできなかったが、マルチや定期的な講演会などを始めるようになった現教主に、ずっと疑問を持ち続けてはいたのだ。
「ハハハハハハハハハ」
教主はひたすら笑った。
楓は一瞬驚いたが、不敵な笑みを崩すわけにはいかないと考えていた。
「……ふぅ……。さて……では、その証拠はあるのかい?」
「先程『証拠を掴んだ』と申し上げたはずですが?」
「ククク……アハハハ!」
教主は笑いを堪えられないといった様子だ。
この場で楓と教主の二人だけが、ずっと笑みを浮かべていた。
他の人間は皆教主の笑いにただただ戸惑っていた。
「フフフ……では、その証拠を提出して頂こう」
「いいでしょう」
楓は、懐から数枚の写真を取り出した。
そして、それを全員に見せびらかす。
「こちらが! 教主の淫行の現場を捉えた写真です!」
その写真には、確かに教主と女性が二人でいる姿が写っていた。
二人は同じ薄暗い部屋にいるようで、それがどこだかは幹部連中にはわからなかったが、情事の場としてはこれ以上なく適当と考えられる背景だった。
「…………成程」
それでも、教主は微笑み続ける。
そして、楓も。
――笑え……笑え、俺。
楓は自分に言い聞かせていた。
――不敵な笑みを崩すな。
――俺が自信を持っていることをアピールするんだ。
――俺がやらなければならないことは、この男を引きずり下ろすことだけなんだ……!
楓の持ってきた写真は、加工された作り物だった。
あらかじめ撮った教主の写真と、ネットに転がっている写真を組み合わせたものだ。
簡単に悟られないように、数々の写真を組み合わせて作り上げた。
女性の顔にはモザイクが掛けられているが、教主は本物の顔がそのままだ。
もちろん、作ったのは楓ではない。
昔仲良くなった写真加工の達人である友人に頼んだものだ。
一見するだけでは偽物だと判別することはできない。
だが、詳しく調査をすればいずれバレてしまう代物だった。
――いつかバレるのは構わない。
――今、この場で奴の辞任が決まりさえすれば、それでいい。
――俺が自信をもって突き付けることが重要なんだ……!
「……それだけでは、証拠とは言えないんじゃないか?」
「何ですって?」
「ただ私と女性が二人でいるだけじゃないか。その写真のどこに淫行の要素がある?」
これは、写真加工の限界だった。
自分の知りえない教主の裸体などは、写真を用意することができない。
偽物であり合わせても、この場ですぐにバレてしまう。
少なくともこの場を乗り越えるには、限界を超えることはできなかった。
「……わかりました。正直、あまりこの場で聞かせたくはなかったのですが……では、もう一つの証拠を御覧に入れましょう」
そう言って、楓は懐からレコーダーを取り出した。
そして、音声を流す。
『……これで会費は補填しよう。さあ、来るんだ――』
そこで一旦止めた。
「……これ以上はこの場に相応しくない音声なので割愛します。ですが……これは、決定的な証拠ですよね?」
楓はフッと笑った。
「ば、馬鹿な!」
「どういうことですか、教主様!」
「そんな……!」
幹部たちは今日一番の取り乱し方を見せた。
「……そう来たかぁ……フフフ」
しかし、教主はむしろ感動する様に、頭を抱えて笑みを浮かべていた。
「確かに……教主様、貴方の声です」
幹部の中で最も冷静だった三木が汗をかきながらそう言った。
流石に弁明の余地が見えないといった様子だった。
このレコーダーも、楓が友人に頼んで加工してもらったものだ。
講演会に出たのは、教主の声の素材を集めたかったからだ。
この場では加工が一番上手くいったところだけを流したのだが、実は他の部分は繋ぎが悪く途切れていたりしていることが多く、全部を流していたらすぐに作り物だとバレていたことだろう。
「……まだ早いかと思ったが……これは面白いかもしれないな……」
教主は誰にも聞こえないように呟いた。
「さあ! 弁明はあるか!? 黄道麟示郎!」
ここで初めて丁寧な口調を崩す。
勢いは完全に楓のものだった。
「……しかし……この証拠は本物なのか?」
補佐役の一人が呟いた。
補佐役二人は教主派の人間だった。
当然手放しに楓のいうことを信じたくはない。
「そ、そうです! 信じられるものではない!」
他の教主派の幹部がそれに同調する。
しかし、それは楓も予想していたことだ。
「皆さん……私が最初に申し上げた言葉をお忘れですか?」
教主はずっとニヤニヤし続けていたが、他の幹部達は疑問符を浮かべる。
「私がここに来た目的は、『現教主の辞任を要求する為』です。この証拠品は、匿名希望の被害者から受け取ったもので、真偽は定かではありません……しかし! 現に! この証拠品からはハッキリと教主の姿が捉えられている! 教主の声が録音されている! 私の言いたいことが……まだわかりませんか?」
残念ながら、わかっているのは当の教主だけだった。
