第23話

 妖精のタトゥーについてはいずれエディナにも報告されるだろうが、カット・グラスとの関連が不明なうちは知らなくていい。

 着ている服を見せて思い出話を垂れ流すムラサメと戯れていればいい。


 店に戻ると四ツ目がシートを掃除していて、戻ってきたロストを見ると軽く頭を下げた。

 でも、その目はロストの背後に誰かを捜して泳いでいる。

 肝臓を拳でえぐられたのがまだ効いている。


「なあ、誰かに今日のこと聞かれたらお使いに出てて何も見てないって言うんだぞ」


「店長は?」


「安心しろ。明日の今頃には昨日ヘンな夢みてさって話になってる。

それより、お前のへその横のタトゥー、緑のやつ、それここで入れられるのか?」


「これか? 消したいっておっさんのを真似したんだ。

うち、入れるのも消すのも綺麗って評判なんだぜ。だから気軽に試してみてくれよ」


「気が向いたらな。んで、その消したいってやつどうなった?」


「消せなかったよ。あれ、タトゥーっていうより染みだった。

あんなの皮膚を張り替えないと無理さ。そう言ったら病院に行くって帰ってった」


「どこの病院に行くか言ってなかったか? 顔の映った映像とかあるか?」


 立て続けに質問すると四ツ目は急に不安そうになって妖精のタトゥーを見下ろす。


「なあ、これなんかやばいの?」


「そう思うんなら消すか見せないようにしろ。それで、どうなんだ、映像と行き先」


「映像ないし、どこ行ったかもわかんない。

でも、あんたみたいにスーツ着て、どっかの会社員って感じだったよ」


「いつ来た?」


「昨日だよ。なんか焦ってるようにも見えた」


 思ったより日が近い。

『運送屋』の摘発で緑の妖精を消さなければいけなくなったのなら、武器の取引と関係のある人間かもしれない。


「なに難しい顔してるの? 真面目な顔してるあなたってちょっと怖いわよ」


 通路からエディナが出てきて、その後ろに影みたいにぴったりと付いているムラサメが、四ツ目に何か言おうとする。

 今、緑の妖精について質問をさせるわけにはいかない。


「仕事、邪魔して悪かったな」


 ロストは先に声をかけてムラサメを遮った。


「実はあの店長な、血流して倒れてるんだ。介抱してやってくれ」


 慌てて通路に駆け込んでいく四ツ目を横目で見送り、エディナは問い詰めるように細めた目をロストに向ける。

 嘘や隠し事なんて当たり前なのに、彼女にほんの少し疑われるだけでも責められているようで、苛立つ。


 前からこんなだったか?


