第50話

 配送は手際がよく、ロストよりも早く死体が到着していた。どうしても回収できないぶんを除いては、路地に飛び散っていた血液と肉片も集めて冷凍してある。


 ロストは車庫に入ってすぐ横にあるハンガーに上着をかけ、照明を全て入れる。車が一台入るだけのガレージで、ドギーがまだ結婚していたころ、車を手放すように迫られて用意した車庫だ。


 銃をプリントする3Dプリンタ、顔や手に貼るフィルム、防弾のスーツ、侵入用の器具などが車の整備用品と一緒に乱雑に放置されている。


「掃除しろっつってんのに」


 自分では一度も掃除したことのないロストは文句を言いながら、巨大な繭みたいにビニールシートにくるまれた死体を作業台に載せる。


 シートの留め具を外すと花が開くみたいに勝手に広がり、床も覆っていく。シートの内側は軽い粘着性があり、落ちた髪や皮膚片、靴の砂なども吸着してくれる。


「そんな顔すんな、お前をこんなところで死なせねえよ」


 シュリの着ていた服は脱がされ、まとめてゴミ袋に入れてある。冷たくて湿っていて、張りのないシュリの皮膚に触れると、指先に粘りのある液体が付着したような不快感があった。


「えーと、なんだって、高圧ポンプで牛の皮を剝がすのと同じやり方で? あのアホ、牛の皮はがしたことのあるやつどんだけいると思ってんだ?」


 鼻の奥が乾いていて喉が痛い。車庫の中は寒いくらいなのに、額と頬が燃えるように熱かった。


 教会で別れてからエディナと会ってない。眠れていない。


「よう、持ってきたぞ」


 ドギーが返事も待たずに入ってきて肩にかけていたリュックサックを床に投げ出し、上着をロストのハンガーに重ねてかける。ロストが準備しているポンプとシュリの死体を一度ずつ見てから、袖をまくった。


「胸にでかい穴があるな。そのままだと空気が抜けるからテープで塞いで、背中もちょっと浮かせたほうがいいな。そっち持ってくれ」


「あいよ」


「確か、ケイトと一緒にいた子だったよな」


「初めてのボーイ・フレンドって感じだったな。これ知ったら悲しむぞ。慰めのメールは文面をよく考えろ」


「そんなことどうでもいい。どうしてこいつだ?」


「さあな。シュリのインタビューがエディナへの非難を和らげたのは確かだ。メイブに狙われたってことも考えられる。ケイトは大丈夫か?」


「お前から連絡を受けてすぐに護衛をつけたよ。モールのこともあったし、母親は安心してる」


「でも実際のところ、お前はメイブじゃないと思ってる。そう思ってるなら、呑気に俺の工作手伝ってるわけない」


 ドギーは答えずにテープを巻いたシュリの胸に手を当てている。見開いたまま乾いた目を見つめ、網膜に残る最後の映像を読み解こうとするかのように、瞼を押して左右でずれてしまっている瞳の角度を合わせようとする。


 ほとんど無意識の行動だ。ドギーはシュリの目に自身の疑念を映している。どれだけ人を疑うことに疲れても、疑わずにいられないのがドギーの本性だ。


「お前がやったんじゃないよな?」


「違う。たんなる偶然だ」


「レディに……いや、お前にずいぶん都合がいい偶然だな」


「俺がやるならケイトだ。犠牲者は弱いほどいいし、それにあのインタビュー見たか? エディナを見るあのキラキラした目。最高の──」


 ドギーがロストの首に当てた手にはさほど力は入っていなくて、激しい怒りを強い後悔で縛っている。


「俺はどうして、お前のそういうところが気に入ってしまったんだろうな」


「同類だからに決まってんだろ、アホ。さっさと皮膚、剥いじまうぞ」


「俺がやる。お前、少し横になって寝ろ。ひどい顔色だ」


「バカ言え。本来、俺だけでやる仕事だ。お前こそもう帰れ」


「四袋持ってきた。全部使ったら、固まるのに半日はかかる。交代で休みながらやるんだよ」


 ロストはドギーの持ってきたリュックサックを見つめ、ドギーの言ったことを頭の中で反芻する。簡単な予定や計画を理解するのに時間がかかる。


 立ちくらみがして座り込むと、シートの上から出ろというようにドギーが手を振った。ロストはまだ立てない赤ん坊のようにシートの外へと這っていって冷たい床に寝転んだ。


「本物のカット・グラスはそれを一人でやるのか?」


「知らん。本物がどうやってあれを作っていたのかは、解明されてない謎の一つだ。このやり方だって有力な仮説にすぎない」


「きっとたいした謎じゃない。わかっちまえば、なーんだって感じの」


「そうだといい。全部、終わってしまったら、なんだそんなことかってな」


 手近にあった工具箱を頭の下に入れて枕にする。すぐ眠りに落ちそうだったが、まるっきりポップコーンの弾ける音が邪魔をする。ぶら下がる強いオレンジ色の光が真昼の太陽みたいに顔を熱くする。


 ロストが寝たと思い込んで、いつもは使わない汚い言葉で悪態をついているドギーの背中を眺めて薄笑いを浮かべ、静かに眠りに落ちる。あるいは意識を失う。


 それからの数時間は夢と現実の境目が曖昧だ。ロストはドギーと一緒にエディナのためのサプライズ・パーティーの準備をしている。場所はエディナの家。


 ドギーに、あいつこれ見たらびっくりするぞと、楽しそうに話しかけて、シュリの皮膚の下に液体ガラスを注入していく。アイロンをかけるみたいにしわを伸ばしながら、均一な厚さにするのは難しい。


 うまくできなくてロストが半泣きになっていると、ドギーが片目をつぶってこつを教えてくれる。手を当てて、お前自身の体温でゆっくりと時間をかけて温めろ。


 ドギーがシュリに覆い被さり、息子を失った父親のように泣いているのをロストは見る。


 閉めきって、二人で作業を続けていて、暑くなった車庫の中で背中に汗の染みを作り、過酷な作業に耐えかねて自分が何をしているかわからないまま泣いている。


 情けない男だ。


 背後のテレビにはエディナのインタビューがずっと流れていた。シュリが厳しい口調で、どうして今やめるのかと問いただして彼女の無責任を糾弾する。


 エディナは何も答えられず、ただ斜め下を向いて唇を噛んでいるだけだ。世界で一番辛いのは自分だと思っている、悲しみさえ傲慢なヒーロー。それなのに、たった一人を救うために何人を巻き込もうと省みない独善を、彼女は持ち合わせていない。


 情けない女だ。


 楕円を二つに割った形の刃物で皮膚をそぎ落としていく。固まったガラスの表面を傷つけないように慎重な作業が求められて、時間がかかった。


 皮膚をそぎ落とす、手の中でナメクジが固まって潰れていくような手応えに、微かに感じた吐き気が堪えられずに足下に嘔吐する。


 情けない男だ。


 でも、本当に情けないのは、それが全部エディナのサプライズのためにやっていると思うと幸せだったことだ。鼻と喉を胃液で焼かれて、目の奥に杭を打ち込まれるような頭痛を感じながら、ロストは幸せだ。


 何か言い返せよ、とロストはインタビューで黙ったままのエディナに声をかける。何でもいい、思いついたままに話せ。


 いつだって俺が、その通りにしてやるから。

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