第32話
ロストはセキュリティ・アームを取り出し、テーブルに置きっぱなしのカメラを手に取ろうとして背中に汗が噴き出す。
テーブルに表示されるメニューが勝手に開き、一面に緑の妖精が映し出されていた。エディナは店員に指示を出していて気づいていない。
「手順に従って避難して。私たちのことはいいから。
トイレにシュリたちがいるはずだから、一緒に逃げて」
メニューをエディナに見られる前に閉じようとするが、手で触れる操作にまったく反応せず、店の外でも緑の妖精が徐々に床の文字や天幕の模様に入れ替わりながら広がっていた。
「顔色が悪いね」
最初に殴られたときを思い出す角度でエディナがロストの横顔を覗き込む。
「いきなりの銃声でチビッちゃってさ。小便臭くてごめんな」
「音には無反応だった。
ねえ、この妖精、ムラサメを助けに行ったときに私見たんだけど?
変なごまかしはやめて、会うたびに殴るのはうんざり」
いくつも重なって波になった悲鳴と、そのたびに追いかけてくる銃声は聞こえてくる方向も頻度も違う。
複数のグループに分かれて別々の方向から同時に襲撃している。
練度が高くて計画的。
「詳しい話はここから出た後だ。急がないと十字団の即応部隊が来る。
あいつらは何やらかすかわからんからな」
「十字団とは協定があるから、近くにモリグアイの搬入口がある。
私なら即応部隊と連携して一掃できる」
ロストはすぐに動き出そうとするエディナを引き止め、後ろから来るように指示する。
何人かが店内に避難してきて厨房に隠れた以外は動く人を見かけず、モール内は静かになった。
落ち着いたと思うと銃声が聞こえ、悲鳴や怒号がモール内で渦を巻いているように循環する。
一つのグループが追い立て、その先で別のグループが待ち伏せてさらに追い立てる、狩りだ。
「あんたが狙いだったら搬入口は押さえられてる。罠に飛び込むみたいなもんだ」
「護衛だからって勘ぐりすぎよ。計画的なのは間違いないけど、私が今日、ここに来るって事前にわかっていたとでも?」
エディナに緑の妖精について説明している時間はない。
他の客たちが通路を走っていった方向から銃声が響いた。無闇に連射せず、数発ずつ、確実に集めて撃っている。
武器を持たない相手を処理するやり方。
ロストがセキュリティ・アームを胸の前に構え、少し前屈みの姿勢になると、エディナは無言になる。
緑の妖精が広がるにつれて照明が減り、夕暮れの太陽が沈む直前の、何もかもが影に見える暗さに包まれていく。
ロストは目の調整を済ませたばかりで視界は良好だが、そうではない人は暗くなるにつれて不安を募らせる。
「ケイトたちは無事に逃げられたかな。まず合流したほうがいいんじゃない?」
「この近くで聞こえた銃声は今のが初めてで、トイレはあの噴水のほうだ。
今のに巻き込まれてる可能性は低い」
銃声はロストたちが来たエレベーターの方向から聞こえた。逆方向の噴水のほうへ逃げるには広くて見通しの良い通路しかない。
幸い、モールの特色に合わせて奇妙な外装の店舗が多く、自立したカーテンや、歩行者に合わせて動く壁などを利用すれば隠れながら移動できる。
店のドアを押し開け、壁にしながらエレベーターのほうを窺う。
出口方面で待ち伏せしているのなら動かないはずだが、移動しているなら別の目的がある。
誰かを探しているとか。
エディナを下がらせてドアを閉めようとすると、彼女は身体全体でドアを押さえて抵抗する。
ただ守られるだけの自分に我慢ができない。
目が潤んで呼吸も浅く、いつもの傲慢で攻撃的な表情の仮面が、滲み出る恐怖で外れかかっているとしても。
「下がってろ。ヒーローの出番はもうちっと後だ」
暗視調整のせいで平坦に見える暗がりに、浮かぶように姿を見せた相手はただの女性観光客のように無防備だ。
襟のある薄青のシャツを着て、踝までの細身のパンツと紐を絡みつけたようなサンダル。
髪留め代わりにサングラスを額まで上げて、弾倉を外せばハンドバッグに入るくらいの自動小銃を持っていた。
ロストは壁に這わせるように手を伸ばし、女の頭部を狙う。
照準を補佐する低い音が一定になるのを待って、軽くアームを握りしめた。
拳の中でセキュリティー・アームが軽く震え、喉を焼く排出ガスが腕を伝って漂ってくる。
女の頭が後ろに傾くのは見えたが、しっかりと命中したかを確かめる時間はなかった。女の後ろにもう一人いて間髪入れずに応射してくる。
ロストは頭を引っ込めてエディナに奥へ行けと、手で押す仕草をする。
彼女は重心を後ろに傾けて後退し、イヤリングを外して植木の中に放り込んだ。
相手は通路を走りながら銃を発射し続けていて、ロストが手だけ出して適当に撃っても怯まない。
訓練を受けているというよりは、正気を失っているとしか思えない。
ロストは後ろを振り返り、エディナとの距離を確認してからドアを塞ぐようにまっすぐ立つ。
相手が突入してきても、ロストが邪魔でエディナに射線が通らない。
ロストが射撃をやめたことで相手の歩調は速まり、足音も大きくなる。
体格、歩幅、ロストとの距離。
完璧ではないが、大まかなタイミングを計るには十分な情報が聞こえる。
3からカウントダウンし、0で遮蔽から飛び出す。
腕で顔を覆いながら突進すると、相手もそれを予測していたかのように小銃を両手で構えて撃ってくる。
ロストと同じだ。胴体を避け、顔面を狙う。
高反発繊維のスーツが銃弾から守ってはくれるが、骨に衝撃と痛みがねじ込まれるのは防げない。
骨を伝う痛みを身体から弾き出すみたいに相手の腹を蹴る。
向かいの壁に吹き飛ばされた相手にセキュリティ・アームを向けて拳を握る。
アームから発射された金属片のような弾丸は相手の腹と太ももに穴を開ける。
ロストが頭を撃った女と似たようなシャツとジーンズの男で、旅行に来た夫婦に見える。
右目と額を覆っている緑の妖精以外は。
男は撃たれたことなど気づいていないかのように自動小銃を持ち上げた。
ロストは相手の伸ばした腕の下に入るように頭を下げて突進し、男の胸に肩からぶつかる。
男が前に突き出している小銃を払いのけながらセキュリティ・アームを強く握り込んで男の腹に拳を打ち込み、相手の顎を頭で打ち上げる。
小銃を持った腕に銃口を押しつけて二回、発射し小銃が落ちるのを見て、同時に女が倒れたまま動かないこと、他に仲間がいないことを確認した。
女のほうを見た隙に男はロストの首を上から押さえ、太ももから血を溢れさせて膝を突き上げる。
ロストは腕を交差させて膝を受け、そのまま男の膝と腰を抱え込む。
背中を仰け反らせて男を持ち上げ、上下を入れ替えながら胸を合わせて倒れ込み、男を下敷きにする。
肺の中の空気が残らず抜けてしぼんだ胸に膝を押し当て、息をさせない。
「お前らは何だ? 何が目的だ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます