第1話 ②

 黒倉くろくら




 黒倉楓は、無職、実家暮らしの二十五歳。

 現在は母親と二人で暮らしていて、離婚した父親の慰謝料を生活費にしている。

 楓は自室に籠りきりの生活をしていたが、本日は久々に母親と外食をした。

 だが、外食先には楓の知らない人間が待ち構えていた。

 待ち構えていたのは老婆と娘の二人組。

 どうやら体操教室の勧誘の話のようだったが、老婆の持ち込んできたパンフレットには、明らかにそれ以外の活動内容についても書かれていた。

 

 その内容は――『宗教活動』。

 体操教室を開いている団体の名称は『天廷会』。

 つまり、新興宗教の勧誘だったのだ。


 楓は老婆と共にいた娘と連絡先を交換することになったが、彼はこれも勧誘の一環なのではないかと勘繰っていた。

 自室で連絡先を眺めながら、彼はこれから先のことを考えていた。

 もし、自分と母親が新興宗教の勧誘を受けているのなら、どうにか断らなくては、という風に。

 彼は宗教に興味を持っていなかったのだ。



 Prrr



 そんなことを考えていると、彼のスマホが着信を知らせてきた。


「もしもし」

『こんばんは、黒倉さん……で間違いないですか?』

「はい、間違いないです」


 電話の先の声には聞き覚えがある。

 その声は、昼間連絡先を交換したばかりの娘の声だった。


『ああ、よかった。電話に出てくれるなんて意外でした』

「? 何故?」

『だって黒倉さん、無職でしょう? コミュニケーションできない人かと……』

「……」


 楓は彼女の失礼な物言いには文句を言わなかった。

 第一印象の通りの人物だと理解し、取り敢えず話を聞きたいと考えた。


「……それで、何の用かな?」

『昼間、お話しましたよね? 貴方のお母さんを救う話です』

「……母さんは、もう入会しているの?」


 楓は彼女に敬語を使う必要はないと考えた。

 元々年も下のように見えていたし、何より彼女に払うべき敬意を持ち合わせていなかったのだ。


『まだですが……時間の問題です。家族をカルトに搾取されたくはないですよね?』

「『カルト』って……」

『私に協力してくれれば、お母さんも救え、『天廷会』も綺麗な組織になれるはずです』

「……まだ母さんが入会したわけじゃない。女の子から電話が来たのは久しぶりで嬉しいけど、心配はいらないよ。」

『心配? 誰が貴方の心配をするんですか? 取り敢えず、明日会ってください。どうせ暇ですよね? 無職ですし。午前十時、前林駅です。では』

「え? ちょ、おい」



 プツッ



 一方的に切られてしまった。

 楓は彼女の一方的な誘いに困惑するも、退屈しのぎにはなるかと考えて、明日の待ち合わせに従うことにした。

 彼はまだ、自分の母親がどれだけ『天廷会』と関わりを持っているか知らなった。

 ただ、もし知っていたとしても彼の行動には変わりがないだろう。

 彼はスマホをベッドに転がすように置くと、明日着ていく服をどうしようかと考え始めた。



 前林まえばやし駅 西口




 楓の自宅から徒歩十分の距離にある最寄り駅。

 そこが待ち合わせの前林駅だった。

 楓は久しぶりの女性との待ち合わせということで、それなりに身なりを整えてから家を出てきた。

 当然待ち合わせの時間の十分前には到着し、駅の改札前にある、モニュメント周りに設置されたベンチに腰を掛けて彼女の到着を待った。

 しかし、待ち合わせの十時を五分過ぎても彼女の姿は見えなかった。

 一杯食わされたかと考え始める楓だったが、その時、改札の方から彼女の姿が現れた。


「おはよう」

「うわ、ちゃんと時間通りに行動できるんですね、無職の癖に」


 開口一番失礼なことを言う彼女に、楓はいちいち苛立つことは無い。

 それより、時間をオーバーしてやって来た彼女の発言であることに疑問を持った。


「俺が遅れることを想定してきたと?」

「はい」

「……」


 何も言い返さず、彼は歩みを始めた。


「で、どこへ?」

「取り敢えず、ファミレスに行きましょう」


 先に歩みを進めた楓を追い抜かすように彼女は歩き始めた。

 彼女の表情はにこやかで、足取りは軽かった。



 ファミレスに辿り着くと、彼女はいの一番にドリンクバーを注文した。

 それに次ぐように、楓もまたドリンクバーを注文する。


「お金あるんですか? 無職なのに」

「……ああ」


 彼女はもはや当然の様に楓のことを煽っていた。

 楓ももう慣れ始めていた。

 ドリンクバーを互いに入れ終えると、早速楓は口を開いた。


「ところで、おたく、名前何て言うの?」

「えぇ……貴方に教えなければならないんですか?」

「……せめて呼び方を……」

「真白です。虎崎真白こざきましろ。名字で呼ばれるのは嫌なので、名前で呼んでくれると助かります」

「わかった。よろしく真白ちゃん」

「『ちゃん』付けは気持ち悪いので止めてください」

「……よろしく真白」

「『さん』付けが一番良かったんですけど……まあいいです。無職に高くは望みません」

「……で、俺に何の用?」

「だから、私と一緒に『天廷会』を正してほしいんです。貴方のお母さんも救えますよ」

「いや、だから、母さんはまだ入会したわけでは……」

「どうせ入会するはずです。きっとそう」


 彼女の言い切り方には確信が見て取れた。


「……そもそも、おたくは一体何なの?」

「私は、『天廷教』の開祖・虎崎輪道こざきりんどうの孫です。お爺ちゃんは、『天廷会』を良い宗教団体にしたかったんです。でも……『天廷会』は今、反社会的組織になりつつある……。私は、天廷会を正したい。その為に協力者を集めているんです。まだ一人もいませんけど……」

