第46話

「ドギーに繋げ」


 自分が喋っているように聞こえない。目眩がして壁に手をつくと、影が手を握り返し、ロストを肯定するかのようにうなずいた。


 返事をしたドギーの声は申し訳なさそうで、朝のことをまだ引きずっている。心の整理に時間がかかり、かかりすぎると薬に手を出す。使えない時間が増える。


「レディの用事は終わったのか?」


「これからさ。シュリのインタビュー、マックリルは有用判定だしたんだよな?」


「ああ、モールの惨事のあとで非難が高まるかと思われたが、あのインタビューがいいタイミングで拡散した。メイブって名前をつけたこともあって、レディとの対決を期待させる効果もあった」


 影が白い歯を見せて笑う。


「カット・グラスの入札はいつだ?」


「来週だが、役員会は入札を行わないってことで一致してるぞ」


「取りに行く。レディの指示だ」


「馬鹿言うな。今朝、レディ自身が自粛を決めたって言ってただろうが。カット・グラスは他に任せ、レッド・ブランチと俺たちはメイブに専念、主犯格のめどがついたら活動の再開、こういう流れだ」


「その流れは忘れろ。地道にあんなの探してたら来年になっちまうだろうが。ランキングもずるずる落ちる。それより、カット・グラスを派手に演出して、メイブを誘き出すほうが早い。話題のヴィランを二人ともかっさらう。すげえだろ? アホライズにはそんなことできねえ」


「レディにもな。リスクが大きすぎる。メイブもカット・グラスも、有力な情報がない。インタビューで何とか持ちこたえてるのが無駄になるだけだ」


「レディの指示だって言ってるだろ。まあ聞けよ、プランはある」


 ドギーが黙って思考している間、ロストはエディナが消えていった坂を睨んで自分にも信じ込ませる。


 こいつはレディの指示だ。


「プランって?」


 ドギーが聞き返し、ロストは影と手を打ち合わせる。


「カット・グラスは何考えてるかわからんが、メイブは明白だ。あいつはレディの活動を敵視してる。俺たちは全力でカット・グラスを追いながら、メイブが動くのを待ち構える。妖精のタトゥーについて、ちょっと気になることがあってな、もしかしたら、タトゥーを入れる相手の選別方法がわかるかも」


「それならモールでの逮捕者を対象にした尋問と分析を行ったが、こないだの『運送屋』のときと同じで記憶がほとんどない」


「ちょうどいいや、そいつらの情報をまとめて送ってくれ」


「構わないが、身元も特定できてないやつが多いぞ?」


「そいつをこれからロアのとこに行って確かめる」


「ロアか。こういう状況でああいう連中に頼るのはどうかな」


「利用できるのは何でもだ。私情を挟むな。事件でも事故でもいい、レッド・ブランチの管轄内で誰か死んだら、公表せずに俺にまわすように手配してくれ。できるだけ綺麗なのが欲しい」


 ドギーは声を詰まらせ、どうせ誰もいないのに咳払いでごまかす。


「そうそう融通は利かんぞ。向こうだって面倒は避けたいしな」


「いつも身元不明の死体、見つけてきてるやつの言うことじゃねえな。そっちのツテを使えよ」


「そいつは……難しいが、わかった、何とかしてみよう。ただ、余計なことは──」


「言わない、聞かない。これ一回きりだ。また連絡する、お迎えが来た」


 ロストは荒れた道を走ってくるワゴンに向かって手を振る。真四角の箱のようなフォルムにイス・ウォーターのロゴと蛇の絡まった杖。病院のワゴンだ。


「なあ、ロスト。これは本当に、レディの指示なんだな?」


 ドギーが刑事のころを思い出したように、含みを持たせた声で問いただす。後戻りできない道に踏み込む覚悟を問い、責任の所在を明確にしている。


 どうせ、嘘にすがるしかないくせに。


「何度も言わせるな。こうするしかないんだよ」


 ドギーの返事を待たずに通話を切り、ワゴンから降りてきた看護師ににこやかに手を振った。血はまだ止まっていなくて、飛び散った血が降りかからない距離で看護士は足を止める。


