第5話 ①
虎崎家
「うあああああああい」
うるさい。
ああもう……。
うるさいうるさいうるさい。
「お帰り、真白」
うるさい。
「今日は早いのね」
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。
「ごめんね……今日はテンション高くて……」
何でお母さんが謝るんですか?
何で?
何で?
「あ、お風呂沸かしたから。先入って」
わかってます。
当たり前じゃないですか。
「うああああ」
ああ……うるさい。
「ごめんね」
だから……何でお母さんが謝るんですか?
私は他人なんですか?
他人だと思ってるから気を遣うんですか?
「あああああ」
うるさいなぁ…………クソ。
*
日曜日 天廷会館
真白が会館に着くと、珍しい人物がいることに気付いた。
「……何で貴女がここに……?」
「あ、こんにちはー」
彼女の名は竜胆青子、楓の友人だ。
彼女は真っ当な社会人。
休日とはいえ、宗教施設に訪れる理由など普通は無い。
「実はねー、この後同窓会があるんだ。それで、楓のこと連れてくる役割してるんだ」
「俺は『行けたら行く』ってちゃんと言ってるのに、信用されないんだ」
「そういう言い方だからでしょ」
青子は楓の額を優しく小突く。
楓はそこまで嫌でもない様子だった。
「……よくもまあこんなところまで来れますね。黒倉さんの彼女か何かですか?」
「え!? い、いや……そういうわけではないけど……」
少し照れたように青子は頬を掻いた。
しかし真白には彼女が照れた振りを見せているだけだと捉えた。
友人関係がどのようなものかはわからないが、真白は、楓に青子のようなまともな人間が好意を持つことはないと確信していた。
「まあどうでもいいですけど。しかし、黒倉さんもいい御身分ですね。わざわざ迎えに来させて」
「ホントな! いやー、青子はホントいい奴だよ」
楓が濁りの無い笑顔を見せると、真白は不機嫌になる。
青子は楓から『いい奴』と扱われて思わず苦笑いを浮かべていたが、真白に彼女の気持ちはわからない。
真白はただただ苛立ちを見せた。
「フン……精々無職であることを笑われるといいですよ」
「ああ、笑われてくるさ」
楓の笑顔が嫌で、嫌で、仕方なかった。
「……ッ!」
真白は舌打ちをして会館のエントランスから立ち去ってしまった。
「真白さん、どうしたんでしょう?」
不思議に思ったのは受付の朱音だ。
彼女は一部始終をずっと聞いていた。
「私、やっぱりここまで来たのが良くなかったかな?」
「いや、アイツはいつもあんなだよ」
楓は青子に微笑みながらフォローを入れた。
「……でも、何だかいつもより棘のキレが悪かったですよ?」
「朱音……お前よく見てるな」
朱音が普段見ている真白であれば、まだしつこく煽っているはずだった。
舌打ちをしただけで、まるで敗戦したかのように立ち去る姿は見たことがなかった。
「……ま、気にすることないだろ」
楓は楽観視していた。
だが、彼は知らなかったのだ。
真白がかなり焦燥感を抱いていることを。
彼女が未だに自分のことを信頼せず、隠していることがあるということを――。
*
翌日 天廷会本部
同窓会でお酒を飲み過ぎた楓は、軽く二日酔いになっていた。
体調は優れないが、どうしてもと真白が頼むので仕方なく本部まで足を運んでいた。
天廷会の本部は山に囲まれた丘陵地に建てられている。
基本的な活動は会館で行われているが、本部は教主を含めた幹部陣が在中しており、年に一度の大巡礼の場としても使用されている。
実際会館の方が広く敷地面積を取っていて、信者でも会館が本部の様に感じている者は多い。
「あー……気持ち悪い」
「あの、私の前で吐かないで下さいね?」
楓は真白に連れられるまま本部の中へと入っていく。
「で、一体どうしたんだ?」
本部は敷地を囲むように家屋が建ち並んでおり、平安時代の貴族が住んでいるかのような建築だった。
しかし、内装は近代的で、中に入るとコンクリートの建物である会館の既視感が生まれるほど親しみが持たれた。
