第2話 ①
天廷会館
楓は、再び天廷会館に訪れていた。
入会を果たし、体操教室の参加をするのは一週間に一回だったが、彼は入会翌日からニコニコしながらやって来ていた。
受付のすぐ傍のベンチに腰を下ろし、スマホを弄っていた。
「何してるんですか?」
楓に話しかけたのは真白だ。
「ん? ああ、真白か。おはよう。何? いつもいんの?」
「授業が休みなだけです。無職と一緒にしないでくださいね」
楓はスマホをしまい、人と話す体勢を作った。
「俺は人を待っているんだよ」
「人?」
「ああ。もうすぐ修行の時間だろ? 人が来ると思ってさ」
「? 修行に出るんですか?」
「そうだなぁ……見学はしようと思ってるけど……。まあ、場合による」
真白は楓の目的が読めなかった。
「何か考えてるんですか?」
「……あ、来た」
質問に楓が答える前に、会館の入口が開いて人が入って来た。
入って来たのは五名程の婦人集団。
平日の昼間なので、主婦層だと思われた。
「こんにちは!」
楓は立ち上がり、元気良く挨拶をする。
「あら、貴方は昨日の……」
「黒倉楓です! よろしくお願いします」
突然の挨拶に一瞬驚くも、婦人達は挨拶を返す。
「あらあら、黒倉さんの……。今日はどうしたの? もしかして、修行に出るのかしら? ……なんてね」
「俺、ずっと人と話さずにいたもんで、皆さんと早く仲良くなりたいんですよ! 近藤さん」
「え……もう私の名前覚えてくれたの?」
「もちろんです! 代永さんに立花さんに桑田さんに清水さん……皆さんの名前は覚えましたよ。あ……でも、こっちの女の子の名前は忘れてて、今怒られてたところなんですよ。アハハ」
楓は真白の方を示してそう言った。
すると、婦人達も楓に同調して『あらあら』と笑う。
真白は状況を理解できずに困惑していた。
「楓君、これからよろしくね」
「はい! こちらこそ!」
楓はニッコリと笑って移動する婦人達を見送った。
婦人達はご機嫌なようで、ニコニコしながらその場を去っていった。
「……で、今のは何ですか?」
真白はまだ愛想笑いを浮かべている楓に尋ねる。
すると、楓は表情を元に戻して返答した。
「……言った通りだ。仲良くしてるだけだよ」
「何の意味があるんですか?」
「そりゃあ、これから教主様を目指そうってんなら、人望は必要不可欠だろ? これからは毎日ここに顔を出して、なるべくたくさんの人と交流する。特に婦人層を中心にな」
「……まあ、考えはわかりますけど……。あの人達、多分、黒倉さんみたいな若い男に声を掛けられて喜んでいるだけで、他の若い人とか男性には、あまり効果が見込めないと思いますよ? 黒倉さん、人相悪いし」
「それは俺もわかってる。だから、婦人層中心になんだよ。そこから着実に、俺のこの空間での発言力を増やしていく。そうすれば、母さんが宗教活動に勧誘されても断りやすい雰囲気を俺自身が作ることができる」
楓の考えに対して、真白はそこまで同調していなかった。
「そう上手くいきますかね? そんな簡単に他人に取り入れられるなら、みんなやってると思うんですけど」
「『簡単』? どこがだよ。これから毎日同じことを続けるんだぞ? しかも、どうでもいい相手にも愛嬌を振り撒き続けなくちゃいけない。そんなこと普通はできないし、続けられない。当たり前だ。人はそこまで人望を集めなくても、ストレスなく生きることができる。コスパが悪いからやる奴がいないだけだ」
「ふーん……それ、証拠あるんですか? 統計取ったんですか?」
「……まあ、効果が無かったらそれまでのことだと思ってくれ」
楓は真白を納得させることを諦めた。
彼女は人の言うことを素直に聞き入れない。
楓はそれを彼女の長所でもあると考え、否定する気が無かった。
*
楓は折角なので天廷会の『修行』を見ていくことにした。
修行の時間は会館のどの部屋でも皆綺麗に整列して正座し、同じ方向を向き、天廷教の教書を音読していた。
「さて……ほら、やってますよ」
「………」
第一ホールの収容人数は会館で最大で、平日の昼間だというのに、五十人程が並んで修行を行っていた。
「天亜気偲士顕自滅理朴櫓…………」
彼らは意味不明の単語の羅列を音読していた。
両手を合わせるか合わせないかという距離で上下させ、皆同じ方向を向いていた。
皆目は見開いており、瞬きをしているかどうかを確認しようとすると、目が合ってしまうのではないかと恐れ、それを調べることはできなかった。
楓は、その異様な光景に息を飲むんだ。
ホールのドア付近にいた二人は、一旦入り口から距離を取る。
「……何これ」
「修行ですってば」
楓は右手で目を覆った。
「ちゃんとカルトじゃん……」
「ちょ……いや! 違いますよ!? これは一応祖父の考案した読経の形で……。それ自体に意味は無くても、大勢が意思を統一することに欠かせない儀礼であって……。別に、これには反社会的な要素はありませんからね!?」
「そもそも、天廷教って何なの?」
楓の質問に答えるため、真白は一旦目を伏せて頭を整理し始めた。
「天廷教というのは……元々は宗教ではなかったんです」
「どういうこと?」
「今も体操教室がありますよね? 始まりはそんな、ちょっとした町内の集会のようなものでした……。私の祖父はその幹事。ある時、祖父は仲間内での争いや揉め事に対処するため、歌を歌う時間を作りました」
