第5話 ②

 天廷会本部 教主の間




 真白は教主の間の扉の前まで来ていた。

 ――ここに盗聴器を仕掛ければ……。

 真白は焦りの為か、短絡的な思考に陥っていた。

 ここで不義が行われている保証などは無い。

 しかし、彼女は他の選択肢を見つけることができなかった。


「どうしたのかな?」


 その時、目の前の扉が開いた。


 ――黄道麟示郎……!

 真白は愕然とする。

 目の前にいる人物は、間違いなく教主そのものだった。


「真白ちゃん? どうかしたかい?」

「……いえ……その……」

「……入るかい? 茶を飲んでいたんだ」



 真白は教主に言われてそのまま中へと入っていった。

 断ることはできない。

 目的を悟られないようにするのが精一杯だった。


「……さて、珍しいね、真白ちゃんがこんなところまで」

「……そうですね」

「私に何か用かな?」


 教主は不敵な笑みを浮かべている。

 まるで全てを見透かしているかのように。


「別に……何でもないですよ。ただちょっと……教主様にお話したいことがあっただけです」

「いやだなあ、私と君の仲じゃないか。私のことは『黄道さん』と呼んでくれ」


 取り立てて二人の間には何も無い。

 ただの教祖の孫に対するご機嫌取りだ。

 もちろん、真白にはたいして効果は無い。


「では、黄道さん。あの……突然なんですけど、黄道さんに紹介したいと思っている人がいまして――」

「黒倉楓君のことかな?」

「え?」


 真白は適当に話を切り上げるために楓の名前を出そうとしただけだった。

 教主の耳にも彼の名前が届いているだろうことは予想していたが、先に言われると少し呆気に取られてしまう。


「彼は面白い人間だ。周防や三木から話は聞いているよ。……君もご執心の様だしね」

「あ、いや……別に私は……」


 教主に自分と楓の企みを悟られてしまえば全てが水の泡になる。

 自ら墓穴を掘ってしまいそうになってしまった。


「ハハハ、いいじゃないか。君達はまだ若い。私は君と彼の関係を応援するよ」

「それは……その……」


 勘違いしているのか、それとも見透かした上でしらばっくれているのか、真白にはわからない。

 ただ歯切れを悪くする一方だ。


「……話は彼のことだけかい?」

「……は、はい……」

「そうか。では、私の話を聞いてもらってもいいかな?」

「え?」


 楽な姿勢で話していた教主はここで姿勢を正した。

 真白はまだ彼の入れたお茶を一滴も口をしていない。


「……本当は、申し訳なく思っているんだよ」

「……何がですか?」

「とぼけなくていい。……しかし、仕方のないことなんだ。これから先の天廷会の為にもね」

「…………」


 真白は教主を睨みつけた。


「……それと」


 教主はそんな真白のことなど気にもせず、不敵な笑みを浮かべるだけ。


「私は、この場から退くつもりは今のところ無いよ。……非常に残念だろうが……ね」

「……!」


 真白は気付いた。

 この男は、全て勘付いていると。

 自分の目論見を知っているのだと。

 彼女は歯を食いしばる。

 もうどうすればいいのかがわからない。

 完全に、わからなくなってしまった。


「……失礼します」


 真白は立ち上がり、教主の間を後にした。

 唇を噛み締めすぎて、ほんの僅かに血が出てしまった。

 だが、そんなことはもうどうでもいい。

 彼女は、今すぐにでも全てを消し去りたかった。



 天廷会館




 二日酔いの所為か、はたまた午前中の真白の態度への疑念のせいか、楓は足取り重く会館の受付に顔を出した。


「顔色が優れないね、楓君」

「大丈夫ですか? 教主様」


 今日の受付には佐奈と朱音の二人が共にいた。


「ああ……ちょっと二日酔いでな」

「あららー。というか、真白は? 一緒だったんじゃないの?」


 佐奈は楓のことを心配するそぶりを見せない。

 彼女にとって一番重要なのは真白の存在だ。


「……そのことなんだが……佐奈、一つ聞いていいか?」

「何?」

「真白のことを知りたいんだ」

「あ?」


 佐奈の表情が敵意に変わる。

 彼女もまた、楓のことをまだ信用していなかった。

 楓が真白のことを狙っているのではないかという疑念は常に持っていたのだ。


「お前はアイツのこと詳しいだろ? 俺、アイツのことを知らない所為で怒られたんだよ。お前もアイツが俺に怒らされるのは嫌だろ? 俺じゃなくてアイツの為に教ええてくれないか? アイツの地雷をさ」


