第53話

「私はここにいる」


 ロストは声を揃えて言った。


 エレベーターのドアが開き、石造りを模した薄暗い、寒々しい廊下に出るとついてこようとする映像を消した。


 会見を見る必要はない。原稿の推敲から声に出して読む練習にまで付き合わされ、内容は覚えている。シュリの死には最小限しか触れず、カット・グラスの捜査に全力を尽くすことを宣言する。


 あくまでカット・グラスが本命であるかのように見せかけ、メイブを動きやすくさせる。実際、エディナの頭はカット・グラスの捜査で一杯で、ロストたちがメイブを見ていることは知らせていない。


 前回と同じ、高い書架に囲まれた会議室では、スライドした書架の後ろの壁にエディナの会見が映し出されていた。


 円卓に腰掛けているのは五人。前回の八人のうちエディナは会見、二人が欠席だ。欠席は会議が終わった後で有利なほうにつく浮動票。ガヴィダ室長と眼鏡の幹部が向き合って座っていて、対立を明白にしている。


 眼鏡の幹部はレナド・エルンスト。ドイツ系の幹部で水質管理部門の責任者だ。レディにというよりモリグアイの運用に当初から懸念を示し、スーツを使わないディテクティブ・ヒーローの創出を提言したこともある。


「終わるまで待ったほうがいいか?」


 開いたままのドアの側でロストが声をかけると、映像は流したままで全員が円卓の中央に向き直った。


「こないだ来たときよりずいぶん、出世したな。命がけでレディを守ったこと、我々も高く評価している」


 室長が嬉しそうに言って、一人で堂々と拍手するとレナドが冷笑する。


「お前のような男を重用したことでレディの人格に疑いを持つ目が社内に生まれたがな」


「あんたは最初からレディの人格を疑ってただろ。レディの活動開始とあんたの前任者との交代時期が重なってるけどなんかあった?」


 秘書になってセキュリティ・クリアランスが上がり、以前は接触できなかった情報も引き出せるようになった。幹部を黙らせるカードもそれなりに用意できる。


 ロストが自分の質問の生み出した沈黙を利用して名刺入れを円卓の上に滑らせると、ドギーと二人がかりで作った傑作が浮かび上がる。


「こいつが今回の被害者。先日、エディナにインタビューした学生だ。レディじゃないエディナの本音を引き出した、いいインタビューだった」


「どうしてこの子が狙われた?」


「エディナがインタビューの中でカット・グラスの捜査への決意を語ってる。おそらくそれを見たカット・グラスからのメッセージじゃないかと俺たちは考えてる」


 レナドが不快そうに円卓を叩いて傑作を押し潰した。


「そういうものか? 他にもカット・グラスの捜査を公言していたヒーローはいたはずだ。どうしてレディが選ばれた?」


「ああいう連中は独占欲が強い。メイブにレディを奪われたと思ったのかもしれない。それで彼女の興味を自分に戻すためにシュリを標的にした」


「都合のいい解釈だな」


「筋は通る」


 互いを牽制するレナドと室長をスポーツの審判員のように見ている他の三人には発言する気はないらしい。


 彼らが今回の会見をイス・ウォーターで開くことを事前に知りながら黙認したのは、エディナを支持すると決めたからではない。


 カット・グラスとメイブ。二つの大きな問題を前にして幹部たちが考えているのは、誰が犠牲になるかだ。


 モールでの惨劇でおそらくほとんどの幹部はレディの価値を考え直しただろう。過激な手法で急速に注目を集めた彼女は、本来、その人気を得るまでに醸成される信頼がない。今や彼女自身がリスクになりつつある。


「ヒーローが狙われ、子供が犠牲になった。求められるのは正当な報復。会見に集まった連中を見ろよ、歓声も罵声も忘れてレディの言葉に聞き入ってる。彼女と心を重ねたがってる」