「……そろそろ本気で教主の座を取りに行きませんか?」
「え? いや、いくら何でも早くないか? ゆっくり行こうぜ」
「…………私はもう待てないんですよ。黒倉さんが教主になるのにまだ時間が掛かるというのなら、せめて、今の教主を引きずり下ろすことくらいはしませんか?」
真白の目は真剣だった。
だが、楓は彼女程焦っていない。
「待てって。そこまで急ぐ必要があるのか? 第一、どうやって今の教主を引きずり下ろすっていうんだよ」
真白は楓を廊下の隅に連れて行った。
本部の人通りは少ないが、彼女は話を聞かれるわけにはいかないと考えたのだ。
「……奴の不義を暴露するんですよ。そうすれば信者も目を覚ますはずです。あの男に教主を任せたのは間違いだったと」
「何だって? どういうことだ?」
「元々教主は選挙制で決めたんですよ。幹部の集う定例会で。先代か、もしくは幹部の誰かが推薦した人物の中から決められます。黄道麟示郎は元々天廷会の幹部で、自らを推薦して教主の立場を手にしました」
当初は誰も黄道麟示郎が教主になることに否定的ではなかった。
彼らにとって、信じるものはあくまで『天廷教』、そして崇めるのは真白の祖父である『虎崎輪道』。
その代表は、信者であり一部の条件を満たしていれば、誰でも構わなかったのだ。
「いや、俺が聞きたいのはそこじゃない。『不義』ってなんだ? そんな証拠がどこにある?」
「だから、その証拠を探すんですよ」
「はぁ?」
「だって、考えてもみて下さい。『教主』ですよ? この組織の中にいて、最も偉い人間なんですよ? 信者の女の一人や二人、食い物にしていてもおかしくないじゃないですか!」
「えぇ……」
楓は呆れてしまった。
真白の計画には、いつも具体性が無い。
自分を教主にするという計画も、今回も、手段が曖昧だった。
「それは……確証があるわけじゃないんだろ? 信者を食ってなかったらどうするんだよ」
「男が自由にできる女を目の前にして我慢できるわけがないでしょう? 絶対不義を働いているはずです!」
「そりゃお前の願望だろ……」
「でも! もしそれが本当なら、間違いなく現場はこの本部以外ありえないんです! ここなら幹部以外の信者は滅多に入ってこない……格好の連れ込み場です!」
「だからお前はここでその証拠を掴みに来たと……?」
「そうです! 盗聴器とカメラも持ってきました!」
「…………」
楓は呆れ果てて何も言えなくなってしまった。
だが、頭ごなしに真白を否定したりはしない。
彼女が、ただ頭が悪いだけなどとは考えない。
だから、彼女が焦燥感を持っているということに気付かざるを得なかった。
「……お前さ、何を焦ってんだ? 何か理由があるんだろ? 俺はずっと、ゆっくり教主になるプランを歩んでいくつもりだった。……お前は違ったのか?」
真白は焦りを見透かされて動揺する。
しかし、それでも彼女が楓に心を開くことはない。
「……別に……貴方には関係無いことですよ」
「関係あるだろ? お前が俺を協力者に選んだんだ。俺とお前の足並みを合わせるには、お前の考えを聞く必要がある。……お前が焦る理由……俺に話してくれないか?」
それでも、彼女は心を開かない。
「……ああもう! わかりました! いいですよ! もう協力してくれなくて結構です! ここからは私が一人で何とかします! 黒倉さんは今までありがとうございました!」
無理やり話を終わらせて真白は楓の下を去ろうとした。
「おい! 待てよ真白!」
真白はもう振り返らなかった。
そして、楓も彼女を追おうとはしない。
彼には真白を止める理由が無かったのだ。
どうせあんな無茶な作戦が上手くいくはずもない。
今彼のやらなければならないことは、一刻も早く真白の焦る理由を知ることだった。
それを知らないことには、先に進むことも、彼女を止めることもできなかった。
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