 わざわざ『真白』呼びを止めたのは佐奈を怒らせないためだ。

 佐奈は『真白の為』であれば言うことを聞いてくれる。

 楓はそう認識していた。


「…………はぁ」

「何で溜息?」

「あのさ、そんな回りくどい言い方しなくても大丈夫だよ。私、楓君のこと嫌いじゃないからね?」


 これは自分のことを気遣った楓の口調に気付いただけだ。

 ほんの一瞬前までは敵意を向けていたというのに、彼女はあっさり手のひらを返した。

 ――よく言うぜ、メッチャ睨んできた癖に……。

 楓もそのことには気付いていた。


「で、アイツの地雷なんだが……」

「あ、ごめん、それは知らない」

「おい!」


楓は思わず苦笑しながらツッコんでしまった。


「私が真白の地雷なんて気にすると思う? そう、何故なら、私が真白と出会ったのは一昨年の春――」

「待て待て! 何不自然に回想入ろうとしてんだよ!」

「あれは私がまだ大学生だった頃の話……」

「おーい」

「サークルの勧誘をしていたらまさかあんな天使に出会うなんて……」

「わかった! わかったから! 誰かアイツの地雷を知ってる奴はいないのか?」


 佐奈は仕方ないという風に溜息を吐いて答える。


「佐々木のお婆さんなら知ってるんじゃない? 私のこと勧誘した時もそうだけど、真白はいつも佐々木のお婆さんと一緒に勧誘活動してたし、付き合いは一番長いと思うよ」

「ありがとう! 助かった!」


 そう言って楓はすぐにその場を立ち去った。

 長話に付き合いたくはないのだ。


「最初は中学生かと思ったけど、まさか新一年生だったとは……」

「え、あれ? 続くんですか?」


 佐奈はそのまま朱音に自分と真白の出会いについて語りだした。

 特段ドラマチックな出来事はない。

 真白は佐奈と出会い、自分を気に入っていると見た佐奈を天廷会に勧誘した。

 佐奈は卒業したら真白といつでも会えるようにと、会館の受付を始めるようになった。

それだけのことだった。

だが、実に三十分程の間、佐奈はその出来事を誇張に誇張を重ねて朱音に話し続けるのだった。



天廷会館 第二ホール




 楓は『佐々木』という人物が誰だかわかっていた。

 何故なら、その人物は最初に自分と母親を天廷会に勧誘してきた人物だったからだ。

 確かにその時も佐々木は真白を連れていた。

 勧誘はツーマンセルが基本とのことだが、あの二人が長い付き合いだというのは予想していなかった。

 楓は自分が仲良くなった天廷会の会員を訪ねて回り、佐々木が現在第二ホールにいることをすぐに耳にした。


 佐々木はホールの清掃をしていた。

 楓は彼女に呼び掛けて、真白について尋ねたいことがあると伝えた。

 佐々木は快くそれを受け、すぐにエントランスのソファの方へと向かった。


「……その……佐々木さんは真白とはどういう御関係で?」


 楓は佐々木と対面すると早速質問を始めた。


「真白ちゃんの家族とは昔から仲良くしていてねぇ。まあ、あの子はいつまでも懐いてはくれなくて……」

「……真白の家族……ということは、やっぱり教祖様の代からですか?」

「ええ、そうよ」

「家族……アイツの家族って、そういえば聞いたことなかったな……」


 楓は独り言のように呟いた。


「とても仲のいい御家族よ。父親も、母親も、とても素敵な人」

「兄弟はいるんですか?」

「……ええ、いるわ。お兄さんが一人」

「え? そうだったんですか?」


 意外だった。

 彼女の様子からは全く想像できなかったのだ。

 楓は、我儘な性格の彼女は一人っ子ではないかと勝手な想像をしていたのだ。


