第6話 ①
前林文化ホール
楓は、一般人向けの黄道麟示郎の講演会に参加していた。
教主である彼は定期的に各地で講演会を開いていた。
内容は天廷会への勧誘を含んでいるものではなかったが、話の節々に天廷教の教えに関わる単語を混ぜて、興味を持たせようとしていたのだ。
「……では何故彼らはそれを売ったのでしょうか? 友情よりお金を選んだ理由は? ……もう皆さんならわかることでしょう。それこそが、彼らにとっての『矛盾行動』だったのです。つまり――」
天廷教では難解な専門用語は使われない。
元ある言葉に別の意味を持たせているだけだ。
それが信者と一般人の会話の中で齟齬を生む。
その齟齬を利用して、話を誤魔化して天廷教の流布をしているのだ。
彼の言う『矛盾行動』というのは、矛盾した行動の意味ではなく、葛藤の末に誤った判断をするということを意味していた。
彼はその違いを序盤に説明していた。
彼が序盤で説明した単語を話の途中で再登場させることで、否が応でも天廷教についての理解を深めながら彼の話を聞き続けることになるのだ。
楓は、一般人に混ざって彼の講演を聞いていた。
――写真撮影は禁止……か。
――録音も禁止にするべきだろ。
楓は右手にレコーダーを握っていた。
――頼むから……ノイズを出すなよ、聴衆諸君。
*
講演が終わると、楓は出口から少し離れた廊下の角でスマホを取り出す。
「……もしもし」
電話を繋げた相手は、楓にしかわからない。
「……ああ、まあ、頼みがあるんだ。……そう、そうなんだよ。……え? 犯罪に使う気かって? ……お前は何も知らなかった……それでいいだろ? 責任は俺が持つ。……ああ、ありがとう」
そうして電話を切った。
「さて、次は……」
楓はまた別の相手に電話を繋げる。
「……もしもし。……ああ、黒倉だよ。……違うよ、加工を頼みたいんだ。……ああ、そうだ。……いや、お前は心配しなくていい。俺に無理やりさせられたことにでもすればいい。……ああ、ありがとうな」
電話を切ると、スマホをポケットにしまった。
そして、小さく気を吐く。
「……持つべきものは友人だな」
楓はフッと笑った。
既に彼の計画は始まっていた。
そう……教主を引きずり下ろす計画が――。
*
黒倉家
楓は自宅で準備を進めていた。
それは、一週間後の定例会の準備だ。
その定例会で、事業所への出資の取り止めに関する議題が挙げられる。
何も無ければ、確実に取り止めの決定は下される。
だから、楓はその日までに何かをする必要があった。
「……ハハ、よくできてら。……まあ、事実確認を終えるまでは騙し切れるか……」
Prrrr
彼が『何か』を眺めていると、スマホが鳴り出した。
「もしもし」
『楓?』
「何だ、青子か」
『今大丈夫?』
「大丈夫だけど……どうしたんだ? まさか同窓会で忘れ物してたとかか?」
『いや……少し気になってさ……』
青子は何かを言いづらそうにしていた。
楓はすぐに察知する。
「田淵か吉田からなんか聞いたのか?」
『あ……うん。あのさ、前からずっと言ってるけど……危ないことはしないでよ?』
「……大丈夫、二人には迷惑かけねぇよ」
『私が心配してるのは楓なんだけど……』
「……そういうことなら、悪いができない相談って奴だな」
『楓……』
青子は、楓が無茶をする人間だというのを大学時代から知っていた。
彼は、自分が面白いと持ったことに何でも手を出す悪癖があった。
それで何度も痛い目を見ていることも、青子は知っていた。
父親の一件の様に――。
『楓はさ……今はお母さんと真白ちゃんのために頑張ってるんだよね?』
「ああ……そうだな……」
『だったら……お母さんはもちろん、真白ちゃんも不安にさせないようにね?』
「え?」
『ずっと見てた私だってそうなんだから。楓が無茶をして、もしものことがあったら、きっとお母さんも、真白ちゃんも悲しむだろうからさ……』
「……ああ、わかったよ」
そのことは考えになかった。
だが、今更後には引けない。
もう他の手を打つ暇はないのだ。
だから、『わかった』などと、嘘を吐くことしかできなかった。
電話が切れると、彼はまた準備を再開した。
無茶をすることはもう決まっていた。
後のことは……文字通り、神に祈るしかなかったのだ――。
*
一週間後 天廷会館
「……黒倉さんは……?」
真白は、楓の母親が一人で会館に訪れて来たのを見て、一抹の不安を抱いていた。
「楓は何か用事があるんだって。何でも、本部の人達と大事な話があるって……」
「……な……」
真白は、今日がどういう日かを理解していた。
楓が何を企んでいるのかはわからなかったが、不安は募る一方だ。
「真白たーん。どうしたのー?」
真白の心中を知らない佐奈は無遠慮に後ろから抱き着く。
だが、真白はそんなことに構っている余裕が無かった。
「……黒倉さん……」
「真白たん?」
しかし、楓の下に行く気にはなれなかった。
自分から避けるようなことを言って、今更心配する権利が無いと思っていたのだ。
彼女は、ここで彼が戻ってくるのを待つことしかできなかった。
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