第4話 ②

 数日後 天廷会館




「佐奈、アレ誰だ?」


 楓は、エントランスのソファに座っている人物がいることに気付いた。

 佐奈は受付の仕事を務めているので、楓に話しかけられる機会は多々あった。


「さあ? なんかずっといるんだよね」

「会員じゃないのか?」

「うん。でも、正直ずっと居られると困っちゃうかも……」


 天廷会館は基本的に会員しか訪れることはない。

 それ以外の人物が来るとしたら、新規で入会を考えている者だけだ。


「ちょっと話しかけてみるか」

「え? 勇気あるね……」


 楓はソファの方に向かった。

 座っている人物は、服装は安物で、髪はボサボサ、明らかに貧乏な見た目の少女だった。

 近付くと薄幸な雰囲気が漂い、傍にいるだけで気が重くなりそうだった。


「こんにちは! どうしましたか?」

「……!」


 楓が話しかけると、少女は驚いた顔をして彼の顔を見つめた。


「……どうかした?」


 内向的なタイプだと察した楓は口調を変える。

 明るすぎるとかえって圧に感じられることがあるからだ。

 そして、そのまま向かいのソファに腰を下ろす。


「……ここに来れば、助けてもらえるって……」

「え?」

「……お母さんが、『困ったときは天廷会の人を頼れ』って……」

「お母さん? うちの会員の人なのかな?」

「多分……」


 少女は消え入りそうな声だった。

 何か問題を抱えていることはすぐにわかった。


「それで……何があったのかな?」

「……私……お母さんしかいなくて……でも……お母さんが倒れて……病院で……それで……それで……」


 少女は頭を抱えながら身を震わせ始める。


「私……お母さんがいなくなったら……どうすればいいか……」

「落ち着いて。取り敢えず、一から説明してくれるかな?」


 楓は少女を落ち着かせながらゆっくりと事情を聞いた。

 少女は落ち着きを取り戻すまで時間をかけたが、なんとか楓に自分のことを説明した。



「どうだったの?」


 佐奈は受付に戻って来た楓に尋ねる。


「まあ……色々事情が込み入ってるみたいでな」

「名前は? 聞けたの?」

「ああ。雀野朱音すずのあかね、それが彼女の名前だ。母親と二人、親族に借金を背負わされたことが発端で、生活保護で暮らしているらしい。年齢は、学校に行っていれば高校生の年だ。母親はずっと病気を抱えながら天廷会の宗教活動に参加していたらしいが、先日病状が悪化して入院を始めた。医者の話だと……もう長くないらしい」

「そんな事情が……」

「彼女は、母親以外の身寄りがない。だから、今後のことを心配した母親が、天廷会を紹介したんだ。他に縋れるものがないから……」


 佐奈は話の重さに絶句してしまった。

 だが、彼女もまた天廷会に身を置く身。

 朱音程ではないにせよ、同じ様に縋るものが欲しくて天廷会に入ったのだ。

 同情しないはずがなかった。


「それじゃ、あの子もうちに入るの?」

「……会費を払う金は持っていないらしい。彼女はいい子だ。受給費を生活費意外に使うのが嫌らしい。母親だって使ってたのにな……」

「なんとか説得できないの?」

「俺は、無理して天廷会に入ってほしくはない。彼女の意思による問題だ」

「……そう」


 佐奈は勧誘に参加したことがなかった。

 だからというわけではないかもしれないが、楓の言葉に同調した。

 二人は、ソファに座る朱音を見守るだけだった。



 翌日 天廷会館




 楓は真白に朱音のことを話した。


「生活保護? ハッ! 社会のゴミじゃないですか……あうッ」


 楓は真白にデコピンをした。


「お前、そういう言い方するなよ。悪口は俺に対してだけにしとけ」

「……すみません、口が勝手に……」


 真白は人とのコミュニケーションが絶望的に下手だった。

 相手を見下すことでしか距離の測り方を知らないのだ。


「……でも、どうする気なんですか? 私達には何の関係も無いでしょう?」

「でも、天廷会を頼ってくれたんだ。いずれ教主になる身としては、手を差し伸べないわけにはいかないだろ?」

「手を差し伸べるって……どうやって?」

「友達になる」



 楓と真白は朱音の住むアパートへと向かった。

 住所は予め朱音から聞いていた。

 楓が真白を連れてきたのは、流石に男一人で向かうのを躊躇ったからだ。

 最悪、自分とは仲良くなれなくても、真白と信頼関係を作ることができればいいと考えていた。


「ここがその子のアパートですか? クッソぼろいですね」

「またデコピンするぞ」

「いや……だから口が勝手に……」


 真白は片手で口を塞ぎながら苦笑いした。

 もう癖のようなものなので、彼女自身も制御できないのだ。

 しかし、アパートは確かにボロボロで、そこまで家賃も掛からなさそうな場所だった。

 朱音が暮らしているのはそのアパートの一階。

 楓は早速その部屋の扉の前に立つ。

 すると――。


 ガチャ


「え?」

「あ」


 たまたま朱音が扉を開いて出てきた。

 二人はそのまま朱音の部屋に入れてもらった。

 朱音はまったく二人のことを警戒せず、微笑みながら招いた。



「粗茶ですが……」


 朱音は台所から居間に案内した二人にお茶を入れて持ってくる。


「うわ、『粗茶です』って言いながら本当に粗茶入れてきましたよ……うあッ」


 楓は真白にデコピンした。


「ありがとう、コイツの言うことは気にしないでくれ」

「……さっきより強くないですか?」

「お前が悪い」

「フン」


 二人のことを見て朱音は少し笑った。


「仲が良いんですね」

「ハァ!? 誰が――」

「ああ、そうなんだ」

「素敵です。私……友達とかいないので……」


 朱音の自虐に二人は言葉を失う。

 朱音は居間のテーブルを挟んで二人と対面する様に座った。


「ずっとそうなんです……。小学校でも、中学校でも……あまり良い目で見られなくて……」


 ――そりゃ生活保護ですしね。

 真白はデコピンを食らいたくないので頭の中でそう言った。


「でも、お母さんがいたから私、辛くなかったんです。誰に何を言われても……お母さんがいれば、それでよかった……。だから……お母さんがいなくなったら……どうしたらいいかわからなくて……」


 ――あーあー重い重い。

 真白は脳内で悪態をつき続ける。

 一方の楓は真剣な眼差しで話を聞いていた。


「あ、ご、ごめんなさい! 折角来ていただいたのに私自分の話ばかり……すみません……」

「いや、大丈夫だよ。俺達は君のことを聞きたくて来たんだ。友達になりたくてさ」


 ――うわーキャラ作ってるー。というか七歳差で『友達』って……。

 真白は楓が人によって態度を変える人間だと思っていた。

 だが、基本的に親しい間柄以外の相手は大体似たような態度で接している。

 

「と、友達……!?」

「ああ。そうだよな? 真白」

「え、あ、はい」


 真白は男だけで行くわけにはいかないから連れてこられただけだと思っていた。

 当然朱音と仲良くなる気はさらさらない。


「そんな……私なんかに……」


 朱音は手で口を覆って涙を浮かべていた。

 彼女はあまり新興宗教などの知識がなく、彼らのことを全く警戒できなかったのだ。

 もっとも、楓は完全な善意だけで来ているので、警戒の必要は初めから無かったが。


「何なら天廷会館に顔出してきてもいいよ。みんな優しくしてくれるよ」

「いいんですか? 私なんかが……」

「ああ。……ところで、朱音は普段何してるんだ?」

「普段……ですか? ……起きて、ご飯食べて、シャワー浴びて……寝てます……」


 ――何もしてないじゃん!

 真白はやはり脳内でツッコんだ。

 しかし楓はうんうんと頷くだけ。


「そうか……仕事を探したりとかは?」

「その……一度バイトをしようと思ったことがあったんですが……失敗ばかりで……自分から辞めて……。駄目ですよね……こんなんじゃ……」

「いやいや! そんなことないよ! 何せ俺、無職だしな! 無職でも笑って生きていれば勝ち組だ! アハハ」


 楓は心底幸せそうな笑顔を見せる。

 ――無職のプロですねこの人……。

 真白はもう楓がただの引きこもりだとは思っていなかった。

 もちろん、だからといって人を馬鹿にするのは彼女の習性なので止めたりはしない。


「黒倉さん……!」


 ――感動してるし!


「これからは仲良くしような! 何なら毎日面白い話持って来てやるしさ! 俺と会うのが楽しみで仕方なくしてやるぜ!」

「……はい! ありがとうございます!」


 楓は、朱音の自己肯定感の低さに気付いていた。

 だからこそ、彼女の家に赴き、何の見返りも求めないことで、彼女が自分のことを話しやすい雰囲気を作った。

 そして、そうなれば自分を虐げるようなことを言い出すとわかっていた。

 楓がそんな彼女を慰めれば、彼女はいとも容易く心を開く。

 彼女はもう失うものがないため、他人を警戒する理由が無い。

 ただ手を差し伸べられたら受け止めるだけなのだ。

 そうして少しずつ彼女に取り入り、やがて天廷会への勧誘を再び行えば、簡単に入会することだろう。

 しかし、楓は再び入会の話をすることはなかった。

 あくまで『友達になる』という話しかすることはなかった。

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