「……まあ……そうね」


 佐々木が突然歯切れを悪くする。

 楓はその変化を見逃さなかった。


「お兄さんはどんな人なんですか?」

「えっと……そうね……」


 歯切れの悪さが一層目立つ。


「佐々木さん?」

「…………」


 佐々木は躊躇っていた。

 楓に勝手に話してもいいのかと考えていたのだ。

 だが、誤魔化す方法が思いつかないと、彼女はいとも容易く口を開いた。


「真白ちゃんのお兄さんはね……その……少し知的障害を持っていてね……。まあ、その……でも、とても元気な子よ?」

「そうですか……」


 佐々木の最後の言葉には力が無かった。

 それに、真白の兄であるのならば既に良い大人であるのに対して、彼女は『子』と表現した。

 その意味は、知的障害という言葉の意味を瞬時に理解した楓には、すぐに察することができた。


「お兄さんは……ひょっとして、天廷会の提携している『障害者支援センター』の事業所でお仕事をされているのでは?」


 障害者の人が働く事業所は社会福祉法人である。

 宗教法人と社会福祉法人は、原則分離されている。

 だが、宗教法人の出資によって成り立つ社会福祉法人は存在し得る。

 楓は以前、真白の言っていた言葉を思い出していた。



『それを証拠に、ボランティア活動や障害者支援センターへの投資が減っているんです。金を溜め込んで、信者を増やそうとしている……。何か企んでいるとしか考えられないでしょう?』



 楓は不思議に思っていた。

 何故、この時真白が、ボランティア活動の次に『障害者支援センター』というものを挙げたのかが。

 それは別に、法で定められた組織形態の呼称でも、当然辞書に載っている単語でもない。

 楓はこの時から、その固有名詞が一体何なのかを考えていた。


「え、ええ……よくわかったわね。社会福祉法人の、前林障害者支援センターが運営する事業所で、お兄さんは働いているわ。天廷会から出資しているのも本当よ」


 楓は全ての合点がいった。

 真白が言った『障害者支援センター』という単語は、『前林障害者支援センター』の略称だったのだ。

 つまり、真白が危惧しているのは、真白の兄の働く事業所への出資が途絶えることだったのだ。


「……そして、教主様はその出資を止めるつもりでいらっしゃる……そうですよね?」

「え……何でそこまで……」


 佐々木は幹部ではなかったが、古参ということで天廷会の内部事情に詳しかった。

 楓もそのことは察していた。


「まさかとは思いますけど、その決定が下るまでもう時間がないのでは? そして、もしそうなったら、事業所は運営を停止するつもりでいるんじゃ……」

「楓君……貴方一体どこまで……」


 佐々木の反応から、楓は自分の予想が全て正しいことを理解した。

 真白が焦燥感を露わにする理由が判明した。

 ――アイツは……兄貴の居場所を守るために戦っていたのか?

 ――それまでもう時間が無かったんだ……。

 ――信用できない俺には話せない……。だが、それまでに教主を引きずり下ろす必要があったんだ……。


 楓は、これまで真白のことを知ろうとしなかった自分を戒めた。

 本人から聞くことはできなくても、今の様に知る手段はずっとあったのだ。


「……俺は、真白に謝らないといけないな」

「え?」


 楓は立ち上がる。

 真白より先に会館に戻って来てしまったが、彼女もそろそろ戻って来るはずだ。

 楓は佐々木に感謝を述べると、すぐさま再びエントランスの方へと向かった。

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