第47話


 昼食時もピークを過ぎ、ロアの店も店外のテーブルには空きが出始めていた。厨房は地下にあり、バーカウンターの横にあるスイングドアを通り抜けて入ってきたロストに、ロア以外の男たちの視線が集まる。


 厨房の中にいるのは全員、ロアがまだ組織の小間使いだったころからの仲間だ。銅鍋でソースを作っていたロアが振り向き、肉切り包丁に手をかけた長身の男にうなずく。彼らは見知った顔でも信用しない。何を持って、何をするかしか見ていない。


 厨房はフラットで清潔、動線を考慮した機能的なオーブンやレンジの配置だ。でも近代的とは言い難い。


「この時間帯は忙しいんだ。上で待っててもらえるか?」


「客は減ってる。今日はいつもより早くランチは終わりだ。お前、そこの包丁もったの、クローズの看板かけてこいよ」


「俺の店で勝手をするな。あんたと友人でいられるのは、互いの立場ってものをわきまえてるからだ。よく言うだろ? 同じテーブルで飯を食っても、同じ家に住んでるわけじゃない」


 ロストは磨かれた大理石を模した調理台に近づき、盛りつけ途中の皿を床に落として名刺入れを置く。


「わきまえてるから閉店のお知らせしたんだろうが。いいぜ、俺は勝手に始めるからそっちは料理してな」


 名刺入れを回すと調理台に数十人分の写真が表示される。


「モールで緑の妖精のタトゥーが入ってた連中だ。さあ、見覚えのある顔はないか? ロアじゃなくてもいいぞ。見たらまずい顔があるかもしれないけどな」


 ロアが鍋をレンジに叩きつけ、ロストを睨む。飛び散ったソースが腕にかかって飴みたいに固まっているが、その熱さも火傷の痛みも全部、目を通してロストにたたき込んでくるような視線を、ロストは薄笑いで受け止める。


 何も感じない。彼女にやめると言わせた自分への怒り以外、何も感じない。


「わかった、話そう」


 ロアは気味悪そうに眉をひそめた後、ため息をついて両手を下から仰ぐように動かして他の三人を追い出す。


 三人は厨房から出て行く際、身体がぶつかるぎりぎりのところをすり抜けていく。掴みかかるか、背中か腹にナイフを突き立てるか、そういう動きから腕の動作だけを差し引いている。


「焼きたてのパンの匂いがする。お袋が焼いてたのによく似てる。かったくて、顎が疲れるパンさ。思い出してなかったら、鍋の中身をお前の顔にぶちまけてた」


「あんたのソースの味なんざ知りたくねえよ。それより早く見てくれ」


 ロアは鼻で笑って写真に素早く目を通す。


「えらく焦ってるな。お前、死にかけたってドギーから聞いたぜ」


「大げさに吠えるんだよ、気のちっせえ犬は。俺は四日も寝てたんだ。焦ってるし、急いでるし、苛立ってる。知ってる顔は?」


 ロアは手を挙げてロストを黙らせる。表情が深刻で奥歯を噛みしめているせいか、表面上は穏やかな丸顔が角張っている。


 彼らのやりかたは昔から同じだ。組織の構成員を名簿にしたりしないし、社会性も気にしない。もっと動物に近くて顔と匂いで人を覚える。ロアは指で弾いて知っている顔と知らない顔を分けていくが、半分近くはロアの手元に残った。


 いつものような大物ぶった余裕の笑顔はなく、髭を撫でるような仕草で口元を覆い、首を振った。料理人の顔の下から、徐々に夜の顔が覗く。


「このくらいだな。全員がうちの連中ってわけじゃないが」


 ロストはロアの手元に残っているクレールの息子を指す。


「そのガキは『運送屋』の制圧のときに死んだやつの兄貴だ。何やらせてた?」


「こいつはうちのやつじゃない。教会の神父と一緒に、俺たちのもとで働こうって若いやつを説得してまわってた。まともなやつさ」


「まともなやつが銃持って、モールを襲うか?」


「それを言うなら、この神経質そうに髪なでつけたの。カジノで警備部長を任されてた。この若さでだ。確かに、こいつは去年の鉱石密輸摘発で仲間をレディに潰されたさ。言葉通りの意味でな。けど、こいつはマイノスに拾われた後、腕と忠誠心を示してここまで来たんだ。いくらレディに恨みがあっても、あんな馬鹿げた襲撃に加わるような男じゃない」


