第39話

 目を覚ましたとき、ちょうど天井から濃い赤色のライトを当てられていて、無数の小さな丸い光から目を背けようとすると、毛の生えた太い指がロストの首を押さえつけた。


「じっとしてろ、新しく入れた虫とアドレナリン胞を安定させてる」


 ドギーの声だ。まだぼんやりしているけど、わかる。


 そして彼の手が怪我人を押さえつけるには力が入りすぎているのは、怒りが原因だと声の調子から読み取れる。破れた鼓膜はうまく再生できている。


「エディナは?」


「いきなりエディナか? ケイトじゃなく。仕事熱心だな」


 怒りの原因が絞り込まれる。ケイトに銃を持たせたことか、インタビューのことか、それともシュリか。ロストはわざと苦しそうに呻く。別にどこも痛くはない。


 もともと薬と培養寄生虫だらけの身体だ。今さら鎮痛剤を控えたりはしない。ドギーもそれを知っていて、同じような身体を持つものの共感で手は放してくれる。


 ドギーはため息をついてベッドの横に椅子を引きずってきて座った。


「エディナは無事だ。まあ、まったくの無事とも言えないが」


「撃たれたのか?」


「いや、そういうんじゃない。彼女自身は軽傷で、モリグアイもバイザーが破損しただけだ。ただ、彼女を狙ったテロに一般市民が巻き込まれた」


 胸が焼けるような苛立ちと、空っぽの胃が訴える痛みを同時に感じ、ロストは枕に後頭部を押しつけて唸りながら仰け反る。


「そりゃ非難の的だろ。今年はもう二人も犠牲者を出して、ただでさえ厳しい状況だったからな」


 ライトが消え、数回まばたきすると目に残った赤い光も薄れていく。部屋の明かりは消してあって、カーテンも閉まっている。シティでは場所によって光の入る時間が違い、カーテンの隙間から差し込む光だけでわかるのはおおまかな時間だけだ。


 薄墨のような冷ややかな色の明かりは、おそらく早朝だろう。狭い個室には見舞いの品など何もなく、スライドドアの側の一人用ソファにムラサメが毛布にくるまって寝ている。本来ならロストの身体にかかっているべきものだ。


「なあ、ロストよ、その状況ってやつだがな……」


 腕を組んで考え込んでいたドギーは、自分の考えが馬鹿げていると思いながら無視できない、そんな弱気を恥じるみたいに膝に手を置いた。無言でロストの意見を求めるとき、彼は弱気になっている。


「わかってる。俺たちはこの状況に追い込まれた。問題はどこから始まって、どこまで意図されたものかってことだ」


「カット・グラスは?」


 ロストは小さく首を振る。無関係だと言いたいのではなく、ムラサメが目を覚ましたからだ。調整班の外に漏らしたくない話は彼女の前ではしない。


 信頼の問題ではなく、彼女は物事の優先順位が理解できない。ドギーもムラサメのことは人語を解する犬くらいに思っている。


「あ、ロストが起きてる。大変ですよー、ケイトに銃を持たせたと知ったドギーが殺すって息巻いてましたから。治療中にやらないところが、口だけって感じであの人らしいですね」


 寝ぼけていて、ドギーがお見舞いの熊のぬいぐるみじゃないと気づくのに数秒かかる。ムラサメは無表情のドギーと目が合うと、そっと毛布を首元まで上げて寝たふりをした。


「俺が口だけじゃないって見せたほうがいいか?」


 ロストは立ち上がったドギーに向かってだらしなく笑い、手首を切る仕草をする。


「どうせチップ抜いて俺の行動を分析したんだろ? お前ならあれが最善だって理解できるはずだ。それでも頭に来んのはそこにいたのが俺で、お前じゃないからだ。危なかったな、肌の透けたガキに執着して警護対象も死なせるバカなパパだと知られるとこだったぜ。まあ、そのときには死んでるけど。あのな、パパ。ケイトが俺の家に入り浸るのは、俺が最善ならあいつに銃を持たせるからだ、覚えとけ」


 ドギーが両手でロストの胸ぐらを掴み、軽々とベッドから持ち上げる。ロストが着ているのは腰紐で留めるガウンのような服で、下着も身につけていなくて、ドギーの指は皮膚に食い込んでいた。


 太い眉に押さえつけられた彼の目は血走っていて、歯の色も微かに黄色い。目が覚めたばかりで利かない鼻でも、ドギーの口から酒の匂いを嗅ぎ取れる。


「よかった、いつものロストだな。今日からでも復帰できそうだ。四日間、寝てたぶん、しっかり働いてもらおう」


「四日? バカか、なんでもっと早く起こさねえんだ。入札を取りに行くのに今のままじゃダメだ。何か手を打たねえと」


「イス・ウォーターの重役会はかなり消極的ですよ。今はおとなしくしておくのが最善。レディも活動自粛です。働いてもらう、とか言っても仕事なんてありません。調整班の有用性が審議にかけられてるんです。誰かさんが寝てる間にね」


 ムラサメが目を閉じたまま口を挟み、ロストとドギーに同時に睨まれてまた黙る。


 ドギーが手を放して床に投げ出され、足がついた途端に膝が抜けて倒れ込んだ。骨が全部ゴムになったみたいに力なく折れ曲がる。仕方なく、ロストは床に顎を付けたまま鼻で笑った。


「自粛? あの女がそんなことするか。どうせモリグアイのメンテだとか言って何もさせないようにしてんだろ。逆だ、フェイクでもいい。何かでかい事件をやるんだよ。俺たちが必要だってわからせてやろうぜ」


「最善なら自粛も選ぶ。レディはそういう判断もできるから今の地位にいる。お前のやり方じゃ彼女を潰すだけだ」


 スライドドアが自動で開き、車椅子に乗ったエディナが気まずそうな顔をこめかみに指を当てて隠している。


「勝手に入ってくんな」


「面会者登録してきたわよ。そうじゃなかったら勝手に開くわけないでしょ」


「こんな早朝に?」


 ムラサメが飛び起きてソファを壁際に寄せ、エディナの入る場所を作った。


「誰もいないと思ったからね。でもまさか三人揃って部屋の外まで聞こえる口げんかしてるとは思わなかった。何のために個室にしたの? 床で寝たいから?」


「私はけんかしてません。この二人が勝手に始めたんです。私はいつもいい子です。だからクビにしないで」


 エディナは無視して、彼女が顔を見せた瞬間から直立不動で後ろ手を組んでいるドギーに目を向ける。


 権力者のような冷淡さはある。でも、生まれ持ってきたかのような傲慢で冷酷な色が失われている。


「まず先に言っておくけど、私はこの男が何をしたところで潰れたりはしない」


「レディ、俺が言いたいのは──」


 エディナは指を上げてドギーを遮り、ロストに色の失われた目を向ける。誰かが、レディのふりしてるみたいな目だ。


「それと、自粛は私の判断よ。モリグアイは確かにメンテナンス中だけど、動かせても同じ。私が標的になって大勢の一般市民を巻き込んだ。そして主犯格はまだ捕まっていない」


 ロストがドギーを見上げると、ドギーもロストを見下ろしている。二人とも考えていることが一緒だ。


 妙におとなしい。誰だこいつ?


「まったく信じられない。こんな子供みたいな連中に、マックリルが有用を出したなんて」


 ロストを抱え起こしてベッドに戻すドギーの身体から緊張の堅さが消える。抱きしめられそうで怖い。


「では調整班は?」


「このまま継続よ。特にロストの働きは、モールのこともインタビューのこともマックリルは有用と判定した」

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