「ご理解いただけないようなら説明いたしましょう。先程言いました通り、この証拠品は、匿名希望の被害者から受け取った物です。もちろん……天廷会の会員からね。そして……この二つの証拠は本物としか思うことができない程精巧なもので、更にはそれぞれ別の会員から受け取りました。この意味がわかりますか?」
楓の声は会議室中に響き渡る。
「つまり! この証拠品が事実であろうとなかろうと! 既に現教主に天廷会のトップに立つ資格はないということです! 何故なら! 不義の疑いが信者たる会員の中から複数出た時点で! 教主を陥れることを望む者が複数現れた時点で! 教主の教主足り得る尊厳は失われてしまったからです!」
これが、楓の計画だった。
証拠が偽物だろうと関係無い。
誰が偽の証拠を作ったかなどは関係無い。
『教主を陥れる者が複数、会員の中から現れた』。
この事実が欲しかっただけなのだ。
宗教団体において、教主の信頼が失われることは、その団体の存続に直結する問題なのだ。
信者の『信じる』ものは確かに『教祖の教え』ではあるが、会の代表である教主も信頼が無くなるわけにはいかない。
加えて教祖と教主には明確な違いがある。
それは、教主は替えが利くということだ。
教主の信頼が失われたのなら、新しい教主を立てればいい。
そうすれば、その教主が実行しようとしていた事案も、全て無かったことにできる。
真白の兄の居場所を、守ることができるのだ。
「し、しかし……君の言うことを信じろというのかね……?」
「信じるか信じないかは皆さん次第です」
鬼門はここだ。
蒔いた種が芽吹くかどうかが重要だ。
笑みを浮かべつつも、楓は冷や汗をかかずにはいられない。
「……私は、楓君を信じるよ」
「周防さん……!」
古参の彼は現教主に反発を抱いていた。
楓の告発は聞こえの良い内容だったのだ。
「私もだ。証拠の真偽はともかく、楓君の言うことはもっともだと考える。今我々にとって重要なのは、その証拠を用意したのが、本当に楓君なのか、あるいはそうではない別の誰かなのかということだ。つまり、楓君を信じられるかどうか……。私は、彼が意味のない嘘を吐く人間ではないと考えるよ」
「三木さん……」
三木はどちらかといえば中立側の人間だった。
だが、彼は教主の反応を見て、楓の側に自分が付いても、議論は続くと考えた。
平等な状況下で教主自身が何か反対意見を述べることを期待したのだ。
だが、三木がその選択を取ることは楓の予想通りだった。
楓は幹部の大半と既に交流していたが、特に親交を深めたのが周防と三木だった。
周防は流されやすい性格で、古参であるため、楓と真白の味方になりやすいと思っていた。
三木は出会った幹部の中では一番冷静な性格で、教主の指示も自分の頼みも聞いてくれる、中立さを重んじるタイプだと知っていたので、味方が少ない時にこちらに救いの手を出すと考えていた。
二人の存在が、楓の蒔いた種だったのだ。
「では、こうしよう。この場にいるもので多数決を取る。そちらの青年の言葉を信じ、教主様を辞任させるか。あるいは、青年の言葉は信じず、彼にはこの場から退席して頂くか」
補佐役の男は、いつの間にかまとめ役を務めていた。
自分が指揮することで早く楓をこの場から追い出したかったのだ。
「では、青年を信じることに賛成の者は挙手を」
――頼む……!
――あと五人……頼む……手を上げてくれ……!
ここまでは完全に想定通り。
楓は強く願った。
しかし――手を上げたのは、三木と周防を合わせても五人だけだった。
「……どうやら、反対多数の様だ」
補佐役の男はニヤリと笑ってそう言った。
――駄目か……。
――いや……笑え。
――こういう時こそ、不敵に笑うんだ。
楓は、一瞬曇り掛けた表情を再び笑みに変える。
「……どうやら、わかって頂けないようですね」
「そういうことだ。残念ながら、君の持ってきた証拠は信じることができない」
「いえ、そういう意味ではありません」
「何?」
楓は補佐役の男に向かって微笑んだ。
「いいでしょう。私がこの場を退席したのなら、すぐさま会館に赴き、こちらの証拠を会員の皆さんの前に公表させて頂きます。果たして……それでも教主様を辞任させずにいられますかね?」
「な……! ば、馬鹿な! まさか……我々を脅迫するつもりか!?」
「脅迫? これは条件ですよ? 何故なら、公表したところで幹部の皆さんには何ら不利益は出ないじゃないですか。不利益が出るのは……そこでずっとにやけている男だけだ!」
教主は楓と違って一瞬の動揺すら見せない。
「つまり……脅迫の対象は私か」
楓は頷く。
「皆さんはわかっていない。三木さん、俺に同意してくれたのはありがたいですけど、事態は既に、俺を皆さんが信じるかどうかではなく、あの男を信者達が信じるかどうかに移っているんですよ」
本当は、多数決で終わってほしいと思っていた。
それならば、多少は自分の罪が軽くなるからだ。
――名誉棄損に、脅迫か……。上等だ、畜生め。
――お前だけは道連れにしてやるよ……!