「他には?」


「言えない」


「そうだよな、メイブなんて誰も聞いたことのないような連中が、マイノスの組織に深く食い込んでたなんて言えないよな」


「そっちはどうなんだ? 大事な看板、傷つけられて何もできてない。なめられれば命に関わる。そういう業界なのは変わらんだろ」


 ロストは写真の一つ、妖精に取り憑かれたと騒いでいたレッド・ブランチの職員を指で弾く。少年、職員、警備部長が調理台の真ん中に並んだ。


「『運送屋』制圧のときに死んだ運転手。そいつの恋人だ。ゲイならみんな弔問に行くよな。差別してると思われたら昇進に響く」


「俺たちのほうじゃ、お前みたいなのが一番嫌われる。無意味に他人を貶めるのは最低のクズだってな」


「お前以下ってことはねえよ。要するに、こうやって並べてみても、接点がまるでない。どうやったら、こいつらが統制の取れた襲撃なんてできる?」


「まるで心に忍び込むみたいだな」


「演劇の台詞か? 笑えねえな、笑ったけど。まあ、正気じゃなかったのは確かだな。まるでタトゥーのほうが喋ってるみたいに見えた」


「なんだそりゃ? お前のほうがよっぽどおかしいぞ」


「まあ、それはいいんだ。俺が確認したかったのはメイブがレディに恨みを持つ連中を使ってるってことだ」


「誰が、どうやって? 肝心なことがわかってない。こんな顔、いくら並べたって無駄だ。どうせ使い捨ての駒さ」


「裁判の証拠集めじゃねえ。こいつがメイブだって明らかにする必要なんかないね」


「でっちあげか? 後が怖いぞ」


「肝心なことはわかってない、暗闇同然だ。けど、そこにいるのはわかってる。だから、餌をまいて、動いたやつから殺せばいい」


「おいおい、俺たちを巻き込むなよ。メイブはうちに食い込んではいるが、ターゲットはレディだ。下手に騒いで傷口を広げたくない」


 ロストは舌打ちし、名刺入れを回して写真を吸い込む。内心はどうであれ、表面上、部外者を装うだけの余裕がロアにはある。焦りすぎた。追い込まれているのはロストのほうだと教えてしまったようなものだ。


「心配すんな。モールの襲撃でメイブはかなりのリソースを切った。そんな手の足りてないときに、レディが派手に動き出したらどうする?」


「そりゃ、リクルートだ……わかったぜ?」


 ロアがウインクしてロストに黙るようにと、人差し指を立てる。


「お前らが派手に動けば、メイブも焦って人を集めようとする。だが、俺たちはあいつがどういう基準で人を集めるかを知ってるから、今度は網を張れる」


「冴えてるね、それで料理がうまけりゃ、もう一回結婚できるぜ」


「結婚の話はなしだ。頼むぜ、兄弟。しっかし、お前も死にかけてたってのに、よくやるな。そんなにでかい給料貰ってるわけでもないだろうに」


「金の問題じゃねえ、メンツの問題だ。こういうときに守りに入るなんざ冗談じゃねえよ。物量じゃこっちが上なんだ、敵が疲弊してる間に突っ込めるだけ突っ込む」


「ヒーローの言い草じゃねえな」


 ロアの馬鹿げた笑い方を了承の合図と受け取って、ロストは名刺入れを内ポケットに滑り込ませる。ロアのほうでもメイブの存在は組織の結束を脅かす。正体を見定めるというところまでは信用できるだろう。


 ただ、どれだけ組織の内部に入り込まれていたかで、処理の仕方が変わってくる。ロアたちにメイブを奪われないように監視が必要になる。


 ロアが調理台の前で腕を組み、新しいメニューでも考えるみたいに身体を揺すっている。ロストの話のどこにそんな要素があったかわからないが、儲け話の匂いを嗅ぎつけた顔だ。


「なあ、お前、何するつもりだ? ちょっとでいいから教えてくれよ。連携して動くんなら、それがわかんないとまずいだろ」


「誰が連携してるって? 俺が何するかはそのうちわかる。そのときにあんたが死んでなきゃな」


「冷たいね、儲けさせてやろうかと思ったのに。気が変わったら言ってくれ」


 ロストは変わらねえよと手を振って、焦げたバターの匂いがしはじめた厨房から逃げるように立ち去った。

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