第35話
ロストは地図で描かれた経路に従い、衣料品店の並ぶ緩やかに湾曲した通りへと踏み込む。見通しは悪いが銃がない以上、近距離での遭遇戦に持ち込める可能性を重視する。
通路に点在する人の身長ほどのパネルは実物を売っている店の商品を紹介しているようだが、今は緑の妖精が無気力にパネルの中を漂っていた。
店のロゴが入った紙袋が散乱し、売り物の靴と客の足から脱げた靴が入り交じって転がっている。
店の壁には銃弾の痕がペンキを跳ね飛ばしたみたいに連なっていて、試着室のカーテンに絡まった芋虫みたいな死体は天井の照明が壊れて点滅していることで、微かに蠢いているように見えた。
手作りのアロマキャンドルの店からは強いラベンダーの香りが流れていて、ロストは袖で口と鼻を覆って通り過ぎる。
棚の後ろに隠れて震えている紫の髪の少女に指を向けて動くなと言おうとしたとき、伸ばした腕側の肩胛骨に衝撃を受ける。
立て続けに二回、骨にまで届く痛みが重なって腕が痺れた。
ロストは振り向かずに片手で車椅子を押し、ガラスのパネルの間を通って背後からの銃撃を逃れる。
最低でも二人いると考えたほうがいい。
仕切りを取り払った広いフロアとパネルの間を駆け抜け、その先にある食料品を扱う市場に向かう。
「大きなディスプレイの搬入口。ハロウィンとかクリスマスとかすごい素敵。
浮いてるカボチャとか見に行きたい」
頭を下げ、死体に覆い被さって走りながらロストは舌打ちする。
ムラサメも混乱していたのか、余計な情報がかなり多い。
パネルを通り抜けた正面にもう一人のテロリストがいる。ちょうど湾曲した通りの中央で、近くにいるのが見えなかった。
車椅子を直角にターンさせて相手に背中を向けて庇いながら、折り畳みのステッキを引き抜く。
テロリストはロストを無視して車椅子のほうを狙っていて、下向きに角度のついた銃弾が背を向けたロストの腰に当たる。
骨盤の横に痛みが走り、腰の回転が遅れて男との距離を正確に測れない。
振り向きざまにステッキを伸ばして男の手元を打ち払うと、男は小銃を持たない手でロストの腕を掴んだ。
男の目はロストの動きを追わない。
ロストを見ているのは帽子からはみ出した緑の妖精の目だ。
ロストは腕を掴ませ、男の脇の下にステッキを差し込んで腕を絡め取るようにステッキを回す。
男の身体が傾き、体重がかかった足の膝を正面から蹴る。
骨が擦れ合って潰れる音がして、支えを失った男が膝をつくと男の頭を掴み、緑の妖精をガラスのパネルに叩き付ける。
ガラスが細かい欠片になって砕けたのは、ロストの力ではなく、背後からの銃撃のせいだ。
「お仲間と取っ組み合ってても気にしねえのかよ」
車椅子を押して走り出すときに、倒れた男の顔面を踵で踏み、残り半分の通路を一気に駆け抜けた。
明らかにテロリストの包囲が弱まっている。
減ったんじゃなく、配置換えだ。搬入口が近い食料品売り場に集まった。
砕け散ったワインの瓶が散乱している床で足を滑らせ、試飲カウンターに隠れた二人から撃たれる。
車椅子を低い棚のほうに押し出し、自分は頭から滑り込みながら見える範囲で周囲の状況を確認する。
売り場は一階と二階が吹き抜けになっていて一階には生鮮食品、二階には缶詰や酒類、保存の利く加工食品が並ぶ。
通常の商品は低い棚に陳列されるが、グリモールのイメージに合わせて書架のような棚に様々な商品を展示している。
車椅子に乗ったエディナを搬入口のある一階に下ろすためには商品を運搬するリフトを使うのが近道だ。
書架を盾にすれば距離は稼げる。
「問題はあれだ」
ロストは書架のエリアと酒類との間にある、キブツで収穫された果物を使ったジュースやジャムなどの物産展を指す。
「隠れる場所がない。困るよな、ショッピング・モールの企画は銃撃戦を想定してくんないとさ。
でもまあ、あんたなら行くよな。暗闇の中を全力疾走だっけ?」
車椅子に乗せた女の首が垂れる。ロストは笑って、冷たい、皮膚の表面に油が固まっているような張り付く感触の女の額に唇を押しつける。
迷っている時間はない。ロストが通ってきた通路を後ろから追ってきているテロリストと、カウンターに隠れている二人に挟撃されれば即座に役目が終わる。
「やっぱり女は静かなほうがいい」
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