第4話 ①

 天廷会館




 楓が天廷会に入会して三ヶ月が経過した。

 今日も今日とて楓は体操教室に母親と通っている。

 母親はまだ宗教活動には参加していないが、楓は交流を深めるためにありとあらゆる活動に参加している。

 体操教室では毎度雑談で豆知識を披露したり、たまに手作りのお菓子を持ってきたりしている。


「あの! 今日はクッキー作ってきたんすよ! どうすか!?」

「あらあら楓君、ホント可愛い趣味してるわね」


 婦人達には好評だった。

 楓はこのためにわざわざお菓子作りを勉強した。


「楓、今度の趣味は長いわね。いつもすぐ新しい趣味に変わるのに」


 楓の母親は、楓がお菓子作りを始めることに対して違和感を持つことはなかった。

 何故なら、楓は昔から色々な趣味に手を出してきたので、今回もただ料理にはまっているだけだと思っているのだ。


「まあな、次はマドレーヌを作ろうと思ってる」

「あら楓君、おばさん楽しみにしちゃうわよ」


 周囲の婦人達は、楓の手厚い奉仕精神にご満悦だった。

 明るく接しすぎて楓に苦手意識を持つ人はいても、誰も楓のことを嫌う人はいない。

 体操教室は、既に楓が中心人物になっていた。



 体操教室を終えると、母親が先に帰る一方で、楓は真白と合流する。

 真白とはいつもエントランスのソファで今後の話し合いをしていた。


「もう黒倉さんがこの会館でかなりの発言力を持っていると思うんですけど、この次の段階はどうするつもりなんですか?」

「まだ次の段階に移るには早すぎる。取り敢えず、幹部連中と仲良くしていかないとだからな」

「……地道ですね」

「当たり前だ。そんな簡単に成り上がれるなら、世の中社長だらけだろ?」

「……」


 真白はどこか不機嫌な様子を見せる。

 しかし、楓としてはかなり順調に事が運んでいるので、むしろもっとゆっくりしていこうとすら考えていた。

 あまり早く上の立場に取り入ってしまうと、周りの反感を買う恐れがある。

 ゆくゆくは幹部の立場から狙ってはいるが、それはまだ数年先の予定だった。


「……そんなにゆっくりで大丈夫なんですか? 天廷会が先にカルトになってしまうかも……」

「いや、恐らくそれはない」

「どうしてそう言えるんですか?」

「宗教団体がでかくなるのだって時間がかかるんだ。今はビジネス面での成長が確かに著しく見られるが、反社会的になるのはそう簡単じゃない。……というか、ここに長いこといて思ったんだが、俺としては本当にカルトになるとも思えないんだが……」


 楓は、三ヶ月の時を経て天廷会への認識を改めていた。

 当初は危険な新興宗教だという見方だったが、意外に宗教活動としてはきちんとしていて、今から反社会的になるためには現在のシステムを大きく見直す必要がある様に思われた。

 例えばマルチでは、実際の商品であるサプリメントが真っ当なものだったので、詐欺やねずみ講に移行するにはそのサプリメントを提供している優良企業から手を引く必要があった。

 それは、天廷会としても大きな損失に繋がってしまう。

 天廷会には、わざわざ反社会的組織になるメリットが無いのだ。


「なります! 今の教主はそれを狙っているんです!」


 しかし、真白は断固としてカルト化を恐れ続けていた。


「……まあ、マルチは風当たりの良い商売ではないけどさ……。新興宗教なら妥当な資金集めの手段だと思うぜ? お前は何をもってカルト化を信じてるんだ? マルチ=カルトじゃないぜ? そもそもマルチ自体は詐欺やねずみ講と違って合法だし」

「……『信じてる』? 違いますよ、私はただ知ってるだけです。天廷会は……黄道麟示郎によって変えられようとしている……。それを証拠に、ボランティア活動や障害者支援センターへの投資が減っているんです。金を溜め込んで、信者を増やそうとしている……。何か企んでいるとしか考えられないでしょう?」

