第24話
エディナの住居は第三階層の日当たりの良い分譲住宅地の一角にある。
シャフトからも遠く、周囲には老夫婦の経営する食料品店があるだけ。
一戸建てで庭の広さだけが取り柄の高級物件ばかりだ。
週末や長期休暇に利用するために購入する住人がほとんどで、エディナのように一年を通して住んでいるのは珍しい。
下層の古い遺跡みたいな町並みから移した石塀や木造建築を模した壁の装飾、屋根裏の空間を広く取った分厚い屋根の佇まいは静かで重厚。
想像と違って懐古的で保守的な人間が好みそうな家だ。
煤けた年代物のカンテラを使った橙色の照明に照らされたスライドドアが開き、ドギーが家から出てきた。
「車に乗ってればいいのに」
ドギーはロストの足下で踏まれた落ち葉を見て首をかしげる。
「この車、お前んちみたいなもんだろ。臭いし汚ねえし、なるべく中にいたくないわけ」
「ちゃんと掃除したよ、レディに見られでもしたら大変だからな。
それより、何だその格好。動きやすい服装って言ったが、ジャージはないだろ。
ランニングの併走するんじゃないんだぞ」
「あ、なんかそんなイメージだった」
白地に青のラインが斜めに入ったジャージの動きやすさを見せつけるように、ロストは軽くその場で足踏みする。
ドギーは困ったように笑い、ロストを頭から車の中に押し込んだ。
「家ん中で何してたんだ? 足のマッサージでもさせられたか?」
「トイレを借りた」
「なんだ、そういうのいいんだ。
俺は車内で小便すんのかと思ってポット持ってきたんだぜ。
交代に来たムラサメに差し入れすんだ。紅茶だっつって」
「絶対にやめろ。この車の中でそいつは一切出すな」
「嘘に決まってんだろ。犬と車と娘、お前の大事なのそれだけだもんな。
残りの二つも連れてこいよ、あの芝生で全部走らそうぜ」
「そういや、レディにケイトのこと聞かれたな。お前、あの子のこと話したか?」
「いや」
ハンドルを回して窓を開けて空気を入れ換えるロストに、ドギーは何か目に見えない変化でも感じたように首を傾げる。
「二人でムラサメの救出に行ったんだよな。
急に俺たちを護衛に使うのが決まったのもそのすぐ後だ。何があった?」
「あのガキの映像がいきなり流れた。事件現場の写真も公開されないうちにだ」
「そういう話じゃないんだが、まあ、いいか。放送局も出所は知らなかったよ。
データだけ送られてきたそうだ。おそらくガラス化の犯人だろうな」
「注目を浴びたいってやつか? 最近じゃ死んだって有名になんかなれねえし、殺すしかねえってか。おかげでエディナがマジになったよ」
「今、エディナって呼んだか?」
「そう呼べって言われたろ」
「そう……だったなあ。しかし、展開が早すぎる。
あまり早い段階から捜査に積極的だと、あのオーファンの少女と『運送屋』の下部組織のつながりが表に出たとき、隠蔽を疑われるかもしれん」
「エディナがやる気だって関係者の話、もう出てるぞ」
ドギーは舌打ちし、ハンドルを軽く叩く。
「どこのバカだ。先走りやがって」
「俺たちにとっては都合がいいだろ。
よそのCVがあのガキを辿れば、俺たちの調整に行き着く。
エディナも俺たちも守るには入札を取りにいくしかないんだ」
「ロスト、勘違いするなよ。レディを守るんだ。俺たちを守る必要はない」
「おいおい、俺たちの調整がなくちゃ、レディはヒーローとして成立しないぜ?」
「俺たちは替えが利く。利かなきゃならん。だから俺やお前なんだ」
「セルフ・ネガティブ・キャンペーンは一人でやってくれ。俺を巻き込むな」
ドギーは横目でロストの機嫌を伺い、もうちょっと自虐につき合ってほしそうだったが、やがて諦めて肩を落とす。
真面目すぎて自前の想像力だけでは自分を卑下するのにも限界がある。
「周囲の病院で皮膚の張り替えを受けた患者を捜してみたんだが、タトゥーの除去は見あたらなかったな。
もう少し範囲を広げてみるが、そのボディー・ショップの店員、本当のことを言ってるのか?」
「あのリバー・ブロウを食らって嘘は言えねえ。追う価値はあるよ」
「しかしなあ、妖精が武器の密輸をしてるとして、カット・グラスの捜査をしながら対応するのは難しいぞ。
ロアにも妖精のことは伝えたんだろ。あいつらが勝手に片をつけるんじゃ?」
「おい、どうした。あいつらに何か期待するなんてお前、中身はムラサメか?