「メイブの脅威はどうなる? レディの行く先々で常にテロに怯えながらカット・グラスの捜査など、彼女にできるのか?」


 あなたの子供だったらと問いかけるエディナの声に被せるようにレナドが言った。盛り上がってきた演説に水を差された室長が不機嫌そうに腕を組み、ロストに向かってうなずく。情報開示の許可。


「俺たちはずっと水面下でメイブの調査を続けてる。詳しいことは省くが、メイブがどうやって人員を集めるのか、その手がかりを得たんでね。今回、レディが活動を再開したことでメイブが動けば、必ず察知できる」


「信用できん。そもそも緑の妖精については事前に情報があったと聞いている。それでもモールの襲撃を察知できなかったのは、貴様らの責任だろう」


 他の幹部の視線がレナドに集まり、彼はモールでの死者数と損害額を円卓に滑らせる。


「これはリスクの話だ。もう一度、そういう襲撃があればレディがどんな活躍をしても埋められない」


「レディが何もしなくても、メイブは襲撃をするかもしれない。何あんた、あのクソの言うこと信じてんの? 襲撃を受けた上にレディまで逃げちまったら全部、メイブの思い通りだ。楽しすぎてまたやろうってなっちまうよ。何もしなきゃ安全ってのは悪への賛歌だぜ」


「お前は勝手に発言するな」


「彼はレディの代理としてここにいる。発言権がありますよ」


 室長ではなく、沈黙していた幹部の一人がレナドをたしなめる。顎髭はこっち側、とロストは黙ってカウントした。


「残念ながらこの会見やった時点で後には引けない。幸い、マックリルの分析でもメイブの組織力は低い。それなら、時間を与えないのがベストだ」


「それなら、なおさらカット・グラスの入札をしている余裕はないだろう。活動の再開を表明するだけでも十分では?」


「あのな、だからレディはあそこで会見してんだ。こっちにゃイス・ウォーターがついてんだぞ、人も金もこっちのほうが上だぞって誇示してる……なんか、ヒーローらしくねえな」


 室長以外は、レナドでさえ口元を隠して笑った。会見を映すカメラの一つが何かに気づいたように振り返り、記者たちの座る席を映し始める。


 ロストにも一瞬、視界の端に何かが引っかかるような感覚があったが、エディナの映像に隠れてしまう小さな画面ではわからない。


「らしくねえが、この会見だけでカット・グラスもメイブも追い込んでる。作るキャッチはどうってことねえが、ケンカのセンスはある女だ」


 口が滑らかに回らない。ロストがエディナ以外の映像に気を取られたことと相まって、レナドや他の幹部に不信感を与えている。ロストは体調が悪いふうに装って額を手のひらで拭った。


 手のひらが濡れる。自分が思った以上に汗を掻いている。ロストは結論を急ぐ。


「要するに、レディが活動してもしなくてもリスクは変わらない。リスクを小さいと思い込みたいやつほど、クソの言い分を信じる。おっとメディアの話だぜ? でも、ここにいる賢明な方々は違うよな。最悪を想定し、最悪から利益を引き出せる人たちなら、入札は取るべきだと考えていただけるはずだ」


 カメラが一人の記者に近づいていく。ロストの焦りを感じ取ったのか、室長が黙って挙手して入札への賛同を示した。


 その記者の着ているスーツの色と肌の色が太陽を直視したみたいに目に痛い。レナドも中央に大きく映ったエディナではなく、記者を注視する。注視する人間が増えると画面も大きくなる。


 手を挙げかけていた顎髭の動きが止まり、音声が室内に流れた。


「あなたは被害者の少年を最初から利用していたのではありませんか?」


 声もよく似ている。丸い眼鏡をかけた目にはシュリほどの愛嬌はなく、どこか冷酷で、長い伝統で形成された差別意識に囚われているような目だ。


「カット・グラスの標的になる可能性を理解していて、あのインタビューを制作したのではありませんか? そうでないとしても、忠告はできたはずだ。インタビューを公開しないようにと、私の息子に」


