第18話

 写真を送ってしまってから、どうしてエディナが捜査に積極的なのかわからないが、今はそれを利用するしかないのだと自分に言い聞かせた。


 何か言おうとしていたエディナは写真を見て、口を最初の一音の形にしたまま侮辱されたとでもいうような悔しそうな視線をロストに向ける。


「イメージというならこれのほうが問題よ」


 円卓の中央に頭部が半分失われた、全身がガラスになった少女が表示される。

 報道ではまだ十代の少女としか公表されていない。

 路上をさまようオーファンの、発育不全の小柄で貧弱な体つきは頭部がないせいでより小さく、哀れだ。


「この子に背を向けて、ヒーローなんか名乗れない」


 エディナは断言して、会議室を支配した沈黙から罪悪感だけを汲みとる。

 彼女は少女の写真から目をそらさず、まるで現場に居合わせたかのように無力感が怒りに変わる過程の、感情が削り取られた無表情を貫く。


 感情的に反論を封じる女のヒステリーみたいなものだが、異論を挟めば冷酷な殺人鬼の支持者みたいに見えてしまう。

 とっさの演技にしてはたいしたものだ。


「発言をよろしいですか?」


 書架の通路で分析班の男が手を挙げた。


「今年に入ってすでにKIAが二件、訴訟は十六件です。

法務部の予測AIはこのまま活動を続けた場合の賠償額の増加を懸念しています。

今回のようなコールドな事案は訴訟を整理するインターバルとしても有用でしょう」


 なるほど、とロストは感心する。ああやればいいんだ。


 分析班の男の発言を文字にして読み返していると、室長の土砂を削るみたいな咳払いが聞こえた。


 顔を上げるとエディナを中心にして全員の目がロストに向けられている。

 写真をエディナに提供したのが悟られたかと思ったが、幹部たちの器用に傾けた眉が示しているのは時間を無駄にしていることへの警告だ。


「買い出し? 俺行くよ」


 室長がため息をついてしつけのできていない猿の責任を肩代わりする。


「今後の展望を聞かせろ。レディの調整をする上で、捜査についてどう思う?」


 ロストは一瞬だけ通路の男に目線を送り、彼の真似をして手を挙げる。


「えっと、発言をよろしいですか?」


「発言しろって言ってるのよ。

あと、あなたがバカなのは見ればわかるから、普段通りやりなさい」


 石でも投げつけるような勢いでエディナに言われ、ロストは直立していた姿勢をやめて左足に体重をかける。

 もう使わないからパッドを卓上に放り出し、右膝を軽く曲げて踵を蹴りながらいつものように話す。


「捜査しないってんなら簡単だ。外にケツ向けて誰かが突っ込むのを待ちゃいい。

捜査するとなると、こいつはたぶん入札になる。

グリモールやマルパスの連中まで手を挙げてるからな」


「金額は?」


「時期による。次の被害者が出てからだと跳ね上がるだろうな。

こういう捜査に慣れてねえレディが張り込むには高額だ」


「調整できないの? 仕事でしょ」


「二人目の被害者が出て盛り上がっちまったら無理だ。

なんで、ここは第一捜査権をさっさと手放そう」


「もういい、お前は出て行け」


 室長が話にならないというふうに首を振って入口のドアを指すが、ロストは無視して喋り続ける。


「話は最後まで聞けって、カミさんにもいつも言われてんだろ? いるかどうか知らないけどさ。

どうせ入札になるなら、うちが第一捜査権を主張したって時間の浪費だ。すぐに手放して入札参加の締め切りを早める。

でも捜査権はあくまでカット・グラス、そのガラス像作ったやつのだ。死体遺棄が同一人物かわからんから、そっちは捜査を進める。

入札までにできるだけ調べ、その結果を並べて入札を取りにいくかを決めればいい。時間は厳しいが、今はこれしか思いつかねえ」


 幹部たちがうなずきあったり、目と鼻の動きだけで意志を疎通したりしている間にパッドを回収し、ドアの前に立つ。

 普段通りに喋ると余計なこともたくさん言うので早く逃げたいが、触っても叩いても何も起こらず、足下の青いラインも出てこない。


「ロスト」


 名前を呼んだと言うより、足下に落ちている紙くずに書いてあった文字を読んだという言い方だったが、それでもエディナがロストの名前を呼んだのは初めてだ。


「ロストとしか登録されてないけど、本名は?」


「そいつはもう死んでる。

それより早く開けてくれよ。今日中に行きたいとこがあるんだ」


 ドアが消えるみたいに静かにスライドし、青いラインも浮かんできて、何だか命綱みたいで安心する。

 もう二度と来ないという心の中の呟きが聞こえたみたいに室長が命令してくる。


「今後、カット・グラスの会議にはゲシではなくお前が来い。

次からは言葉遣いを何とかしろ」


 返事はしない。ロストの非常識な態度に室長が考えを改めるのを祈るばかりだ。

 会議室を出る前に他の誰かに呼び止められた気がしたが、ロストにはもう言うことはない。むしろ喋りすぎだ。


 分析班ならともかく、調整班であるロストたちにとってカット・グラスの捜査に積極的になる理由がない。


 レディに向かない事件なのは明らかで、難しい調整になる。

 それなのに結果的にエディナを支持した。

 写真を直接送ったことで彼女にはロストにカット・グラスの捜査をする理由があると知られている。


 被害者の少女が、倉庫でロストの殺した少女だと、エディナが知っていてはいけない。決してだ。


「待ちなさい」


 呼び止めているのはエディナの声だ。

 今、写真を送った理由を問いただされるのは避けたい。

 彼女の目を見て熱くなった頭では、まだ適当な嘘が思いつかない。


「待って」


 エレベーターのドアが開ききる前に身体を滑り込ませる。

 追いかけてくるエディナの顔を見ないようにうつむいて、壁に設置された黒いパネルを拳の底で叩き続ける。


「待てっつってんのよ。そのエレベーター、止まれ」


 アホか、と呟きそうになったが、エレベーター内の照明が消え、パネルも真っ暗になってドアも半分閉まったところで動かなくなった。

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