第45話
「ひでえ偶然だったな。ボランティアに行ったら死を偽装したガキの母親に会うなんて。クリスマスでジョークに使うから、それまで誰にも言うなよ」
ロストが笑ってもエディナは怒りも殴りもせずに、ただ力なく、心もなく、口の中で嘘を転がすみたいに笑った。
「私が神父様に連れてくるように頼んだの。だから偶然じゃない。あなたを連れてきたのも、直接じゃなくワンクッション挟めば接触しやすくなるかと思って」
「あんた、暇だとつまんねえことするんだな。それで満足できたか? 自分が不幸にした家を覗いて、母親に銃を向けられて、ちょっとは赦された気になれたか?」
「なるわけないでしょ」
「だよな、そんなのはやる前からわかってたろ。要するに、お前は自分を傷つけたかったんだ。隊員の犠牲でもモールでのことでも、もっと苦しむべきだってな。でもな、そう思うのはお前が実際はたいして傷ついてないからさ。お前のせいで母親が傷つこうが、息子が死のうが関係ない。だってお前はお前自身のために戦ってる。シュリのインタビュー聞いてて思ったよ、お前は自分の過去と拭えない不幸を少しでも美化するのに必死だ。だろ? 今度からは、ウサギのうんこみてえな罪悪感の処理に困ったら俺に言え。ちゃんとどっかに捨ててきてやる」
「心の調整もあなたに任せろって?」
「お前よりうまくやってやる」
「どうかしら? 今、うまくいってる?」
エディナはロストの手から離れて一人で進んでいく。重心を前に傾け、ややうつむいた姿勢で。
身体から汚れを落としているかのように少しずつ色を失っていく彼女の後ろ姿から、失望の色だけが落ちない。半分だけ振り向いてロストに向けた横顔に浮かぶ諦めの微笑みでは、彼女の本来の臆病さを隠せない。
「自粛を私が決めたって言うのは嘘。あなたの言うとおり、役員会から提案された」
「なんで受け入れた? メイブを野放しにして黙っていられるお前じゃないだろ」
「私が戦うことで、少しは世の中よくなってるんだろうと思ってた。間違いだらけでも、ほんの少しくらいはね」
彼女が親指と人差し指で作った隙間には薄い書類だって挟めない。
「でも、結局はありきたりの暴力の連鎖。メイブの言ってた、剣持つものはってやつね。最後は剣によって敗れる」
「お前は間違ってない、間違ったのは俺だ。次は完璧にやる。お前はメイブをどうやって血祭りに上げるかだけ考えとけ」
ロストはほとんど何を言っているのか聞き取れないほど早口だ。焦りで汗が吹き出してきて、皮膚に無数の小さな穴が空くような感覚はロストの中に最悪の予感が生まれているせいだ。
エディナにこれ以上、喋らせるな。
諦めの微笑みも剥がれ落ちて、白っぽい金髪が彼女の肌に吸い付き、目から光が失われる。まばたきのほんの一瞬で廃墟に同化してしまいそうだ。ロストの予感するたった一言で彼女は本当に、廃墟と同じ過去になる。
「やめる」
彼女はロストの早口を遮って言った。
「私は役員会でやめるって言ったのよ。私の活動は被害が大きくなりすぎた。これじゃもうヒーローじゃなく、災害よ」
「クズどもにとっての災害だ。それがお前の才能なんだよ、やめてどうすんだ。車椅子がなきゃ一人で便所にも行けねえ、お前に何ができるんだよ」
「トイレくらい行ける。あのね、私は広報アドバイザーとしてもかなり評価されてるの。どっちかっていうと心配なのはあなたの今後ね」
「ヒーローじゃないお前に興味なんかねえよ。俺が言ってんのは、あのイカれた妖精がヒーローやめたからってお前をほっとくかってこと」
ロストだけが焦って、憤って、声が大きくなって、それなのにエディナは困ったように笑うだけだ。
「会社が守ってくれる」
「バカか? あいつらがどんな連中か知ってるだろ。お前を守るより、死をどう利益にするかを考えるのをリスクマネジメントって呼ぶやつらだ。お前を守れるのは俺だ。俺たちだけだ」