「……歌?」
「みんなの結束を高めるためです。祖父はいろんな方法で結束を深めることを考えました。歌の他には本の朗読、スポーツやダンス。そして……哲学」
「哲学? 何をするんだ?」
「研究会のようなものです。自分なりの考え方を示す場所の提供……。それは、お互いの思っていることを明らかにすることができ、仲を深めるのにとても効果的でした。……やがて、祖父は自分なりの世界の在り方や生死の捉え方、価値観を仲間に話すようになりました。転機となったのは、仲間の一人が祖父の考えにいたく感銘を受けたことでした。結束を高める時間は、次第に祖父の考え方を研究する時間となり、それが……天廷教の始まりになりました」
「それで……修行とかいうのはどういう経緯で始まったんだ?」
「始まりは、ノリや冗談だったのかもしれません。でも、今はもうわかりません。誰も、そこにあった元々の意味を知らない……。でも! 『意味』は信者一人一人が創るものなんです! 人々の『結束』と、孤独な者の『救済』……。それが、『天廷会』の第一理念なんです!」
真白の瞳には強い意志があった。
彼女は盲目な信者ではない。楓はそう感じ取った。
楓は特に宗教に興味を持つことは無かったが、それが人々の救いになるのは良いことだと考えていた。
「……その『天廷会』が、カルトになりつつある……。お前はそう言ったよな?」
「……はい、そうです」
真白は再びホールの中を見るように促した。
ホールに並んで座る人々が見つめる同じ方向の先にいる、数人だけ人々に相対する方向を向いて修行をする者達を。
「あの真ん中の人が、今の天廷会の幹部の一人です。他にも数名います。……何人かは、私の祖父と関わりのある人でした……」
「今はもうないのか?」
「祖父はもう死にました。でも……祖父の想いを継ぐ人はいなかった……。今の教主に代わってから、天廷会のやり方は変わったんです」
「今の教主に代わってから、天廷会はどうなったんだ?」
真白は悔しさを露わにしながら歯を食いしばる。
「……『マルチ商法』を始めるようになりました。もちろん、法律に触れる内容ではありませんし、宗教活動とは分離されています。でも、入会の際に友達を紹介すれば入会費が安くなったりする特典や、有料セミナーの実施、勧誘活動によるお布施の減量など、明らかに以前にはなかったビジネス的な思考の人物が天廷会を牛耳るようになったんです」
「……それだけ聞く分には、まだカルトとは言えないな」
「でも、信者の勧誘はだんだんしつこいものに変わるし、マルチも周りに良い目で見てもらえません。天廷会の評判は落ちる一方なんです……」
楓は自分なりに今の教主の目的を推測する。
「今の教主は……天廷会を利用して金儲けを企み、用が済んだら使い捨てるつもりなのか?」
真白は大きく頷いた。
「間違いありません! マルチもこのまま放っておけば、大規模になって損をする人が増え始めるはずです。もし、信者の制御ができなくなっていけば、天廷会の様相は変わっていきます。犯罪を働く信者も現れるかもしれませんし、実際既に天廷会は同調圧力が強くなっていて、退会が心理的に難しくなっているんです。このままだと……」
真白は目をウルウルとし始めていた。
楓はそれを見て改めて決意を新たにする。
「…………よし! 俺に任せろ! 教主になって変えてやるさ!」
「黒倉さん……」
一瞬気持ちが揺れかけた真白だったが、すぐに睨みを返した。
「……どうしてそこまでしてくれるんですか?」
「え? 何言ってんだ? お前が頼んだんだろ?」
「私は……貴方が理解できない。一日考えて、思ったんです。貴方の母親のためだけなら、別に教主になる必要はないはずです。そこまでする必要はないはずです。必要は……」
楓は溜息を吐いた。
「……だから、お前が頼んだんだろ? 俺を信じられないのか?」
「はい」
「即答かよ……。じゃあ、初めから俺に頼むなよ。お前、他に頼める奴いなかったんだろ? 誰かに協力してほしかったんだろ? 俺の厚意を素直に受け止めろよ」
「……私は、そもそも貴方が母親の為に行動する理由もわからないんです。どうして母親を救おうとするんですか?」
「そりゃお前……」
言いかけて、ふと気付いた。
真白は、子が親のために行動するのに理由がいると考えているのだと。
それはハッキリ言って一般的ではないが、彼女はそう考えて生きてきたのだと。
だから、彼は自分の身の上を話さなければならないのではないかと考える。
真白と楓は、もっとお互いのことを知る必要があるのだ。
「……そういえば俺達、お互いのこと何も知らないな」
「? それが何ですか?」
「もし、俺達がこれからも協力関係を続けるのなら、お互いを『信じる』ことができなくちゃいけない。そうだろ?」
「『信じる』……」
目を伏せる真白は、その言葉が嫌いだった。
だが、楓は彼女が目を伏せた理由を知らない。
「つーわけで、親睦を深めた方がいいと考える」
「つまり?」
「……デートしよう」
「…………は?」
真白は呆然とした。
「はぁぁぁぁ!?」
真白の声が、会館に響き渡った。
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