「何で俺にそんなこと頼むの?」

「誰でもいいんです。無職でも何でも」

「あ、そう……」


 楓は、真白の目的をようやく理解した。

 しかし、その目的はあまりに自分とは無関係であり、達成困難の様に受け取れた。

 気になったのは、彼女が何の勝算があって自分に声を掛けたのかということだ。


「母さんが入会すると決まったわけでも無いし、仮に母さんが入会したなら退会させるだけだ。わざわざ内側から変えるような遠回りをする気にはならない」


 楓がそう言うと、真白は眉をひそめて苛立ちを露わにしだした。


「でも! 抜け出せるとは限らないじゃないですか! 『天廷会』に入会した人で、退会出来た人を見たことは、私今まで一度もないんですよ?」

「でも、拘束力があるわけじゃないはずだ。法に触れるし。大体、本当にカルトになりそうなら公安が何とかしてくれるだろうし、俺がおたくに協力する理由は無い」

「そ、それじゃあ『天廷会』が無くなっちゃうかもしれないじゃないですか……」

「別に、俺は困らない」

「私が困ります!」

「だから何だよ」

「うぅ……」


 楓は真白が必死になっていることに気付いた。

 彼女は、勝算があって自分に声を掛けてきたわけではないのだ。

 ただ、頼れる人間が周りにいないのだろう。

 彼は彼女に同情を見せた。


「……まあ、話を聞くだけなら構わないが……どうやってその、『天廷会を正す』って目的を達成するつもりなんだ?」

「え?」

「いや、『え?』じゃなくて。計画とかがあるんだろ?」


 真白は一瞬黙ってしまった。

 そして、目を逸らしながら答える。


「……そ、そんなの、協力してくれる人がいないことには……」

「何も考えてないの?」


 真白は苛立ちを増し始める。

 そして激昂した。


「ああもう! 何なんですかみんな! 貴方で五人目ですよ!? どいつもこいつも何かと理由を付けて断って! 何もすることない暇な無職の癖に! 上に搾取されるだけの社畜の癖に! どうせすぐ死ぬ老害の癖に!」


 楓は呆れを通り越して哀れに思っていた。


「その言葉遣いに問題があるんじゃないかな?」

「そんなこと言われても……今更……」


 楓は真白のその返答から、口の悪さが彼女の育ちに問題があったのではないかと考えた。

 子ども時代から周囲に良い大人がいれば、自然と言葉遣いも良くなるはずだという考えを彼は持っていたのだ。

 楓の同情心は更に強くなった。


「……わかった。なら、条件を決めよう。おたくが何か計画を考えてくれたなら、俺はおたくに協力するよ。それでいいか?」

「協力してくれるんですか!?」

「『計画を考えてくれたら』、ね」

「協力してくれるんですね!?」

「……ああ」


 楓は同情心だけで真白に協力することを決めたわけではない。

 それだけでは彼に何のメリットも無い。

 ただ、彼は人生に退屈していた。

 振って来た面白そうな出来事に、彼は何となく飛びついてみてもいいだろうと思ったのだ。

 しかし、それはあくまで自分に余裕があったから。

 彼は、自分でもどうしようもないと考えたら、すぐに投げ出すつもりでいた。


「ありがとうございます! 無職の癖にいい人じゃないですか!」

「それはどうも」


 真白の表情は一気に晴れやかになっていた。

 一方の楓は気だるさが露わになってきた。


「さて……話は以上か? なら、俺は帰るけど」

「……一つだけ聞いてもいいですか?」

「? 何だ?」

「黒倉さんって……本当に無職ですか? 何か、無職の癖にまともにコミュニケーション取れるっていうか……無職の癖に身なりがちゃんとしているっていうか……」

「……他の無職の人に失礼だろ。別に、無職が全員対人恐怖症ってわけでもないだろ?」

「……はあ、そうなんですか……」


 真白の偏見も、自分以外の相手に矛先が行くようなら、正しておいた方がいいかもしれないと楓は考えた。

 楓は、対人関係に不安を持つ性格ではなかった。

 だが、彼は無職を選んだ。 

 他の選択肢もあったのに、彼は自ら今の自分を選んでいた。


「……本当に、協力してくれるんですよね?」

「一つじゃなかったのか? あくまで『条件を満たしたら』の話だ。まずは計画を考えろよ」

「…………はい」


 楓は、真白が自分を信用していないことに気付いた。

 だが、それも仕方のないことだ。

 楓は彼女が抱えている問題の一端しか聞いていないが、彼女はまだ、人に言えない複雑な問題を抱えていたのだから。

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