「うーん……それだけだと単に天廷会を大きくしたいだけにも見えるけどなぁ……」

「地域との関係をシャットアウトしようとしているんですよ? 自ら孤立の道を進んでいるんです。私は……昔の、おじいちゃんが創設した時の天廷会のままがいいんです」

「……それって、ただの我儘なんじゃ……」


 その時、真白の後ろから突然誰かが抱き着いた。


「真白たん!」

「ひゃあっ」


 抱き着いた人物は、灰原佐奈。

 抱き着いて、そのまま頬ずりをしていた。


「はあ、真白たん、今日も可愛いなぁ……」

「ちょ、うざ……放して!」


 彼女は大変真白を可愛がっていた。

 楓ももう何度か彼女が真白に突然抱き着いたりするスキンシップは見ている。


「よう、佐奈。今日も元気だな」


 楓に話しかけられると、佐奈はキッと彼を睨んだ。


「何? 私の真白に声掛けないでくれる?」

「いや……俺は佐奈に声かけたんだけど……」

「え!? 私口説かれてる!? どうしよう真白たん! でも私には真白たんがいるからねー」

「うざい! 放してください!」


 楓は二人のやりとりを微笑ましく見ていた。

 真白は大層嫌がっていたが、楓としては女子同士がくっついているのを見るのは目の保養になった。


「楓君、ちょっといいかな」

「え?」


 二人の様子を眺めていたら、スラッとした見た目の男性が楓に話しかける。

 楓はその人物を知っていた。

 この会館での修行の際、いつも皆の前で座禅を組んで祈っている人物だった。


「私は三木みきだ。君と直接話すのは初めてだったかな?」

「……そうですね、いつもすぐ本部の方に帰ってしまうので」


 この男は周防と同じく幹部の一人だ。

 つまり、楓がこの先仲良くしなくてはいけない相手。


「ハハハ、済まない。私も君とは話してみたいと思っていたんだ」

「ホントですか!? 光栄です!」


 楓は作り物の笑顔を向けた。


「周防から聞いたよ。サプリの売り上げに貢献してくれたってね。商才があると見たよ」

「いやぁ、たまたまですよ」


 実際、青子が大量に売りさばいたのは予想していたことではなかった。

 彼としては自分が大量買いするだけでも話題になると考えていたのだが、思っていたよりもまともに売れてしまったので、青子のことを知らない天廷会の面々は、楓を過剰に評価してしまった。


「ところで、君に頼みたいことがあるんだ」

「え? 何ですか? 俺で良ければ力になりますよ!」

「凄いバイタリティだね……。まあ、なんてことはない、ただの勧誘だよ。君と私で協力して回らないかという話なんだ」

「いいんですか!? ぜひ、お願いします!」


 楓は、勧誘活動はまだしてこなかった。

 自信が無かったのもあるが、天廷会がどういうものかを把握するまでは、無暗に他人を天廷会に入れたいと考えていなかったのだ。

 しかし、今は違う。

 彼は、人によっては天廷会の教えが救いになる人間もいると考えていた。

 だから、この幹部の男の話に二つ返事で乗ったのだ。


「ありがとう。それじゃあ、また連絡するよ」

「はい!」


 連絡先を交換して三木はその場から去った。

 楓は姿が見えなくなるまで笑顔を続けていた。 

 しかし、見えなくなるとすぐに神妙な面持ちに変わる。

 ――気のせいか? どうも上手くいきすぎている気がする……。

 本来は彼の方から周防以外の幹部と接触する算段だった。

 だが、何故か三木の方から楓に声を掛けてきた。

 彼にはそれがどうも気がかりだった。

 ――俺を抱き込みたいと考えているのか? いや、確かに目立ってはいるが、それは自意識過剰過ぎないか?

 ――……何にせよ、俺は教主を目指すだけ……か。




 楓の疑念は僅かに当たっていた。

 三木は、会館を出るとすぐに教主へと電話を繋いだ。


「教主様、御達しの通りに彼に協力を仰ぎました」

『……ああ、ありがとう』

「しかし、何故彼を? 確かに活動には熱心に参加されておりますが……」

『……フフフ、まあ、よく彼を見ておくといい。彼は……とても面白い男だよ』


 三木には教主の言葉の意味がわからない。

 だが、彼は組織の歯車として命令に従うだけだった。

 教主が黒倉楓の何を知っているのかなど、どうでもいいことだった。


「はあ、わかりました」


 教主は、電話を切る前に少しだけ笑った。

 三木は想像する。

 彼は恐らく今も笑っているのだろう。

 いや、間違いなく。

 今後のことを思い描いて笑っている。

 彼はそういう男なのだから。

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