第4話 ③
数日後 天廷会館
楓と朱音が出会って数日が経過した。
朱音と楓はもう二人でしょっちゅう会っていた。
最初は朱音も躊躇いがあったが、天廷会館にも訪れるようになった。
もちろんそれも楓と会うためだった。
好意があるというわけではないが、彼女はずっと孤独だったのだ。
母親だけがいればいいと思いつつも、他人と話したい、接したいと願っていたのだ。
「今日も来てますね」
真白は後ろから佐奈に抱き着かれながらそう言った。
「ねー? 楓君も親切だねー」
「……あの、うざいんで放してもらえますか?」
「うあー、辛辣なところが可愛いなーもう!」
――コイツ……。
真白は心の底から佐奈のことを鬱陶しく感じていた。
だが、もうずっと前から佐奈は真白の言葉に聞く耳を持たない。
というよりは、そこも含めて可愛がっていた。
楓は朱音に大学時代の自分のエピソードについて語っていた。
「……で、そこで俺は言ったわけだ。『酒が無ければ水を飲めばいいじゃない』ってな!」
「成程……逆転の発想ですね……!」
真白は下らない話をしていると思っていたが、朱音にとっては話の内容などどうでもよかった。
そして、楓は朱音がそう思っていることをわかって、下らなくてもずっと楽しそうに話をし続けていた。
*
朱音は修行の時間が始まる前に会館を出る。
会員に迷惑を掛けたくないからだ。
朱音が帰ると真白は楓の下に近付く。
「それで、彼女は落としたんですか?」
「……ナンパじゃねぇんだからさ。まあ、日々に些細な楽しみができてくれていれば上々だ」
「……わかりませんね」
「? 何が?」
「天廷会に勧誘するためなら、まあわかりますけど……。今のところただ仲良くしてるだけじゃないですか。一体何のために……」
「何でってそりゃ……」
楓は一瞬考えた。
そして、自分なりの回答を模索する。
「……やっぱり、俺も母さんと二人暮らしだからだろうな……。だからさ……どうしてもほっとけないんだよ。母親のことを大事に思っている朱音のことが……」
「……まあ、それなりに納得はいく理由ですね」
楓の母親はまだ天廷会に身を置いている。
だが、体操教室内での楓の発言力が大きくなった今では、楓が辞めるべきだと判断すればいつでも退会させられるし、マルチの商品の購入は既に辞めさせている。
楓が母親のことを想っているのは間違いない。
だから、自分と朱音のことを重ねてしまったのは嘘ではない。
「別に私は、貴方が誰に善意を振りまこうがどうでもいいですが……本来の役目を忘れないでくださいね?」
「わかってるよ。……自分は何もしてない癖に」
「何か言いました?」
「何も」
真白は聞こえていない振りをしたが、実際はハッキリ聞こえていた。
不機嫌な表情を浮かべて見せるも、抱き着いている佐奈の両腕がその両頬を強く押しつけるため、上手く渋い顔を作ることができなかった。
*
数日後 アパート・ルイル
楓はこの日も朱音の家に来ていた。
特に理由もなく尋ねることも多いが、今日は朱音にバイトを紹介しに来た。
朱音は確かに内向的だが、人相の悪い楓に話しかけられても物怖じしないくらい、対人関係に苦手意識を持ってはいなかったので、楓は簡単な仕事なら彼女もやる気を出すと考えたのだ。
「そうですね……でも……私がいると迷惑なんじゃ……」
「朱音のことを迷惑なんて言う奴がいたら、俺達で文句言いに行ってやるさ。というか、他人に迷惑かけるなんて当たり前のことだろ? 迷惑かけて、迷惑かけられて……それが社会ってもんだ」
「フフフ、楓さん、社会経験豊富なんですね」
「いや! 職歴無しの無職だ!」
楓と朱音は二人で笑い合った。
朱音はもう完全に楓に対して心を許していた。
彼女は今の今まで母親以外の誰かとこんなに長く話し合ったりする機会は無かった。
