第20話

 高速で降りるエレベーターから一階ロビーの木々を見下ろしながら、ロストは壁に手をついてガラスに映ったエディナの横顔を伺う。


「あいつのこと、覚えてないって言ってたよな」


「後で思い出した。どうしてフェイなんか拾ったのかしら」


「フェイは嫌いか?」


「好きな人がいる? 進化したAIとかっていうのが勝手に生み出したんでしょ。

不気味に感じて当然」


 ロストが振り返ってもエディナは見ようとしない。

 笑顔がさび付いて固まって、顔面ごと剥がれ落ちそうだ。自分が傷つくことをわざと言う。

 痛みを喚起するために。


「当然だけど、あいつの前では言うな。傷つきやすくて、傷つくと調子が悪くなる」


「フェイに感情なんかない」


 中央ロビーでは一旦、二手に分かれた。


 エディナはどこでも一番近いゲートを通れるが、ロストはそうではない。

 正面の玄関は砂が入ってこない日には開けっ放しになっていて、背の高い木々の間を通っていくと外に出たという感覚がない。


 車寄せにはすでにエディナが社用車を用意して待っていた。

 遠巻きに彼女を眺めている社員たちを、彼らから見えないように指す。


「ファンに取り囲まれて動けなくなってると思った」


「今の私は広報アドバイザーのエディナ・ピスケス。みんなそのくらいわかってる」


「まあ、ヒーローの仮の姿には誰も気づかないのがマナーだもんな」


「置いて行く気だったでしょ」


 ロストは長年仕えた執事みたいに微笑み、お辞儀して彼女の耳元に口を寄せる。


「俺ってマナーを大切にするからさ、広報アドバイザーなんぞ連れてくわけねえだろ。小洒落たキャッチでも作ってろ、アホが」


 車に乗れと目線だけで指示するエディナは冷酷な看守みたいで、ロストはおとなしく社用車に収監される。

 外観は同じだが、内装は向かい合っている座席の一つが取り外されて車椅子のまま乗れるよう改装されていた。


 腰の位置をスライドさせて身を低くしたエディナがロストの後から入ってきて、ロストの足を容赦なく車輪で踏んだ。


「急いでるんでしょ? さっさとそこにパッド置いて。

この車のAIは旧式なの。名前言っただけじゃわからないのよ」


「なんだよ、型落ちかよ。イス・ウォーターって経営やばいの?」


「いちいち話しかけられるのが好きじゃない」


 エディナは気まずそうに横を向く。嘘だ。意外とわかりやすい性格だ。


 ロストが彼女の横にあるスタンドにパッドを置き、最後の通話相手であるムラサメの居場所を目的地に設定して車が動き出すと、少し安心したように肩の力を抜いた。


「それで、訊かせてもらえる?