妖精は俺たちで押さえとく。カット・グラスの捜査が手こずりゃ、批判されるのは目に見えてるんだ。
そういうときに派手な事件が必要だろ。武器密輸組織なんてうってつけだ。
マイノスにも一枚かませて盛り上げないとな」
ドギーがチェスでもしているみたいに唸った。やったってどうせ弱い。
「そういうのはお前のほうが向いてるのかもな。
室長も褒めていた。俺より先が見えてるとな」
「後ろに見るようなものがないんでね」
励ましているのか褒めているのかわからないが、ドギーはロストの背中を叩く。
手の皮膚が硬くて分厚いから、湿らせた革で叩かれているみたいに重くて痛い。
「じゃ、俺は帰る。本当に朝まで交代なしでいいのか?
何だったら俺は後部座席で仮眠とかでも構わないが」
「勘弁しろよ。一晩中てめえの匂いといびきに晒されたら、エディナの自宅前で殺人事件が起きちまう」
ドギーが自分の匂いを嗅ぎながら車から降りると、すぐに振り返って頭だけ車内に戻す。
「ところでさっきの話なんだが、やっぱり少し訂正しておこう」
両手は屋根の上で、体重をかけているわけでもないのに車が彼のほうに傾く。
ポケットにいろいろ詰め込んだせいで重くなった背広が垂れ下がった皮膚のようにぶら下がり、下半身が夜に溶け込んだドギーは子供をさらいにくる怪物だ。
本能的な恐怖を呼び起こす巨体で相手を怯えさせないため、ドギーはいつも優しく穏やかな態度を心がけている。
でもときどき、ロストはそういうドギーが怖くなる。
自分を殺し続けて、心さえもが移植された他人の臓器みたいに身体に拒絶される痛みに、ドギーがいつまで耐えられるのか、不安になる。
「俺たちの調整がなくてもレディはヒーローだ。俺たちは彼女の影ですらない。
サイドキックなんて俺たちにとっては夢のまた夢、メジャー・リーガーみたいなものだ。この例え、わかるか?」
「野球は好きだよ。勝ってるのか負けてるのかわかんねえから、興奮しないでいい」
「彼女と一緒に行動するな。要するにそういうことだ」
「向こうが勝手についてきただけだって」
「調整しろ」
代行運転手みたいに静かにドアを閉めて、夜道を歩いて行くドギーの姿が完全に見えなくなると、窓を全開にし、春先にしては生暖かい風を通した。
シートを倒して寝転べば護衛体勢は完璧。
そもそもエディナの家はレッド・ブランチの警備優先順位の最上位だし、彼女がマイノスのお気に入りなのも有名だ。
住所を知っていても手を出せるやつはいない。
護衛の仕事なんてパパラッチを追い払うくらいだが、今はゴールディに新しい恋人ができたばかりで彼らも忙しい。
「要するに、寝ててもできる仕事だ。これが交換条件なんてちょろいよな」
誰もいない後部座席に話しかけるとエディナの家からスライドドアの開く音が聞こえる。
窓から覗くと、玄関先に出てきたエディナがランタンの下で肘掛けに頬杖をついていた。彼女の頬杖は退屈と不満の表れだと、ようやくわかってきた。
「あっれー、奇遇だなあ。ここ君の家? たまたま前を通りかかってさ。
ところでそうしてると君、ショットガンで人を追い払う孤独な老人って感じだよ」
エディナは指を二本立ててロストを呼び寄せる。本当は真ん中の一本だけにしたいのを理性で踏みとどまった。
ロストは舌打ちしてダッシュボードから護衛に支給されるピストルを取り出す。
三十発格納できる手のひらサイズの弾倉に霧吹きみたいな射出口の着いた小型セキュリティ・アーム。ジャージのポケットにも入る。
玄関まで歩いて行く間にエディナは眉をひそめて唇を曲げ、ロストの格好を黙って非難した。
「おい、わざわざ新しく買ったんだぞ。せめて声に出して文句言え」
「場違い、勘違い、似合わない」
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