無償で一緒に笑って喜んでくれる人間がいるだけで、彼女は満たされていたのだ。
「ま、バイト始めるかどうかは役所の人とも相談すればいい。……そうだ! ところでさあ、これは俺の高三の時の話なんだが――」
Prrrr
その時、朱音の持つケータイが鳴った。
彼女の家にある唯一の電子機器だ。
「あ……すみません」
「いいよいいよ」
朱音は遠慮しつつケータイを取った。
「……はい、雀野です……。…………え?」
朱音の手が震え始めた。
「朱音……?」
朱音の表情は曇り始める。
「……え……え……?」
「朱音、大丈夫か?」
既に楓は察していた。
「…………」
朱音は言葉を失ってケータイをポトリと落とした。
「お、おい」
「お母……さんが……死…………あ……」
朱音は、そのまま床に倒れてしまった。
「朱音!」
楓の声は、もう彼女には届いていなかった。
*
「…………ここは……?」
目が覚めた朱音は、いつの間にか自分が外に出ていることに気付いた。
辺りの風景は動いている。
しかし、歩いているのは自分ではない。
誰かに背負われている。
自分を背負っているのは――楓だった。
「よ、起きたか」
「楓さん……」
「今、病院向かってるからさ。近いみたいだから背負って連れてこうかと思ったんだけど、タクシーの方が良かったか?」
楓は優しく語りかけるが、朱音は上の空だった。
彼女はまだ、現実を受け入れ切れていなかった。
「……もう……いいです……」
「ん? 自分で歩くか?」
「もう……どうでもいい……」
「え?」
朱音は目に涙を浮かべ始めた。
「私には……お母さんしかいなかった……のに……。だから……もういいんです……」
「……とにかく病院まで連れて行くからさ。ちゃんと掴まれよ」
「もう……放してください。私は……もういいですから……。生きていても……しょうがない……」
「……いいから、少し落ち着け」
朱音は大きく体を揺らし始めた。
「もうどうでもいいんです! 放してください! お母さんがいないのに、生きていたってしょうがない!」
楓は立ち止まった。
「ふざけんな!」
「……!」
自分の前で初めて声を荒げた楓に、朱音は驚き黙ってしまう。
「『生きていたってしょうがない』……? お前の命はお前だけのものじゃねぇんだぞ? 誰が腹を痛めてお前を生んだんだ? 誰がお前をここまで育てたんだ? お前のお母さんだろ!? お前のお母さんが望んだからお前は生まれたんだろ!? お前のお母さんが愛しいていたからお前をここまで育てたんだろ!? 自分の命を捨てるっていうのは、お前のお母さんを裏切ることになるんだぞ! つらくても、苦しくても、お前が自分の命を捨てる権利なんて、絶対にないんだ!」
朱音は全身を震わせて、必死に楓の肩を握る。
溢れ出る涙を止めることができない。
「でも……私には……お母さんしか……」
「だったら、俺達がいる。天廷会の理念には、『結束』と『救済』がある。誰もお前を一人になんてしない。少なくとも、俺は絶対にお前を一人にはしない」
「楓さん……」
朱音が楓の顔を横から覗いたら、彼の目からは自分と同じ様に涙が溢れていた。
「だから……自暴自棄になるな。お前の母さんの為にも……」
楓の声は震えていた。
朱音は、楓が自分のことをどれだけ強く想っているかを理解した。
だから、彼女はもう何も言わず、ただ頷いた。
病院は、もうすぐ傍の所まで来ていた。
*
三日後 天廷会館
朱音は、元気を取り戻していた。
「……というわけで、今日から朱音は受付で働くことになった」
「なんか都合良くないですか?」
真白は楓に疑問をぶつける。
「まあ、いいだろ? 三木さんも『いい』って言ってたし」
「……もう仲良くなったんですか……」
楓は幹部の三木に頼み込んで、朱音を会館で働かせられるようにしてもらった。
その代わり、彼女は当然天廷会に入会することになる。
