第49話

 路地に監視カメラはない。近場に学校が複数あり、学生向けの商店が並ぶ通りだ。巡回ドローンと学生アカウントの行動分析で大抵の犯罪は未然に防がれる。


 路地は小物やアクセサリー、使う授業がほとんどなくても学生たちに人気の文房具、レトロな制服をアレンジして販売する店の間の隙間で、人通りはほぼない。


 飛び散った衣服は細かく裂けていて、黄色い紙吹雪みたいだ。胸の中央が大きくえぐり取られていて、手口も凶器もすぐには思いつかない。


 壁に寄りかかって座り、足は折りたたまれているから、立った状態で胸をえぐられて座り込み、そのまま絶命した。


 ロストはうつむいた死体の側でかがみ込み、胸の傷を斜め上から覗き込む。胸の中央より少し下から肩に向かって斜めに、骨ごとえぐり取られている。目の粗いのこぎりのようなものでこそぎ取られたように見える。


 周囲に飛び散った血に混じったメロンの種みたいな粒々は細かくされた骨片。流れ出た血は軽く曲げた足の間に溜まっていた。顎から零れ落ちた涙も、排泄物も一緒になって。


「忙しいんだ、後にしろ」


 通話の呼び出しの相手を確認もせずにロストは言った。本当に忙しい。ドギーの手配と言っても、それほど時間をかけられない。


「今、どこにいるの?」


 最初はエディナかと思ったが、彼女にしては声がか細い。いつもより少し低い、落ち込んだケイトの声だ。似ている二人の声に戸惑いながら、ロストは死体の傷口に光っている小さな鱗のようなものに顔を近づける。


「どこって……家だよ」


「嘘。いないじゃん」


 ロストの吐息がかかったことで、鱗状のものがガラス片のように煌めく。


「俺の部屋にいるのか? こんな夜中に何してる」


「入ってないよ。勝手に入るなって怒られるから」


 フィルムを手に貼り、粗めの挽肉になった傷口を人差し指ですくって鱗状のものを採取する。フィルムをひっくり返せばそのまま密閉できる。


 ケイトは黙ってロストが何か言うのを待っていた。人と違う部分が隠せない人間には、今日の朝まで当たり前だと思っていたことが正しいと思えなくなるような、ひどい一日がある。それが十代の少女なら、より厳しい一日になる。


「ちょっと大事な仕事でな、たぶん戻れないが、どうしても家に帰りたくねえんならいても構わない」


「ロストの部屋、一人でいると気が滅入る」


「じゃあ帰れ」


 それが聞きたかったというふうに笑うケイトの声を聞きながら、フィルムで包む前に鱗状のものを確認すると、薄くて透明なガラスに近い物体だった。


 傷口を別の角度から見たくて側面に移動すると、俯いていた死体の顔が目に入る。通りの街灯のおかげで色がわかるくらいには明るいが、近づかなければ顔の判別まではできなかった。


 できないほうがよかった。


「ロスト? どうしたの、怪我した?」


 声は抑えたつもりだったが、ケイトには心配されてしまう。相手から隠したいことを隠せなくなっている。そんな気がして、ケイトからは見えていないのに片手で死体の顔を覆った。


 少し面長で丸みのある輪郭、大きめの鼻、目は死んでしまっても愛嬌があった。光のない目は知性の輝きが失われ、薄暗い最後の孤独の一瞬に支配されていた。


「ケイト、すぐに部屋に入って鍵かけろ。ドギーに連絡して迎えに来させろ。あいつが来るまで誰が来ても無視するんだ、いいな?」


「なんなの、ロスト、声が怖いよ」


「いいから言われた通りにしろ、頭の悪いガキだな。てめえみたいなオーファン、殺したほうがいいって思ってるやつがそこら中にいるのがわかんねえのか」


 ロストが声を荒げると、ケイトは何も言わずに通話を切った。乱暴で相手に全力で背を向けるような切り方だった。きっと今日はもう、誰にも怒られたくなかった。


「クソガキ。なんでてめえが側にいてやんねえんだよ」


 ロストはシュリの顎を掴んで自分のほうを向かせる。シュリの死を悼むのか、その死体の有用性を高く評価するのか、深呼吸を一つ、汚い言葉を二つ吐く間に意思を統一する。


 運が向いてきた。


 シュリの死体を残して路地を抜け、封鎖していた二人のレッド・ブランチ職員に手を挙げる。二人ともドギーと同じ年代で、巡回警備員の制服を着ていた。ポケットが膨らんだ紺色のジャンパーは、背中と肩に絡み合う赤い枝が描かれている。


「終わったか? あれでいいなら運ぶ場所を指定してくれ」


「ああ、状態はちょっと悪いが、素材はいい。ああいう傷は初めてか?」


 二人の警備員は顔を見合わせ、厄介ごとを押しつけ合うように互いにうなずいたり首を振ったりする。結局、顎の四角いほうが困ったように目の横を掻きながらロストに笑いかける。


「これは捜査じゃないんだよな? 俺たちが知ってるのはあの子供がここで死ななかったってだけだ。ドギーの紹介だから一回だけ注意してやる。質問はなしだ」


「そうだったな、ドギーの仲間だもんな。あいつと頭の程度は一緒だよな。じゃあ、悪くなる前にお急ぎ便で頼むぜ」


 二人は住所の最初のほうを訊いただけで、そこならわかるとロストを遮り、路地に入っていく。


 彼らはドローンカメラの映像も死体も、痕跡を残さず持って行く。ロストが調整班で都合のいい場所に置いてきた死体はこうやってストックされてきたものだ。


 ロストは路地から離れながら、なんか落書きみたいだなと思う。この街ではときどき、落書きを消すみたいに人が消える。

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