第8話

 フランカがイフリートとの一員になり、あっという間に三週間が過ぎようとしていた。それはつまり、子爵令嬢であるシャーロット・エッジワース率いるローレライとの対舞の日がすぐそこまで迫ったのを意味している。


 淑女たちとの決戦前日、フランカは花畑でアリアのレッスンを受けていた。花畑に咲く花の色合いは少しずつ変わりつつある。子爵令嬢の成人の誕生日を迎える頃には、多くの花びらが散っていることであろう。季節が巡って、また開花の時季を迎えれば美しい光景と共に花の香りがあたりに漂うはずである。

 ひとまずは盛りを越したその花畑で、フランカはアリアにこれまで以上に高度な戦法の伝授をねだった。ローレライとの対舞において、無様を晒したくないからである。この三週間のうちで、フランカはイフリートにおいてエラルドに比肩する存在として皆に認められるようになった。年齢こそ仲間内では下から数えて二番目であるが、周囲はフランカの聡明ぶりや向上心というのを舞双姫の時以外でも感じている。あのレベッカでさえも、今となってはフランカに一目置いており、そこには以前のような喧嘩腰の態度はない。ナンバーツーの座をとられて悔しがっているのは隠そうとしていないが。会えば必ず対舞するレベッカとフランカであったが、フランカが勝ち越し続けている。


「結論から言うと、今日新たに教える戦法はないよ」

「どうして? 前にアリアは言っていたよね。舞双姫には千どころか万の舞い方があり、それらをものにしてはじめてたどり着ける自分の舞いもあるんだって」

「ねぇ、フランカ。初心を忘れないで。たしかに最近の君はこっちがびっくりするぐらい、理解と吸収のスピードが速いよ。これが若さなんだってしみじみしちゃう」

「それ褒めている? だいたい、そう言うアリアだってまだまだ若いでしょ」

「自分の半分も生きていない君に言われると複雑な気持ちだなぁ。とにかく、急いては事をし損じる、だよ。これまで教えてきた戦法を復習していこう。最適の盤面で最高の形で展開できるようにね」


 アリアは、フランカに短期間で何十通りもの戦法を教え込むのは、彼女の持ち味を殺してしまいかねないと危惧していた。幾万の戦法の大部分は結局のところ、絶対的基盤となるいくつかの戦法の派生に過ぎない。フランカが実直にそれを極めてからでも、応用を教え込むのは遅くない。いや、より正確にはその基盤となる戦法を極めなければ、ありとあらゆる戦法は不完全で穴だらけの愚策でしかない。姫士になることなど、到底不可能である。

 姫士――――アリアは出会って二カ月になる、造駒師を父に持つ少女に、自分と同じ道へと進む可能性を見出していた。だが、それを口にはしない。もしもフランカから言い出したそのときに、どうやって諦めさせるかを考えていた。蛇の道どころか魔の道なのだ、姫士というのは。すべての姫士にとってそうでなくても、きっとこの子は舞双姫が持つ魔性に魅入られてしまう、アリアはそう予感していた。少女が引き返せるうちに、自分がこの地を去るべきなのだ……。そうだと頭ではわかっていても、与えた課題を一途にこなす少女のまっすぐな気持ちを無碍にできずにいる。


「ところで、お父様の造駒はうまくいっている?」


 駒を動かしながら、アリアは訊ねた。その日、四回目の対舞でフランカの集中力が落ちているのに気づいた彼女は、少女の気を引き締めさせるのではなく雑談に興じるのを選んだ。むしろ三回目まで集中力が落ちずにいたのが驚異的なのだ。トリゼツィアの街にいる他の十一歳の子を連れてきて、同じ時間だけ集中した状態を維持できるとは思えない。もっとも、見知った相手であるから、緊張感はそう高くなかっただろうが。


「そこそこかな。やっと納得のいく勇士のデザインが完成したところみたい。どんなデザインなのかはアリアでも教えられない。お父さんとの約束事だから」

「わかるよ。造駒師に疎い私でもさ。そう易々と真似できるデザインでないにしても、完成する前に知られていいものじゃない。今回は競合相手が明確にいるんだったらなおさらね」


