第52話
ロストには会見に適した服装なんてものはわからない。会見の直前になって、どう? と訊かれてもどうとも言えない。
そもそも金を出して雇ったコーディネーターを二人も勝手に解雇して、三人目でようやく落ち着いた上で、なぜロストに意見を求める必要があるのか。
腕時計を指して開始の時間まで一分もないことを示しても、エディナは真剣な眼差しでロストを見つめ続けていて動かない。服の話じゃないみたいに。
ロストは一歩下がって上から下までエディナを観察する。髪は赤くして束ね、死者への敬意を示す。当然、メイクはいつもより控えめ。まつげは少し下向きで伏し目がちにして表情に深刻さを追加する。
濃い青を基調としたスーツはややタイトに彼女の上半身を締め付け、深い海のように光を吸い込む。チェックのロングスカートはアイルランドの民族衣装をモチーフにしたものだ。
彼女の立ち位置も、シュリへの哀悼も、きちんとまとまっている。
「いいと思う」
長いため息をつき、エディナは肘掛けに寄りかかって片手で顔の半分を覆う。
「あなたは最低。ネクタイ変えたら? どいつも黒ばっかりで葬式じゃないっての」
つややかな黒いネクタイの表面を二本の指で撫でて彼女の意見を考慮するふりをする。変える時間などないのはわかりきっているが、無視するとよくない雰囲気だ。言葉遣いが荒っぽく、メディア向けのレディとも普段のエディナとも違う。
「安心しろ、この後の会議なら半数以上があんたを支持する。思いっきり好きなことを言っていい」
「それで?」
エディナが指の間から片目だけでロストを覗いている。ロストの言葉の不足を訴えている。
「メイブへの対策なら万全だ。まあ、どんな手を使ってんのかわからねえが、モールみたいな襲撃をこんな短期間で繰り返す組織力はない」
「それで?」
「それで……えー、質問の順番が前後するかもしれない。いらついても顔に出さないでくれ」
「それで?」
いらついているのが顔に出ている。構えば構うほど不機嫌になるのは、あのネットの海のイルカと同じ。そう、イルカだ。
あのイルカの、腹立たしくさえあった一つ一つの動きが、今はなぜかエディナの何気ない表情や仕草に重なる。イルカは餌の質にではなく、孤独と閉塞感から不安を訴えていたのだと、今さらながらに気づく。
「レディ、何も問題はない。あなたはいつも最高のヒーローだ」
ようやく顔を覆うのをやめたエディナの肩にほとんど無意識に手を置いていた。今はもう、振り払われたりしない。
「支えると言ったんだから、ちゃんと支えて」
「秘書になるとは言ってない」
「やっぱり引退会見にする?」
冗談ではない。彼女はまだ揺れている。怒りと、恐怖の挾間で。
「やれるさ、あんたなら」
「わかってる。もうやめるなんて言わない。こいつらに勝つまでは、ね」
エディナは開け放たれた正面入口の向こう、会見用に低めの演台が設置された場所に目を向けている。
本社の正面を会見場所に選んだのは彼女自身だ。まるでイス・ウォーターが全面的に彼女の決断を支持しているように演出し、会議での入札決定への後押しにする。広報の仕事をしているだけあってメディアを武器に使うことを心得ていた。
ロストの手を離れ、一人で会見場に進んでいくエディナの背中に、いつか見た怒りはない。
怒りは孤独でなければ大きくなれない。彼女が孤独でなくなったというなら、その責任のいくらかはロストにある。
「問題ない」
ロストはエディナとは逆方向、中央ゲートに向かう。エディナと同じで、どこのゲートを通ってもよくなった。
会見と同時に開かれる会議はカット・グラスの二番目の被害者の説明と対応についてが主な議題だが、実際にはレディ・クホリンの今後の活動についてだ。
今回の決断の後、エディナのイス・ウォーターでの立場は不安定になる。いまだにカット・グラスの捜査に否定的な意見は根強く、メイブの件でCVヒーローそのものを疑問視する声すら出始めた。
「要するに、身内も敵だらけ」
端的に言ってエレベーターに乗り込む。独り言に抵抗がなくなっている。問題はない。ロストの権限は強化され、エディナからの信頼も得た。反感を持つ連中を黙らせ、レディにとって邪魔になる存在を屈服させるのに充分な力だ。
レディが失った怒りはロストが担えばいい。
エレベーターの壁に寄りかかると正面に、目の高さに合わせて会見が映される。ちょうどエディナが演台についたところだ。
ロストが見ているのはイス・ウォーターが用意したドローンで警備用の映像も並べて見られる。エディナの後ろからの視点に注目して映像を拡大する。
メディア用に仕切られたスペースの外側にレディのファンが集まり、プラカードやレディの人形を掲げていた。ロストの目の動きに合わせてカメラが左右に振れる。
見える範囲でタトゥーの入っている人間を指し、警備員に排除要請しておく。それを見て不審な動きをした人間から本当の危険因子を識別するのはAIと監視員の共同作業だ。
エディナを正面から捉えた映像に視線を戻し、彼女が口を開くのを待つ。原稿を書いたライターの指示通り、最初の一言の前に充分に間を取る。
エディナが姿を現すと同時に始まった歓声と罵声を、彼女の誰も見ていない視線と沈黙が凍り付かせていく。雪が降り積もるような静けさが訪れる。
人々は彼女がなぜここにいるかを思い出し、不安を呼び起こし、寒さに震えながら夜明けの光を待つように最初の言葉を待ち望む。
「私はここにいる」
ロストは声を揃えて言った。
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