「なんだよ、俺だって人の心配するんだぜ。自分で怪我させちゃった相手とかさ。

年がら年中、人をぼこぼこ殴ってるエディナちゃんにはわかんないか」


「言わないつもりならいいけど、後で隠し事が露見すると余計な疑いを招くわよ」


「おいおい、必要なことは全て報告してるぞ。

目を細めてんじゃなくて、開いて周りを見ろ。それで何もなければないんだよ」


「今、周りにいるのはあなただけ。そして何もないとは思えない」


「私は?」


 ムラサメのささやかな自己主張は二人の険悪な雰囲気に触れて蒸発する。

 エディナは常に場を支配したがる。実にヒーローらしい性質で頼もしい限りだが、隠し事をするときは厄介だ。

 ヒーローとは戦うより騙すほうがいい。


「ムラサメ。何しにここに来たのか言いなさい」


 エディナのまっすぐ眉間を貫く視線に宿る傲慢な意志は美しいとさえ感じる。

 でも、彼女はフェイを知らない。


 ムラサメの口から発せられたのは耳鳴りのような音。


 風船頭のときのロストでも聞き取れないような速度で言い訳を垂れ流す。

 エディナが顔を背けて耳を塞ぐと、ロストはムラサメを抱きよせて子供をあやすみたいに背中を軽く叩いた。


「緊張させるな。調子が悪くなるって言ったろ」


「落ち込むと悪くなるって言った」


 ムラサメが静かになったのは安心したからではない。

 普段とかけはなれたロストの行動に怯えたからで、身を固くしたムラサメの首の後ろに手を添えるとき、軽く首を絞めておけばロストの意図は伝わる。


 喋るな。


 エディナは落ち着いていくムラサメを見て、自分の行動が間違っていたことを受け入れようと眉間にしわを寄せていた。

 罪悪感を感じているならムラサメに人格を認めている。数時間ですごい進歩だ。

 やはり名前を呼ばせると違う。


「もう大丈夫です。普通に喋れます。

ここにはカット・グラスの犯行で使われる、皮膚のガラス化の技術について調査に来ました。

でもフェイの皮膚を移植しているだけだったようで、不注意でした。すみません」


 エディナは長細いテレビの画面を見つめていて、ムラサメの嘘をあまり聞いていなかった。

 電波を勝手に使って流れている非公式ニュースが映し出されている。


 一切の主観を廃し、未加工の情報を発信して真偽の判断は視聴者に任せるという無責任な報道姿勢がよく批判されている番組だ。

 公式だろうと非公式だろうと今はカット・グラスの話題で持ちきりで、不鮮明な映像ながらオーファンの少女が映し出されていた。


 髪の長さと小さな顎が印象的で、ロストにはすぐに倉庫にいた少女だとわかる。

 長居はしないほうがよさそうだ。

 エディナの顔に見とれて映像に気づいていないムラサメの肩を揺さぶり、社用車を近くまで来させるように命令した。


「急に偉そうですね、助けたつもりですか?」


「助けたんだよ、とっとと行け」


 文句を言いながらムラサメが店から出て行き、ロストがその後をついていくそぶりを見せてもエディナは帰ろうとはしない。


「ねえ、これって今回のカット・グラスの被害者よね。オーファンだったの?」


「そうみたいだな、ガラス化されるとどっちだかわかんねえ」


 画面が切り替わり、少女の二の腕を手の中に収めてしまえる大きな男の手が、彼女の身体にオイルのような液体を塗り込んでいく映像が流れる。


 その手も知っている。

 ロストが内蔵を吹き飛ばしたブロガーの手だ。

 優しくて丁寧だけど、ガラス細工を磨いて艶を出す作業みたいに、無機物に触れる手の動き。


 血流が増え、内側から光で照らされるかのように半透明の皮膚に赤い色が広がっていっても少女の表情は変わらない。

 オーファンの表情を読むには顔の筋肉の動きに焦点を合わせないと、透明な瞼のせいで驚いた顔に見えるだけ。


「毛細血管が珊瑚みたいで綺麗ね。こいつらがガラスにしたんだと思う?」


「だとすりゃ、制作過程を録画して売ってるだろうよ」


「それなら楽だったのにね。私にだってすぐに解決できる」


 笑顔に見えるけど、ただ怒りで歪んだだけの唇。

 画面の中で触れられているのが彼女自身であるかのように、腕が微かに動く。


「つまんねえこと言うなよ。久々の大ネタだ。みんな次の犠牲者を期待してる。

無残な死と、悲しみの共有。

そこであんたが言うのさ、今こそ結束が必要だ」


「言わない」


「言うよ。カット・グラスを追うってのはそういうことだ」


 ブロガーが少女の腹を押すと、ペニスの形に押し広げられた膣の影が水面を泳ぐ魚影みたいに浮かび上がる。

 水に濡れるのが嫌じゃなければ手づかみできそうに思えるくらい近くて、でも一瞬、水面に照り返した太陽の光でまばたきしただけで見失ってしまう、そんな影だ。


「私、やるから。イス・ウォーターがどう判断しようとカット・グラスの捜査はやる。そのつもりでいて」


 不意にロストを見上げたエディナの微かに潤んでいるように見える瞳を見下ろすとき、彼女が幼い少女に見えた。

 川辺で魚を獲ってと懇願する繊細で傲慢で、どうしようもなく美しい少女に。


「あんたがやるんなら俺たちは調整するだけだ。

まあ、アホライズの動画より受けるように、せいぜい盛り上げてやるよ」


「そんなのじゃなく、迅速な解決を──」


「娯楽なんだよ」


 どうして声を荒げてしまうのだろう。自分の意思と真逆のことを言うくらい慣れたものだ。

 それなのにどうして、彼女の前で、肝心なときにうまくできないのだろう。


「ヒーローなんてもんがしゃしゃり出てくれば、自爆テロだって隣のサイコだってみんな娯楽だ。

この街はそうやって正気を保ってんだよ」


 エディナは二秒ほどロストの顔を見つめてから何も言わずに画面に目を戻した。同じ画面の前にいても、もう同じものは見ていない。

 時間の流れを感じない数分間、互いに存在していないも同じだった。


 ちょっと距離を見誤っただけだ。

 最初から何も期待していないし、だから失望もするはずがない。


 後で振り返ってみれば、汗とオイルで淡く光る肌の、ほとんど膨らみのない乳房が乱暴に掴まれて浮いた濃い紫の斑点が、甘く、香しい砂糖漬けの花弁みたいに見えたことなんて、ただの夢のように思えるだろう。

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