 フランカは、食事をろくにとっていなかった父に昨夜、パンとスープを持っていって半ば無理やり食べさせたのを思い出す。体調を悪くしては元も子もないよと何度言っても、ダリオは聞く耳をもたない。これまでの依頼主のなかには、ダリオがその生命維持の要を成人していない娘に託しているのを偶然知って、使用人を雇わせようとした者もいた。


 その日のレッスンも終わりに近づき、いつもそうしているように最後は指導を目的としない真剣勝負が行われた。もちろん、これまでにフランカが勝ったことは一度もない。アリアがフランカに付け入られるような隙を見せたことなどただの一回もなかった。対舞の時間は最初と比べて長くなっており、言い換えるとフランカは長く持ち堪えられるようになってきているが、ほとんど常に劣勢に立たされているのである。アリアの読みはエラルドのそれを遥かに凌駕する。何手先まで読めているのかを前にフランカが訊ねたときに、アリアは「何手先でも」とおどけてみせた。

 そのアリアが対舞を終えた直後、フランカに問う。


「なぜあそこで陽の魔女を動かしたんだい?」

 

 その対舞において唯一、アリアが引っかかりのある駒の動かし方だった。それ以外はフランカの戦法というのが手に取るようにわかっていただけに、その動きは異質だった。そしてその一手により、流れは変わった。アリアの優勢が覆りはしなかったものの、フランカの守りにそれまでない空気が流れて、それが攻めにも伝播したのをアリアは感じ取った。それでいてそれに至った陽の魔女の動きは読み難い手だったのだ。早い話、そんな手もあったのかと姫士であるアリアがはっとさせられた。


「笑わない?」

「笑わないよ。ああ、でも、女の勘って言われると困るかな」

「でも、そんな感じなの。あのね、の」

「聞こえた?」

「そう。音が……それで、駒に手が伸びていた。気がつけば動かしていたわ」


 直感的な舞い。それ自体はよくある。なかでも初心者は読むということをしない、というよりできないものであるから、時に中級者以上にとって予想だにしない舞いを示すことがある。それはアリアもわかっていた。

 そのうえで、あの一手には直感以上の何かを見た。

 そうだ、アリアの場合は聞きはしないが見ることはある。道標が如く、駒の舞い方を光の軌跡として盤上に目にする、そんな錯覚にこれまで何度か襲われてきた。いつでもそれが見えるわけではない。

 フランカが聞いたという音は、自分にとっての光に相当するものなのだろうか。アリアは答えを出せない。仮に、今後も対舞のうちでフランカがその音に導かれてあのような手で舞い続けたその先には、自分の読みをも超える未来があるのではないのかと身震いした。本能的な、否、姫士としての畏れ。


「明日の対舞はよくよく耳をすませて舞ってみたらいい」


 アリアのそんな助言に、フランカは小首をかしげ、それから受け入れた。




 イフリートとローレライの対決の舞台は、トリゼツィアの芸術家たちの間ではちょっとした有名店となっているカフェであった。数年前、公国内でトリゼツィアと並んで芸術の街と知られる伯爵領で、とある芸術運動を始めたトリゼツィア出身の芸術家三人というのが、もともと足繁く通っていた店なのである。その「殴り込み」は、向こうの街で盛大な賑わいを起こし、半年遅れでトリゼツィアを活気づかせもした。以来、このカフェには若き芸術家たちの卵がインスピレーションを得るために、よく訪れている。実のところ、こうした謂れがあるカフェというのはトリゼツィアには何軒もある。将来的に箔をつけたいがために、カフェ側が美術学校や音楽学校の生徒を対象に割引を行っているのも一般的だ。なかには、大御所となったさる芸術家がたった一度訪れてコーヒーを一杯飲んで帰ったのを誇張して宣伝している店もあると聞く。


