よろしくお願いします、教主様!

田無 竜

第1話 ①

 レストラン『カステイラ』




 四人の人間が、一つのテーブルを囲んでいた。

 一人は艶やかな肌の老婆。

 一人は初老の女性。

 一人は背の低い若年の娘。

 一人は人相の悪い青年。

 その青年以外の三人は、明らかに作り物としか見られない笑顔を浮かべていた。

 口を動かすのは老婆だった。


「体を動かすのは健康に良いですよ。規則正しい活動は心身を鍛え直します。まずは体験からという選択肢もございます。ぜひともご検討ください」


 とても流暢な言葉遣いだった。

 机の上に置かれたパンフレットに触れながら、目の前の相手を勧誘する。

 しかし、笑顔を崩すことなく喋り続ける姿はどこか異様だった。

 少なくとも、青年の男はそう考えていた。


「……私も……楓にとって、とても良いことだと思うわ。……どうする? かえで


 初老の女性が呼んだ楓という名前は、青年の男のことだった。

 楓は苦い顔をして目を伏せる。

 現在自分が置かれている状況の、打開策を思案していたのだ。

 彼は必死に頭を働かせ、口を開いた。


「あー……ちょっと、外の空気吸ってきていいかな?」


 楓は向かいの席の老婆と娘には目を合わせようとはせず、隣に座る初老の女性にだけそう言って席を立った。

 だが、『外の空気を吸う』というのは建前でしかなく、彼は一刻も早くこの場から逃げ出したい気分になっただけだった。

 店を出る彼の姿を、娘だけが見つめ続けていた。



「やべぇな……どうしたもんか……」


 楓は、店の外の駐車場に出ると頭を抱えて悩みを口にしていた。

 周囲には誰もおらず、店の外壁に背中を寄せて溜息を吐く彼の姿は、誰も見ていない……と思っていた。


「アレ……多分ガチだよな……。母さん……どういうことだよ……」

「どうしましたか?」


 独り言をする彼の下に現れたのは、先程の娘だった。

 まったく足音を出さずに彼に近付いて来ていたのだ。


「うおぉ!? ビ、ビックリした……」


 楓は彼女の存在に気付かなかったのか、激しく動揺した。


「…………」


 彼女はじっと楓のことを見つめていた。


「……あの、何すか?」

「いえ、ただ少し、貴方がどういう人かを見てみたかったので」

「……はい?」

「取り敢えずわかることは、人相が悪いということくらいですが」


 ――何だこの失礼な奴……。

 楓は自分の人相の悪さは自覚していたが、面と向かって言われた経験は少なかった。

 彼女の声を聞いたのは今のが初めてだったが、第一印象としては最悪になった。


「……『戻れ』って急かされてるんすかね」

「別に、そういうわけではないですよ。でも……貴方がオバサマの質問にどう答えるかは、興味ありますね」


 彼女は顎に手を当てて、好奇心を示す様を見せる。

 楓は彼女がどういうつもりなのかわからなかった。

 彼女と老婆は同じ立場の人間であり、自分と母親を勧誘するのが目的だと考えていたからだ。


「断ってもいいんすかね?」

「もちろん。でも……オバサマの方は乗り気だったとは思いますよ?」

「いや、でも、ほら……母さんの目的は、俺を外に出すことだろうし……」


 楓はここ数年、自宅に籠りっきりだった。

 外出するのはコンビニに行く時だけ。

 いわゆる『引きこもり』だったのだ。


「ですが、オバサマは今佐々木さんから執拗な勧誘を受けていますよ? 貴方が場を離れたからです。オバサマから篭絡すれば話が早いと考えたのでしょうね」

「え……? マジか……じゃあ戻った方がいいかな……」

「戻って、それで、なんて答えるんですか?」

「は?」

「入会しますか? それとも断りますか?」

「……申し訳ないすけど、断ろうかと……」

「……果たして、それがまかり通るでしょうか?」


 楓は頭に疑問符を浮かべた。

 彼女の言葉の意図が読めない。

 戻る前に、彼女の話を聞く必要があると考えた。


「……実は、オバサマが勧誘を受けるのはこれが最初ではないんです」

「え?」

「オバサマは既に揺れています。貴方が断ろうと、取り敢えず入会すると思います。そして、ゆっくり貴方も囲い込もうとするはず……。もう、間違いないと思いますよ」

「何を馬鹿な……」

「それで貴方は……どうしますか?」


 彼女はニヤリと笑った。

 楓は急に不安を抱き始める。

 もしかすると、自分は今、人生の窮地に置かれているのではないかという不安。

 しかし、手を打つ方法は思いつかなかった。


「……母さんは……いつの間にそんな……」

「貴方の責任では? ストレスを抱えて生きてきたのだというのは表情を見ればわかります。当会の勧誘に対して乗り気でいるのも、きっと『不安』を取り除きたいからでしょう。そして……入会してしまえば、もう抜け出せませんよ? それが、『天廷会』ですから」



 楓と彼の母親は今、『天廷会てんていかい』と呼ばれる団体から勧誘を受けていた。

 その団体がどういうものなのかは楓もよくわかっていない。

 しかし、目の前の娘の話を聞き、不安はますます募るばかり。

 彼の頭には、『カルト』という三文字が思い浮かんでいた。


「……あんたは、それを俺に話して何が目的なんだ……?」


 楓は睨むようにして彼女の答えを待つ。

 彼女は真剣な眼差しになった。


「お母さんを救えるのは、貴方だけです」


 彼女は右手を楓の方に向けてきた。


「私に協力してくれれば、貴方も貴方のお母さんも『天廷会』に搾取されることは無くなります。私の手を……取ってみませんか?」


 楓には、彼女の手に触れることができなかった。

 だが、それでも彼女は微笑んだ。

 その瞳には、強い意志が感じ取られた。

 ――しかし、楓はまだその理由を知る術を持っていなかった。

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