第34話
エディナは両側の車輪を掴み、噛みつきそうな目でシュリを睨んだ。
「バカ言わないで、お荷物になる気はない。本気出せば足で走るより速いよ」
威嚇する猫をなだめるように手を出すシュリがいい囮になってくれて、エディナが気を取られている隙に彼女の脇の下から腕を通し、車椅子から引き抜くように抱き上げた。
「陽動に使うんだよ。手伝ってくれそうな女性もさっきいたしな」
「あなただけで? タトゥー入れる職人、一人に手こずるあなたにできるわけないでしょ。私と一緒に来なさい。それが護衛本来の仕事よ」
だんだんと声が大きくなるエディナの腹を締め付けて黙らせ、一度床に転がしてから肩に担ぎ上げる。
喉から悔しそうなうなり声を絞り出しながらロストの背中を殴りつけるエディナを渡すためにシュリを屈ませる。
「信じろ。『マックリル』が最も成功率の高い作戦として提案した」
「あの複合型予測AIの?」
シュリは少し興奮気味に言って、ロストの指示に素直に従った。
「狂ってるってことよ。信じるな」
俯せにしたエディナを首にタオルを巻くみたいにシュリの肩に乗せる。
足の間から腕を通し、エディナの腕を掴めば救助で人を運ぶ体勢になり、シュリの体格なら充分にエディナを担いで走れる。
エディナもさすがにシュリを殴ったりはしないが、そのぶんロストへの不満の表明が辛辣なものへとなっていく。
「わからない? あいつらはこっちの裏をかいたのよ。あなたみたいな間抜けが一人で走ってたってすぐに陽動だと見抜かれるに決まってる。意味なんかないの。役立たずの護衛は私の弾避けになっていればいいの。マックリルにそう言われて腹を立ててかっこつけてるんでしょうけど、残念、マックリルが正しい。ねえ、聞いてる? 上司の命令よ。無視したら減給よ、異動よ、私にはそのくらいの権限があるのよ」
マックリルの計算が正しければ、ロストには異動も減給もなくなる。
エディナがマックリルを狂っていると評するのはマックリルが人命をリサイクルできるものと考えているからだ。
ロストが一人で車椅子を押していれば、陽動を疑われる。
だが、無視はできない。それだけのためにロストを消失させる計画を立案するのがマックリルだ。
ロストはまだ顔を背けたまま見張りをしているケイトの側に行き、肩に手を乗せ、それから感触を手に残そうとするみたいに軽く叩いた。
「悪かったな、こんなことになっちまって」
ケイトは思い切り首を左右に振って、それでも視線は見張れと言われた方向を見据えたままだ。
すごく遠くに聞こえて、すぐ近くまで来ていそうな銃声や、悲鳴のする方向から目が離せない。
それが全部、妖精の悪戯をテーマにした大がかりなアトラクションで、気圧の調整が乱れて歪んだ天幕に今まで見たこともない風が描かれるのを期待するみたいに、ケイトは見続ける。
「ロストは悪くないよ。ほんとにエディナと会わせてくれたんだから。
ねえ、お父さんだけど……」
「きっと現場に来てる。お前が今日、ここにいるのは知ってるからな」
「来てないほうがいいよ。こんな危ないとこに来て欲しくない」
「そんな優しいケイトちゃんに俺からプレゼントだ」
ロストは彼女の気丈な笑顔に敬意を表するように腰を屈め、エディナから見えないように身体で隠してセキュリティ・アームを差し出す。
「シュリはエディナを担いで走る。エディナもあの体勢だ、まともに狙いなんかつけられない。
頼りないがお前しかいねえ。
近づくやつはとにかく撃て。当たり所が悪くなきゃ一発で死ぬこたねえから」
ケイトは明らかに挙動不審に、直立不動であさっての方向に目を向けながらアームを取る。よく見てないから落としそうになる。
「ロストはどうするの?」
「おいおい、レディの護衛がそんな玩具しか持ってないわけねえだろ。
パンツに収まんねえくらいでかいの持ってるよ。あ、これドギーに言うなよ」
「やだ、言うよ。いっぱい怒られるといいよ」
「ノズルを人差し指と中指の間から出して握るんだ。親指は立てたほうがいい。パンチするみてえに握り込むとロックがかかっちまうからな。
あと、帽子貸してくれ」
ケイトは何も訊かずに帽子を渡し、少し迷ってからロストが帽子を受け取った手を両手で包み込んで強く握った。
半透明の皮膚の下で手の甲の骨が盛り上がり、重なった格子のようにロストの手を閉じ込める。
ロストは何か約束させられる前に手を抜く。
祈りも願いも約束も、覚えていられそうにないから嫌いだ。
ケイトとの話が終わるとシュリは行動を開始する。
ただ黙って待っていたわけではなく、燭台のエリアに向かう順路を整理していたようだ。
エディナはもう何も言わなかったが、ロストを睨むのはやめない。
借りた帽子を車椅子の背もたれに引っかけ、最初に撃った女が倒れている場所に戻ろうとするロストに、エディナが声をかける。
「無理せずに隠れてなさい。すぐに戻るから」
「頼むぜ、レディ。身内を優先させんなよ、調整が面倒になるだろ」
エディナは何か言い返すが、シュリが走り始めた拍子に胸が圧迫されて声は出なかった。
音には敏感だが、口の動きから言葉を推測するのは苦手だ。
想像力がない。あるいは想像したくない。
車椅子は背もたれの内側に折り畳まれた取っ手が収納され、取り付けて押してみると片手で押せるほど軽く、車輪の可動域も大きくて小回りがきく。
ロストが頭を撃った女は倒れたままで、仲間も来ない。
抱き起こしてみると左目に銃弾が命中していて、瞼が目の内側に張り付いている。
一見して年齢は四十代で痩せ形、指は綺麗で柔らかく、テロリストの組織で訓練を受けた体つきでもない。
組織力が推測できない。
ロストは彼女を車椅子に座らせ、腰の周りをカバーするフックをきつく締めて固定する。背中が丸まってしまうのは腰の位置を低く調整することでごまかし、帽子を被せる。
「ようやく静かになったな、エディナ。
言いたかないが、あんたは喋れば喋るほど魅力が失せるぜ。
女ってのは黙ってたほうが賢く見える、死んだみたいに黙ってるほうがな」
女の持っていた小銃を拾って引き金に指をかけても動かない。
「くそ、いっちょまえに生体認証かけてやがる。安全第一だなあ」
車椅子に収納されている折り畳みのステッキが手持ちの武器の全て。
「でもな、俺はマックリルに言われなくてもこうしてたと思うよ。あんな豆鉄砲一つであんたの側にいるより、敵をあんたから引き離す努力をするほうがまだいい。それに俺はあんたから離れられる。減給だとか異動だとかつまんねえこと聞かされると、鼻折りたくなる。一人になればこうして好き勝手に独り言も言えるしな」
最後のほうは怒鳴って、しばらく腰に手を当てて待ってみても銃弾の一つも飛んでこない。
ロストは深呼吸して進むべき方向を見定める。
エディナは他人に介助させない。普段はワンピースを着ている。不自然な点は多いが、偽装だと勘ぐってもらうのを期待し、車椅子を押して走り出す。
あまり速度を出しすぎると女の首がほぼ直角に傾いてしまって死体らしさが増す。
「見つからないように慎重に、でも急いでモリグアイの搬入口に向かう。
そういう感じで頼むぜ相棒。うまくいったらかっこいい棺、買ってやる。
エディナが」
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