「ごきげんよう、エラルド」


 待ち合わせの時間きっかりにカフェへと入ったイフリートの少年少女たちは、すぐに店員に二階へと案内された。そこでシャーロットたちが出迎えてくれたのだった。


「あら? 四人しかいないように見えるけれど?」


 眩い微笑みを正面から受けたエラルドが返答にまごついていると、その金色の髪をした麗しいお嬢様は少し表情を曇らせた。

 彼女の周りには二十歳前後の女性と十五、六歳と思しき女性の二人がメイド服を着て仕えている。別のテーブルで歓談している少女二人はその顔と格好からして姉妹だ。その裕福ぶりが服の質からしてわかる。大商家の娘たちといった風貌だ。


「一人、今朝になって風邪を引いて寝込んでいるんです。代役を立てるか迷いましたが……」


 他のイフリートのメンバーの家は距離があったので、呼びに行っては時間に遅れると判断して、エラルド、レベッカ、ガヴィーノ、フランカの四人でカフェへとやってきていた。現地集合ではなく、イフリートの面々は近くの広場に時間の余裕をもって集合したのだが、なかなか来ない一人の家へと行ってみたら、床に伏していたのである。


「気にしないで。何も、姫士たちの矜持を賭けた公式戦ではないのだから。リラックスよ、リラックス。あなたは会うたびに、なんだか肩に力が入った顔になっていくわね。逆であってほしいのだけれど」


 くすくすと笑うシャーロット嬢に、エラルドは赤らんだ顔を見せないように立ち位置を変えてフランカたちを紹介し始める。


「よろしく、フランカ」

「は、はいっ! こちらこそ、お会いできて光栄です」

「ふふ、そんな固くならなくていいからね」


(シャーロット・エッジワース……こんなに間近で目にしたのは初めて。同じ人間だとは思えないぐらいに、綺麗な人。この人のためにお父さんは駒を造っているんだよね。なんだか不思議。まるで妖精への捧げものみたい)


 フランカが恍惚と眺める中、レベッカがシャーロットの前に進み出て「お久しぶりです、シャーロットお嬢様」とお辞儀をした。以前に、一度だけエラルドに無理を言って、引き合わせてもらったことがあるレベッカだ。恋する乙女としては、エラルドのお嬢様への執心ぶりを知って、会わずにはいられなかったのである。

 彼女の性格からすると、らしからぬ上品な礼式に、フランカは目の前にいるのがこの地を治める領主の娘であるのを再認識した。

 少年少女たちは知らないことであるが、お付きのメイド以外にもカフェの一回には執事が、そして緊急事態に備えて医者が待機しているのであった。


「ええ、久しぶりね、レベッカ。前にも言ったとおり、もっと自然に接してくれていいのよ。対舞中の、狼を思わせるような強かなあなたのほうが好きだわ」

「は、はい」


(狼、ね。言い得て妙だわ。レベッカの猛々しい攻め、それから連携のとれた守りは狼の群れを思わせるもの)


 顔合わせが済んだ後、さっそく舞双姫をすることになった。

 舞双姫盤と駒の数は足りているが、人数は一人余る。どうするのかなと思っていると、年長のメイドが「下の厨房スペースを借りて何か作ってきますね」と言い、部屋を出ていった。信頼できる人間の作ったものしか口にしないのかな、とフランカがシャーロットを見やると、視線がぶつかった。

 碧い瞳。どぎまぎしてしまうフランカ。


「じゃあ、今日はあなたとから舞いたいわ。いいかしら、フランカ」


 シャーロットの言葉にエラルドとレベッカが顔を見合わせる。両者ともに我こそがカフェに入る前からお嬢様と舞うのだとはりきっていた。打ち合わせでは、シャーロット嬢に決めてもらうという話で落ち着いていたのだが、まさか令嬢自ら、一番にフランカを指名するとは誰も予期していなかった。


「わ、わかりました。お願いします」


 フランカは思い出していた。思い出さずにはいられなかった。

 エラルドが話していたのだ。

 「僕はシャーロット嬢に勝てたことがない」のだと……。 

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盤上のシンフォニスト よなが @yonaga221001

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