「あなただって一人で逃げ回っただけでしょ。私を子供に任せて」
「それが最善だったからお前は今、俺に向かってやめるとかなんだとか言って駄々こねてられんだろうが」
「最善があれだったのが問題なの。あなたの命を無駄にすることが最善だなんて、どう考えてもまともじゃない。わからないの? 私のせいで死にかけたのよ」
「今度は俺の心配か? 泣けるね。すぐ周りを利用しやがる。やめるって言ってからやめる理由探してんじゃねえよ」
「そんなじゃない。あなたが意識を失ってる間、ちゃんと考えて決めた」
エディナが少し苛立ってきて口調が攻撃的になった。殴られたら殴り返さずにいられない。彼女はそうでないといけない。
「お前の考えなんざたかがしれてる。言ってみろよ、聞いてやる。ヒーローやめる理由ってのをぶちまけて、泣きわめけ。全部ゴミだ。お前はそうやって泣いてヒーロー続けろって俺に言わせたいんだ。それでいい、自分で言えないときは他人に言わせろ。倒れそうになったら他人を殴って立ち直れ。お前はそれでいいんだ。どうだ? まだ足りないか?」
「あなたのそういうとこにはもうウンザリ。決めたのよ。話すことなんかない」
「被害が大きい? 被害はお前が未然に防いでるからゼロだ。被害と犠牲は別物だ。人が死ぬのがまともじゃない? ヒーローがまともなもんかよ。悪いことするやつは殴ってもいいってのが本質だぞ。ブッシュ・ドクトリンの権化だ。狂ってる。でもみんな喜ぶ。必要だから。そうだよ、ヒーローは必要だからヒーローなんだ」
「ひどい汗よ。もうやめなさい」
「わかった、クレールも連れてきてやる。歯を全部たたき折ってお前に謝罪させる。そして感謝させる。クズになったガキを殺してくれてありがとうってな」
「怖かったのよ」
エディナが怒鳴って肘掛けに拳を叩きつける。車椅子が傾いてロストが支えなければ倒れていた。
全力で走った後みたいな呼吸と、乾いた眼球、焼けたように痛む喉。それ以外は彼女の声で吹き飛ばされて消えていた。
「あなたが倒れているのを見た瞬間、死んでるんじゃないかと思って怖くなった。立っていられないくらいね。現場で怒りより大きな恐怖なんて初めてだった。あなたの言うとおり、怒りは私の才能かもしれない。でも、一度恐怖が勝ってしまったら、それに耐えられるほど強くはない」
ロストだって強くない。エディナの、溢れ出しそうな記憶に蓋をするみたいに拳を額に押しつけ、言ってしまったことを後悔して引き結ばれた唇を見てしまったら、車椅子の横に膝をついて頭を垂れるしかない。
「なんだそりゃ」
「理由よ。聞きたかったんでしょ」
「俺のせいだとでも?」
「さあね。でも、あなたがいると私はレディでいるのは難しいみたい。だから今日はもう帰ってくれる? 公表するまではレディでいたいから」
エディナはシャフトを指し、彼女は教会に向かって坂を上っていく。胸で重心を取って車椅子を操る動きも、風に揺れる髪も、取り巻く空気も、やめると言う前より柔らかい。強い風と砂で跡形もなく削れてしまう、脆弱な柔らかさだ。
「それと、私のこと、お前っていうのやめて。二度と言わないで」
最後に振り返ってそう言ったように思えたのは、ロストのただの願望だったのか、本当に聞いたと確信できないまま彼女はいなくなっていた。
頭の中に溶けた鉄が流れ込んだみたいに熱く、膨張して破裂しそうだ。ロストは唸りながら手近なアスファルトの残骸を殴りつけ、拳から粟立つように血が流れても頭の中が熱すぎて痛みが溶ける。
縦に肉が裂けて震える指を襟首に突っ込み、イヤーピースを引っ張り出す。
「ドギーに繋げ」
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