「さあ! 決めろ! その男の代わりを用意することを! 教主ならここにいる誰にでも務まるはずだ! 決めるのはあんたらだ!」
――これでいい。
――俺がどうなろうと、アイツがこれ以上教主でいられなくなればそれでいい。
――そうすれば事業所への出資取り止めの事案は白紙になる。
――そうすれば……真白を救うことができる……!
会議室に沈黙が訪れる。
このような事態は前例が無かった。
誰もどうするのが正解なのかわからなかった。
そして、一人が口を開く。
「何を悩む必要があるのかな?」
教主だった。
「教主様……?」
「彼の言う通りにするほかないだろう? この会議の内容を公表させないためにも、事態はここで終結させなくてはならない……。違うかい?」
補佐役の男は驚愕していた。
教主が折れるとは思っていなかったからだ。
「し、しかし、こんなのは全てでたらめで……」
「わかってないね。問題はそこではないんだよ。それを会員達が信じられると思うかい? 人は、いつだってスリリングな事実を信じたがるんだ。彼から脅迫を受けた時点で……私には何の選択肢も残されていない。だが……それは彼も同じだ。この証拠がもし偽物だとわかれば、もはや彼も立派な犯罪者だ。自分を捨てるつもりでいる人間には……誰も勝てない」
――その通りだ。
――あとはまあ……なるべく早くシャバに戻って来られることを願うばかりだな……。
楓は、既に自分が禁固刑を受ける可能性すら考えていた。
だが、それでも教主を引きずり下ろすことはできる。
「彼は、私を道連れにすることだけを考えてここまでやったんだ。そんな人間が出て来た時点で……私への疑いは、決して天廷会から消えることは無いだろう。私は、彼に見事にしてやられたというわけだ」
「教主様……」
もう、誰も意見することは無かった。
「さて、多数決が無理ならば、私から辞任を表明しよう。……本日限りで、私は天廷会教主の座を下りる」
――やった……!
――これで……。
「そして――」
楓は表情を緩めようとした。
しかし――。
「そこにいる、黒倉楓を、次の教主に推薦しよう」
――………………は?
楓だけではない、この場の全員が唖然とした。
教主の言葉の意味が理解できなかった。
「な……何をおっしゃいますか! 何故……あの青年を……」
「何故? 先程彼も言っていただろう? 『教主ならここにいる誰にでも務まる』と」
「いや……それはあの青年を除いた話で……」
冗談のようなことを言い出す教主に、もはや誰も言い返すことができない。
「……この場で最も教主に相応しい人材は彼だ。それに……彼をこのまま刑務所送りにするのは非常にもったいない。私はそう考えた」
「何故、楓君が相応しいと?」
三木が辛うじて冷静さを取り戻して質問した。
「説明しないとわからないかい? ……仕方ない。では、ゆっくり説明するとしよう」
教主はやれやれといった表情で一呼吸置いた。
「まず私は、教主に必要な才覚はカリスマだと考えている。そして、カリスマとは行動力によって培われるものだと考える。行動力の高い人間であればある程、人はカリスマを身に着ける」
完全に教主の独壇場と化した状態で説明は続く。
「……果たして、私を引きずり下ろすためにここまでする人間が他にいるか? いや、いるはずがない。できてもやらない。誰もやらないことができるということは、彼にカリスマが備わっているということだ。彼は行動力の化身だよ」
――コイツ……どういうつもりだ?
楓はいくら褒められても全く喜ぶことができずにいた。
教主はずっと自分と真白の目的の最大の障害だった。
だが、その教主が自ら自分たちの目的を達成させてくれるというのだ。
理解できるはずがない。
「故に、私は君を推薦するよ。……君はどうしたい?」
願ったり叶ったりだ。
拒絶する理由は無い。
――笑え……笑え……。
――何が何だかわからねぇが、俺にカリスマがあるってんなら……笑ってやれ!
ずっと見せ続けた楓の不敵な笑みは、とうとう周囲の幹部達に脅威に思われる程、カリスマのあるものになっていた。
「……もちろん……上等だ!」
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