「さあ、入札は?」


 今度はロストが円卓を叩いて映像を消す。


 今すぐ階下に降りてシュリの父親を拘束したいが、入札を決定するまでは会議にいなければならない。レナドはまだシュリの父親が映っていた場所を見つめていて、他の幹部たちの視線がそれを追っている。


 室長とロスト以外はレナドの言葉を待ち、彼の意見を求めている。


「お前は会見に行って事態を収拾しろ。心配せずとも、私はすでに入札には賛成だ。ただ、今の事態を受けて一つ条件を加えるつもりだ」


「どんな?」


「説明している時間が惜しい。早く行け。事態が悪化すれば、条件が厳しくなるぞ」


 レナドの言うとおり、ロストが必要とされているのは会議室ではない。シュリの父親の発言でエディナの正義の復讐に不正の影が落ちる。


「すぐ戻るよ。ヒーローが遺族と会うのはひっそりとってのが常識だ。あの親父さんもわかってくれるさ」


「我々も何かコメントを用意しておくよ。必要なら言ってくれ」


 薄笑いを浮かべて親切に申し出るレナドの顔面に蹴りを入れたい衝動をこらえ、軽く頭を下げて会議室から出た。


 背後でドアが閉まった音を聞いてから走り始め、ムラサメを呼び出す。


「くそったれ、今すぐあの親父を撃ち殺せ」


「ええ? そんなことしていいんですか?」


 いつもより動きが遅く感じるエレベーターのドアを蹴りつけ、深呼吸で心と声を落ち着かせる。


「んなことしてみろ、てめえ、ぶっ殺す。誰だ、あんなのを入れやがったのは。名簿になかったぞ」


「調べてみたんですが、ロストがチェックした後で追加されてます。招待になってますね。誰でしょう?」


「レナドだ」


 エレベーター前の広場にある椅子を一つずつ蹴倒しながら、レナドの考えに近づこうとする。


 入札を妨害するにしてもやりすぎだ。息子を失った父親にかける言葉などない。何を言おうと空々しく、偽善の悪徳が臭気を放つ。入札をとったとしても、常に疑念がつきまとうだろう。


「映像をよこせ」


 ようやく上がってきたエレベーターに乗り、壁に手をつくと会見の映像が手の下から広がった。


 どのくらいの沈黙があったのか、エディナは演壇から降りてシュリの父親のもとへと車椅子を進めていた。付き添おうとした警備を片手で制止する仕草は、誰にも近づかせない孤独の女王で、メディア向けの姿勢ではない。


 やめろと、ロストはずっと呟いている。


「ロストが来るから動くなって言ってるんですけど」


「ドローンのカメラを切れ」


「イスのは切れますけど、メディア側が用意したのは……」


「故障を装ってぶつけろ。白と青のやつが十二社共用で一番多い、あれからいけ」


「そんなことしても映像は流れますよ」


「いいからやれ、他になんかできんのか?」


 地を這うような群衆のざわめきと、シュリの父親を囲むように立ち上がった記者たち。二重の包囲の中にエディナは一人で落ちていく。


 もうすでにロストが行ったところでできることは無言でエディナを連れ去るだけだ。遺族に責められ逃げ去ったという印象を与える、冷たい対応だ。


 エレベーターが一階に着き、ドアが開ききらないうちにロストはロビーに駆け出す。ゲートを通り抜け、木々の間を走るが、どれだけ足を動かしても早く走れない夢みたいに正面の会見場が遠い。


「私はシュリの、あなたの息子の前で二人目の犠牲者を出さないと言った。何を失っても」


 ロストはロビーから外に出るドアの前で立ち止まり、首を振る。


 エディナはやはりヒーローだ。彼女を止めることはできないし、言葉を遮るのも不可能だ。それこそ撃ち殺しでもしない限りは。


「今度はあなたの前で誓う。私は必ずカット・グラスを捕まえる。たとえそれが、私のヒーローとしての最後になっても」

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