カット・グラスの捜査に見込みがないなら、どうして私に賛同したのか」


「肝心な質問は車が動いて俺が逃げられなくなってからか。

スーツ着てるときも、そんくらい慎重なほうがいいかもな」


「そうすれば作戦中に人が死ぬのを避けられた?」


 薄く笑いながら窓に向かって言う彼女には会見のときの、見ているだけで心臓を握られるような激しい感情がない。

 近くで見ると肌も青白くて生命力がなく、目もぼんやりと薄暗い。


 ロストへの質問は、もう何度も自分に繰り返して、質問そのものに意味などないとわかっている。


「おいおい、それなら謝ったろ。もう殴られるのはゴメンだ」


「本当に殴ってやりたいのは自分よ。責任の一端は間違いなく私にある。

それを責められたみたいで頭にきた」


「あれ、俺、殴られなくてもよかった?」


「仲間の話は別。あんな言い方するなら何度でも期待に応える」


「わかってるじゃないか。あんたには俺みたいなクズにパンチ食らわせるのが期待されてる。マジでそんだけ。

なのにどうして、カット・グラスの捜査にやる気になった?」


「それ、私が訊いてるんだけど」


「あんたが俺の動機に興味なんかあるかよ。拳叩き付けるか言葉叩き付けるしかできねえくせに。

ほら、来いよ、何でも受けてやる」


 ロストが顎を上げて挑発すると、エディナはこめかみに指を当てて痛みに耐えるように目を閉じる。


 理由なんか話すなと、ロストは彼女の片手に収まりそうな小さな横顔に願う。

 ただ命令するだけでいい。それ以外の彼女を知ったら、誇りに思えなくなる。


 流れ星に願うみたいに一瞬だったけど、エディナはロストの視線に気づいて顔を傾ける。

 耳たぶの薄い尖った耳が髪の下から覗くと、心の声が彼女に聞こえてしまったような気がした。


「『モリグアイ』、私のスーツの名前だけど、これを運ぶ車にはAIを使わない。

ハッキングや電子妨害への対策で、必ず人が運転する」


「あんな派手に死んじまったら、多少の危険手当じゃ次が見つからんだろ。

でっけえカラスを運ぶだけの仕事ですって嘘こいて求人出せよ」


「逆よ。志願者が多くて困ってる。

レッド・ブランチだけじゃない、イス・ウォーターの警備部からも手が上がって、六十人くらいから選ばないといけない。

最後の一人を、私が」


「生け贄を選ぶ気分は?」


「別に」


 エディナは本当にそう思っているのだと証明するためにロストと目を合わせる。

 それがもう、気に病んでる証拠だ。


「ただ、よくわからないの。みんなが危険だとわかっていて志願する理由を読んでも、何だか作り事の物語みたいに感じる」


「あんたの物語の登場人物になりたくて志願してるんだ」


「私の物語……そうね、私は物語を作りたいのかも」


「何に納得してんのかさっぱりわからん」


「そんなのどうだっていいのよ。次はそっちの話。私を支持した理由を教えて」


 意外としつこい。あるいは不正の匂いを嗅ぎつけているのかもしれない。

 ヒーローセンスみたいなもので。

 カット・グラスの被害者が、ロストが倉庫で殺した少女だと、今ここで話したら彼女はどう思うだろう。


 ロストは肩をすくめ、両手を挙げて降参する。


「まあ、隠す理由もないし、いい機会だからちゃんと話すよ。

あんた、インタビューを受けないか?」


 インタビューが嫌いなのがはっきりと伝わるように顔をしかめ、目も合わせなくなった。


「誰の? 何の?」


 冗談ではなく言葉を叩き付けてくる。都合がいい。彼女にとって不機嫌になるような取引であるほどに、ロストの真意は見えなくなる。


「知り合いの……いや、面倒だ。ドギーっているだろ、あいつの娘だ。

学校の課題でインタビューを選択してね、あんたのを取れないかって頼まれた」


「なんで父親でなく、あなたが頼みに来るの?」


 多少、表情は和らいだが、まだ何か企んでいるのではないかと疑う目をしている。


「事情がある」


「どんな?」


「本人に訊けよ。あんたのファンだ、何でも喜んで答えてくれる」


「私が訊いてどうするのよ。その子のインタビューでしょうが」


「ガキの課題だ。適当でいいだろ」


「適当でいいなら父親のインタビューでも取りなさいよ」


「誰かと同じこと言ってんじゃねえ。ほんの三十分くらいだ。会見より楽だろ」


「一対一?」


 ロストが指を二本、立てるとエディナは風呂場に連れて行かれた猫みたいな顔をする。勝手に騙されたみたいな顔をして、勝手にあからさまな失望をぶつけてくる。


「サインにして」


「インタビューだっつってんだろ。嫌なの?」


「嫌っていうか、苦手なのよ。

変に緊張するし、同じようなことばかり訊いてくるし、かと思ったらイラッとする質問してくるし、私、面白いこと言えないし」


「今のあんたは結構、面白いぞ」


 エディナは素早く言い返そうとするが、言葉が出てこない悔しそうな沈黙にロストは満足する。

 インタビューが交換条件だと信じてもらえそうだ。

 それに、些細なことでも律儀に借りを返そうとするエディナの性格を知れたのも収穫だ。


 彼女が決心するのに必要な時間はロストが考えていたよりずっと長い。

 目的地が見えてくるくらい長い。


「わかった、受ける。受けるけど、いくつか条件がある」


「おい、ただのインタビューだぞ。写真、送ったので十分だろ」


「わかってる。条件っていうのはインタビューを受けるために必要なことよ。

もう着くから後で話す」

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