第17話
調整班の人間が上階で行われる会議に呼ばれる機会は少ない。
仕事の性質上、上層部は知らないほうがいいこともある。
ドギーの話によれば調整班はレディの活動について簡単に意見を求められるだけらしいが、上階の大理石みたいな石床の冷たい空気のフロアに入ると緊張する。
古い城のような雰囲気でも明かりは蝋燭や松明というわけにはいかず、小さなLEDライトを壁や天井に目立たないように配置している。
薄暗い。ロストが進むべき方向は床に青い光のラインが走って教えてくれるが、いっそのこと動く鎧とか女の幽霊にでも案内させればいいと思う。
ラインに導かれた先には上部がアーチ状のドアのない入口があり、すでに始まっている会議の声が聞こえてくる。
なんと言って入ればいいのかわからず、黙って踏みいるとロストの背後で壁と同じ模様のドアがスライドして閉まった。
会議室は天井まである本棚に囲まれ、巨大な壁暖炉まで備えた部屋だ。
中央に置かれた円卓には八人が座り、もちろんロストの席はない。
本棚の足場は二階の高さまで上げられ、以前に見た分析班の男が立っていた。
ロストが入ってきても話は途切れず、誰も目も向けない。扱いが空気と同じだ。
人をいたたまれない気持ちにする才能がなければ経営なんてできないのだろう。
「ゲシはどうした?」
ようやく声をかけたのは大きく突き出した鼻と逆立った短い髪が特徴の厳めしい表情をした五十代の男で、ロストたちの直接の上司に当たる。
レッド・ブランチ渉外担当室長のガヴィダ。この中ではレディの一番の信奉者だ。
「レッド・ブランチの本部に行ってる……あー、行ってます」
失笑くらいあるといいのだが、全員が奇妙な紋章の指輪をはめた秘密結社気取りのイス・ウォーター幹部たちはにこりともしない。
男ばかりで半数以上がアイルランド系。
入り口の側に立っているロストの正面にエディナの席があるが、彼女はロストがいることに気づいているのかさえ怪しい。
気怠そうに頬杖をついてパッドを見下ろしている顔は見るからに退屈そうだ。
「本当にカット・グラスか?」
エディナの隣に座った細い眼鏡をかけた幹部が単刀直入に訊いてくる。
それだけ答えたらもう帰れという言い方だ。
「ドギー……じゃなかった、ゲシの見解では完成度の低い模倣犯です。
ただ、本物のカット・グラスだと信じたい連中が多くて、騒ぐ口実にはなるかと」
「本物でないならいい。放っておこう。
話題性だけでつまらん偽物に関わってもメリットはない」
円卓に座った男たちが軽く手を挙げて賛同の意を示し、腕を組んで座っている室長とエディナだけが目を閉じて拒否している。
他に何か訊かれるのかと思って待っていると、ロストの横でドアが開き、足下に青いラインが浮かぶ。
楽なもんだ、とロストは笑いそうになるのを堪える。
「待って」
黙って出て行こうとしたのにエディナに呼び止められ、舌打ちするのも必死に堪えた。自制心の訓練場だ。
「彼の意見も訊きたい。分析班だけの意見だと想定外の範囲が広くなる」
エディナが分析班と言ったときに親指で指した二階の男は控えめに肩をすくめ、ロストと目が合うと何らかの感情が共有できている前提の微笑を浮かべる。
気持ち悪いだけで何も伝わらない。
「今回の件を本物のカット・グラスだとしたいのは、何もその生存を信じている輩だけではない。
他のCVもカット・グラスの過去の犯行が多くの地域で発生しているとして、捜査権を主張し始めた。おかげでまだ捜査本部も設置できん」
室長がいつもの怒っているような口調で言っている間に、カット・グラスの犯行地域をまとめた地図を全員のパッドに送る。
「みなさん、話題性だけで乗っかってきた、と。
そのわりには結構なビッグネームもありますね」
「中にはスーパー・アナライズもいる」
「確かにアホライズ向きの事件です。
メディアもネットも、きっとあれが解決するのを期待してるでしょう」
エディナがくだらなそうに笑うと、同調するように笑う幹部もいる。