「私は可愛い子が増えて嬉しいよー」
佐奈は受付の仕事を、基本的に数人と交代で行っていた。
人手にはそこまで困っていないのだが、彼女は自分より年下の女子を可愛がろうとする性があった。
それだけで喜びを隠さずにはいられない。
ただ、彼女の中での一番の可愛がりの対象は真白であった。
「楓さん」
「何だ?」
朱音は改めて楓の方を向いた。
「いえ、教主様」
「はい?」
「ありがとうございます、私を入会させて頂いて」
「あ……いや、なんか勘違いしてるみたいだけど……俺はまだ教主じゃないよ?」
「え? そうだったんですか? ……でも! 私にとっては教主様です!」
朱音は一連の出来事を経て、楓に心酔していた。
入会を決めたのは楓がいるからだ。
流石の楓も少しだけ冷や汗をかいていた。
それを見てすかさず真白はからかいに行く。
「信者ができて良かったじゃないですか。教主になる前に箔が付きますよ?」
「茶化すなよ……」
*
朱音はその後、佐奈に仕事の説明を受け始めた。
楓は手持ち無沙汰になっていたが、そこへ声を掛ける人物が現れる。
「楓君」
「あ、三木さん」
楓は三木に呼ばれてそちらの方へと体を向けた。
傍にいた真白はまたつまらない話でもするだろうと思って、ソファに座る朱音たちの方を見つめる。
「……助かったよ、楓君。用事ができて済まなかった」
「いえ、全然問題ないですよ! またいつでも声を掛けてください!」
――……え?
聞き耳を立てるつもりはなかったが、真白は二人の会話にどうしても疑念を持つ。
三木はそれだけ言うと会館を去ってしまった。
真白はすぐに楓に詰め寄る。
「あの、今の話って……」
「ん? 何でもねぇよ、気にすんな」
真白は、疑問を聞かずにはいられなかった。
「……ちょっと待って下さい。確か、この前三木さんに勧誘を頼まれていましたよね?」
「ああ、そうだな」
「…………まさかとは思いますけど……その勧誘の対象って……雀野さん……ではないですよね?」
真白はずっと不思議に思っていた。
どうしても彼女は人の思いやりを理解できないので、楓が同情だけで朱音を救ったとは思えなかったのだ。
もし、朱音が勧誘の対象だったのなら、楓が手を差し伸べたことにも説明がつく。
真白にとってはそれが一番合理的だった。
楓は真白に目を見せずに口を開く。
「……もし、三木さんが倒れた母親の言葉を代弁していただけだとしたらどうする? 『天廷会を頼れ』と母親が言ったと、三木さんから朱音が又聞きしていただけならどうする? 俺が朱音に話しかけたのは、初めからそういう手筈だったとしたら……どうする?」
真白の背筋に冷たいものが走った。
「まさか……全部貴方が仕組んで……」
真白は頬を強張らせた。
それは、楓に対する恐怖を感じ取ったからだ。
「……なんてな」
「え?」
楓は笑った。
「俺が朱音に同情したのは本当だよ。救いたいと思ったのも本当だ。アイツに生きてほしいと思ったのも。……俺が最初から、アイツのことを知っていたわけがない……だろ?」
それでも真白は信じ切れなかった。
「彼女の事情は後から知っただけの可能性もあります。……貴方は、彼女を入会させるためだけに手を差し伸べ続けたわけではないと……心から言えますか?」
楓は微笑む。
「……好きに思えよ」
真白は溜息を吐いた。
そして、再び目線を朱音の方に移す。
彼女は笑顔だった。
とても幸せそうな笑顔。
いずれにしろ、彼女が救われていることは間違いなかったのだ。
「……まあ、いいか」
真白はこれ以上言及することはなかった。
朱音が笑っているのなら、その他はどうでもいいこと。
思いやりのない彼女でも、天廷会で救われる者がいるのなら、真白はそれで良かったのだ。
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