第5話 ③

 天廷会館 出入り口前




 エントランスに真白の姿が見えなかった楓は、そのまま外に出て彼女を待った。

 偶然か、運命か、真白はすぐに楓の前に現れた。


「真白……!」

「黒倉さん……」


 真白は憔悴していた。

 自分の計画が頓挫していたと思った彼女は、全てに絶望していたのだ。


「真白……どうだったんだ?」


 楓は、すぐに佐々木から聞いた話をせずに、まずは別れた後のことを尋ねた。


「……もういいですよ」

「何?」


 真白は目を伏せた。


「無駄だったんですよ……何もかも。私たちの企みは教主にバレていたんです」

「何だって……!?」


 流石に楓も動揺が隠せない。

 教主とはそもそも、直接話をしたことすら一度しか無い。

 教主になる目的は知られていなくて当然だと思っていたのだ。


「だから……もういいんです」

「…………」


 楓は頭をフル回転させていた。

 こういった事態に直面しても、まだ頭は冷静だった。

 どうやって対処するかを必死に考えていた。


「……いや、まだ何とかできる」

「え?」

「……そうだ、待てよ……。いや……」


 真白は楓に苛立った。

 既に彼女は諦めていたのだ。


「もう無駄だって言ってるじゃないですか! ……ここまで来る途中で、冷静になって考えていたんです。やっぱり、あの男から不義を暴くなんて言うのは論外なんです。そもそもあの男は、そんなリスクを負う奴じゃない。もう何も手段は残っていないんです……」


 楓は、一旦頭を落ち着かせた。

 今は対抗策を講じるよりも、彼女に佐々木から聞いた話をする必要があると考えたのだ。


「……真白、俺は……お前のお兄さんのことを聞いた」

「………え………」


 真白は完全に頭が真っ白になった。


「何で……誰から聞いて……」

「佐々木さんからだ」

「あのクソババアが……!」

「お前は、お兄さんのために頑張っていたんだろ? そのために俺に声を掛けたんだろ? だったら……まだ諦めるのは早いだろ」


 真白の怒りは――限界を突破した。


「……知ったような口を利かないでください!」

「真白……」

「私が……兄のためにですって……? 冗談じゃない! 誰が……誰があんな奴のために!」

「真白?」

「貴方に何がわかるって言うんですか? 兄の気持ちがわかるんですか? アイツを兄に持つ私の気持ちがわかるんですか? 知ったようなこと言わないでください!」


 真白は、どうしてもそこだけは認めたくなかった。

 彼女は他人以上に、自分のことを信じられないのだ。

 だから、『兄のため』などとは認められなかった――。


「貴方に何がわかるんですか……。兄が周りに何を言われて生きてきたか知らない癖に! 私が周りに何を言われて生きてきたか知らない癖に!」


 楓は言葉を失っていた。

 それ程までに真白の怒気は凄まじかった。


「私が何をしたっていうんですか!? アイツを兄に持つだけで! 何で私が割を食わないといけないんですか!? どいつもこいつも……私のことを馬鹿にして! 貶して! 虐めて! 避けて! 気持ち悪がって! 今更わかったようなことを言わないでくださいよ……。今更……今更……」


 真白は目から涙を零し始める。

 その涙は一体何の涙なのか。

 彼女自身ももうわからない。


「真白……俺は……」

「私は、ただあの兄が家にいるのが嫌なんです。だから日中くらい事業所に行っていてほしい。もう耐えきれないんですよ。……最初は一人暮らしを考えましたよ。でも……お父さんはよく出張でいないし……お母さんとアイツの二人で暮らすことになることを考えると……。だから! どうあっても天廷会には変わってもらっては困るんです! 私のためにも……私だけのためにも!」


 楓はゆっくり目を伏せ、そして再び目線を真白に向けた。


「真白……それは……本音じゃないだろ?」

「本音です……それが全てです」

「違う……違うな。お前は最初、俺にこう言った。『天廷会を正したい』って。あの時のお前の表情は……本気だった。お前は、祖父と兄貴の二人のために天廷会を変えたくなかったんだ。そうだろ?」

「違う……私は……そんな人間じゃ……」


 真白は元々、家族にだけは絶対に暴言を吐かなかった。

 彼女が罵詈雑言を他人に放つようになったのは、彼女自身が他人から罵詈雑言を受けて育ったからだ。

 そうして他人を信じられなくなると、気付いたら家族のことも信じられなくなってしまった。

 それは、全てこれまでの人生で、彼女が周囲の他人に恵まれていなかったためだ。

 他人に恵まれなかった彼女は、自分でも認められないが、ずっと家族のことだけを考えて生きてきた。

 認められないのは、他人に否定され続けた自分自身を肯定できないからだ。

 自分と、他人と、家族……彼女の信じられるものは、もう何も無かった。



「だったら、俺を信じろ」



 楓は、ハッキリとした口調で言った。

 そして、膝を地につけ、真白の肩を掴んだ。


「お前は、家族の為に天廷会を守りたかったんだ。俺の言葉を信じろ。それがお前なんだ」

「私は……私は……」


 涙を流し続ける真白は、初めて自分が肯定された気がした。

 だが、それでも、彼女は楓を信じることができない。

 どうしても。


「爺さんの創った天廷会を守りたい。兄貴の居場所を守りたい。結構じゃねぇか。お前は最高に良い奴だ! ま、口は多少悪いけどな。そして、そのために俺を頼ったんだ。俺もお前に色々言われてきたけどさ……。それ全部、お前が今まで他人に言われてきたことに比べれば、たいしたことないんだろ? ……だから、お前は安心して俺を信じていればいいんだ」

「何で……何でそんな……」


 楓の向ける笑顔を、信じたいのに、信じられなかった。

 どうしても、どうしても。


「俺が全部何とかしてやる。だから、お前は黙って俺を信じてろ」

「無理ですよ……もうどうにも……。それに私は……貴方を信じることが……できない……」

「わかった。だったら、信じなくていい。だが、結末を見てろ。俺が……今の教主を引きずり下ろしてやる」

「黒倉さん……」


 真白は、楓の強い言葉を信じることはできない。

 楓の言う通り、ただ傍観するしかできないのだ。

 それでも、楓は微笑んだ。


 楓はまだ、直ちに教主を引きずり下ろす策は思い付いていない。

 だが、全てが上手くいく光景を思い浮かべていた。

 彼は、その自分自身が思い描いた景色を、それが見える未来を、『信じて』いたのだ。

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