隣に座った眼鏡の幹部は冷徹な、嫌悪すら感じる視線でエディナを一瞥した。
「調整班も我々と同意見だな。スーパー・アナライズなら問題なく解決できる。
それに捜査協力するほうが無駄がない」
「レディ・クホリンが解決に乗り出すのは無駄だと?」
エディナは眼鏡の男ではなくロストを睨んでいる。
どうやら彼女の期待した役割を果たせていないらしい。
ロストは会議に初めて出席して緊張した要領の悪い男が、目的の資料を探してパッドをいじくりまわしているふりをしながら考えを巡らせる。
スーパー・アナライズはもちろん、他のCVの関与は避けたい。
被害者の少女と翌日にレディが制圧した『運送屋』の下部組織との関連を知られる可能性がある。
調整の事実はどこのCVヒーローも似たようなものだが、ライブで制圧を行うレディ・クホリンにとって調整の証拠が出てくるのはダメージが大きい。
「無駄とは言っていません」
使われていない暖炉の側で、暑くもないのに汗をかいている幹部の一人が眼鏡の幹部の代わりに言い訳する。
「ただ、レディ・クホリン向きではないという話です。
こうした異常犯罪の捜査は経験がないでしょう」
その発言にというより、ロストがうなずいたことに顔をしかめて室長がパッドをテーブルに叩きつける。
「捜査はレッド・ブランチで行う。すでに人選も始めている。
レディには指揮を執ってもらうが、前面に出てくるのは捜査の最終段階だけでいい」
「そんなのでいいの?」
室長の低く唸るような声での威圧より、エディナが怪訝そうに眉をひそめてこめかみに指を当てる仕草のほうが会議室の空気を緊張させる。
彼女の指先に幹部たちの視線が吸い寄せられ、互いの目配せへと散っていく。
彼女の不満は無視されない。無視させない。
「大半のディテクティブ・ヒーローはそうだ。
出てきたときには事件はほぼ解決している。そういう動画を見たことないか?」
「猫の動画しか見ない」
エディナのジョークにはみんなが笑う。真顔なのはロストとエディナだけだ。
同調と嘲笑。
ない交ぜになった笑いの質を確かめるために幹部たちの顔に目を走らせる途中でエディナと視線が交錯する。
切り裂く喉元を選別するかのような目は、とてもジョークにはできない。
間近で見る彼女の怒りは冷たくて、喉の奥に氷が詰められたみたいに唾を飲み込むのに苦労する。
エディナの立場も盤石ではない。
居並ぶ幹部たちにとってはレディ・クホリンでさえ替えが利く。
緑の妖精や被害者の少女の移動などはまだ報告しないほうがいい。
この雰囲気では無視されるか、調整班ごとなかったことにされる。
「解決までの時間が長引けばレディに非難が集中する。
さらに、後から偽物だとわかれば二重の信頼の失墜だ。
リスクが大きい。それに見合うメリットは?」
眼鏡の幹部はレディに否定的だが、常に正論の域を出ないように発言を調整してくる。徐々に、エディナがただ自尊心を満たしたいだけのように演出されている。
「他のCVに捜査権を認めれば、本物でなくても騒ぎは大きくなるでしょう。
その上で捜査をしなければ、レディは逃げたと揶揄される」
「むしろ賢明な判断だ」
「こういった地道な捜査は定着したイメージに合わない、突然の方向転換で違和感を与えてしまうだけでは?」
「最近の実際の捜査を脚色するような動画人気に迎合していると取られかねない。
迎合はあなたにとって汚名と同じだ」
結論に近づきつつある。
捜査に消極的な意見が目立つようになり、室長さえもエディナと目を合わせなくなった。
一人、また一人と短い言葉で反対を表明し、孤立していくほどに、彼女の石のように固い無表情の中で目だけが熱を帯びる。
暖炉の火だ。
エディナに向けたロストの顔が火に向けられているみたいに熱くなる。
自身の顔の火照りに気づいたとき、ロストは資料の中から現場で撮影した写真を指で弾き、エディナのパッドにだけ送っていた。
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