「来てくれて助かったよ。ちょうど行きたいとこあってさ。運んでくれるか?」


「怪我してるし、心拍数も異常です。すぐに病院に戻ってください」


「心配すんな。俺たちは異常なくらいで正常なんだ」


 ロストは彼女の前に肉が裂けた指をかざす。固まりかけの血を突き破って白い糸のようなものが肉の中から伸びてきて、蠢きながら絡まり、傷口を覆っていく。


 医療従事者が培養寄生虫を知らないわけはないのだが、腐肉を食う虫みたいに傷口から這い出ているのを見るのは初めてかもしれない。ずいぶん気味悪がっている。


「危険ですよ。それが媒介するウイルスもあるんです」


「うるせえよ、あんたより詳しい。それよりワゴン、借りるぞ」


「私がいないと動きません。病院に行きましょう。私が間違っていました、あなたには今すぐ検査が必要です」


「頭のか? あんたのカウンセリングなら受けるよ、ワゴンに乗りな」


 病院に連絡しようとする看護士の腕を掴んでワゴンに引きずっていく。意外と力が強くて、ロストの腕を引き離そうと腕を振ると、ロストの腕も一緒に振られて肘が外側に曲がる。


 痛みを感じるのとほとんど同時に、看護士の腹を蹴り上げていた。それほど強く蹴ったつもりはなかったが、つま先が脇腹に埋まり、肋骨を下から押し上げる感触があった。抑制が効かない。


「おお、すまねえ。あんたの言うとおり、すぐに足に力が戻ってきたよ。どうだ? これなら問題ないか?」


「このことは記録に残りますよ」


 うずくまり、息を詰まらせながら通告する看護士をひきずり、ワゴンに乗せる。車高が低くて転がすようにして放り込むことができて便利だ。


 窓にはロストの体調が表示されていて、コンディションはイエロー。意識があるのはわかっていたから彼女一人で来たようだ。ストレッチャーも収納されたままで、向かい合って座るシートのある、どこか囚人護送車のような内装に気が滅入る。


「二階層まで頼む。こないだ火事のあった劇場の近くまででいい」


「今のわかる?」


 看護士が自分で脇腹に湿布を貼り付けながらAIに訊ねると、爽やかでいい男の声が答えてくれる。


「わかりますが、病院に戻らなくていいんですか?」


「いいから行って。それと車内の様子は全部録画。この患者にはソシオパスの傾向ありとカルテに追加して」


「ソシ……て何それ、緊急時の暗号か?」


「あんたみたいなのは社会から隔離すべきって提案してるの」


「ちょっと仲良くできないと、すぐ異常者扱いするよな、今の人って。相手の悪いとこ受け入れないと本当に仲良くはできんぜ」


 看護士は目も合わせないし、喋らない。カウンセリングもしてくれそうにない。担当の看護士はAIが相性を診断して選定するが、それでこの状態だ。きっとロストは十全たる医療サービスを受けるにはソシオパスすぎるのだ。意味は知らないけど。


 ワゴンは救急車両扱いで速度制限がなく、空中道路にも優先して入れる。三階層から二階層に上がるくらいは怪我した手にテーピングする間に着いてしまう。


「助かったよ。帰りも頼める?」


「あなたの体調がどうなろうと、もう来ません」


「規約違反です」


 AIの注意を無視して、看護士は手動でドアを閉めた。きっと乱暴に閉めて、ロストへの拒絶を強調したかったのだろう。走り去っていくワゴンに手を振って、現在位置を確認する。


 見慣れた花壇や高い窓、色あせた石壁の色合いを持った建物の合間の路地、少年の顔をした古い神々や妖精の彫刻の中にいきなり放り出されると空気の違いに耳が痛くなる。


 動悸も静まり、傷の痛みも消えた。足は石畳を踏み抜けそうなくらい力強く、呼吸も正常。それなのに、喉を絞められるのに似た息苦しさが消えない。


 ロストは人をバカにしたような顔で笑う少年の像の頭を掴み、首をねじ切るつもりで力を込める。歯を剥き、涎を垂らして、ロストも笑っているみたいな顔になる。


「怒りを大きくするんだよ。恐怖なんか忘れるくらい、ずっと大きく」


 独り言を誰に聞かれても構わない。自分の影と対話して自分の本心を確かめる大事な作業だ。


 自分が何をしようとしているか理解しておく、最後の機会だ。

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