第15話

「くわしく調べないとわからんが、そう見えるな。明日は大騒ぎになるぞ」


 ロストは力が緩んだドギーの腕を首から引きはがすついでに腹に一発、拳を叩き込んでおいた。

 八つ当たりだ。ドギーは表情一つ変えなくてつまらないけど。


「まあこんなのが出れば騒ぎにはなるだろうが、どうせオーファンの子供だろ。

身元だってわかりゃしねえ」


「ああ、いや、お前は記憶がないんだったな。

以前、似たような事件があったんだよ。

当時はまだCVの制度も明確でなくてな、捜査が迷走して犠牲者が増えた」


「解決しなかったのか?」


「したよ。犯人は射殺されて、そいつを職務の限界を越えて追った警備会社の職員の行動が、その後のCV設立に繋がっていった。

最初のCVヒーローさ。『ユーディス』って映画、観たことないか?」


「猫の動画しか観ねえ」


「犬もいいぞ」


 ドギーが残念そうに笑う。


「ただな、犯人が死んで、不審な点が多く残されたことで、真犯人は別にいると憶測が飛び交った。あれだよ、切り裂きジャックだ」


「何だ、そのダセェひげ剃りみてえなの」


「名前だ、殺人鬼の呼び名」


「こいつは?」


 ロストとドギーは並んで少女のガラス像に目を向ける。

 もう目があったりしないのはいい。


『カット・グラス』


 ドギーはどこか懐かしそうに言った。昔、憧れていた女の子の名前みたいに。


「被害者を殺してからガラスにして、一部分を持ち去る。この子の場合は頭だな」


「もとからなかったろ」


「つまりこいつは何も持ち去っていない。

見たところ内臓まではガラス化していないし、不出来な模倣犯だな」


 連絡してきたときの取り乱しようは何だったのかと思うくらい今のドギーは冷静で、ただのガラスの置物を見るみたいに少女を観察している。


 鈍くて目端が利かなくて、考えをまとめるのに時間がかかる。

 でも、方向は間違えない。羅針盤のない時代の船乗りみたいだ。


「刑事ごっこしてる場合かよ。今すぐ処分しちまったほうがよくないか?」


 ドギーは頭の回転と同じくらいゆっくりと首を振った。


「この子を倉庫から持ち出したやつが俺たちのことを知っているとは限らない。

意図が明らかでないのなら、この子を知らないものとして行動すべきだ」


「俺たちが倉庫を出てから、カバーが入るまでの間だぞ?

どっかで見てたに決まってんだろ」


「そうだとすれば今も見ている。それでも今すぐ処分するか?」


 ロストは自分の案を撤回する代わりに舌打ちし、ガラス像に背を向ける。

 救急車両の黄色い回転灯はすでに消えているが、強烈なヘッドライトが眩しい。

 光の外へ出て、軽く周囲を見回してみても肉眼で見える距離に何かあるはずもなく、暗視調整の調子も相変わらず悪い。


 灰色の雨に塗り込められたような街の風景に、曲がりくねった道路が腐った血管みたいに溶け込んでいく。


 面倒だ。


 独り言は堪えるが、唇は動く。住宅街ごと全部燃やしてなかったことにしたい。


「通常の死体遺棄として扱うそうだ」


 ドギーが本部の決定を伝えると同時に、ライフ・ラインの二人も車に乗り込む。

 挨拶もなしに去っていく救急車両の後部に描かれた、鼻の大きい、直立したトナカイが白衣を着たイメージ・キャラクターに向かって中指を立てておく。


「そういうの、ケイトの前ではほんとにやめろよ」


 心配そうに言うドギーには両手で。

 ドギーのため息は冷たい風みたいに頭と喉をすっきりさせてくれる。


「すぐ鑑識が来るから、それまでここで現場の確保。

それで俺たちの仕事は終わりだ。夜中に悪かったな」


「仕事の始まりだろ。著作権侵害のガラスフェチに風船届けねえと」


 ドギーは一点を見つめて考える。

 街の小さな明かりとか、星とか、ガラスになって透明感の増した少女の指先とか。


「この子が倉庫にいたことが判明するのには時間がかかる。

その前に証拠をさらってしまおう。

少なくともレッド・ブランチ内では俺たちは倉庫にいなかったことにしておきたい」


「そういうのはムラサメにやらせろ」


「あいつは今、緑の妖精に夢中だ。ちょうどいいからあっちは任せよう」


「そういや、リムを使ってたやつはどうだった? 妖精のおとぎ話は聞けたか?」


「あれは妖精のおとぎ話じゃなく、登場人物だな。

直近、数週間分の記憶がなくなっていた。

嘘を言っていないか検査するそうだが、まあ言ってないな」


「記憶落っことすアホなら毎日見てるもんな」


「お前ほどひどくはないさ。自分が誰かはわかっているようだった」


「そいつは残念。空き缶みたいに空っぽなら雇ってやれたのに」


 ドギーの笑い方は朗らかで、卑屈で隠れるような後ろめたさが混じらない。

 きっと何か思い出していて、そこでのドギーの笑い方だ。


「刑事のころが懐かしいか?」


「懐かしいが、戻りたくはないな。

ちゃんと事件を解決したことなんてほとんどないんだ。

金をくれる連中のために証拠をいじりまわすだけだったよ」


「今だって同じだ」


「レディのためだ。ぜんぜん違うさ」


 遠くの道路を流れてくる、霧の中に浮かぶみたいにぼんやりした赤色灯と同じくらい曖昧にロストはうなずく。

 レディの何がそんなに特別なのか、いつも疑問に思う。

 常に怒りの衝動に突き動かされる、肉体にも精神にも欠損のある女だ。


 でも、ドギーもムラサメもケイトも、暗くて寒い場所で火を眺めるみたいにレディを見ている。

 その目の奥に、記憶を失ったロストだけが知らない秘密が隠されているような気がして目が合わせられない。


 ドギーが近づいてくる赤色灯に向かって手を振ると、ロストも無意識に一緒に手を振りながら低い声で囁く。


「カット・グラスと緑の妖精。関係あると思うか?」


「現状ではまだ別々に考えよう。

というより、カット・グラスのほうは俺たちが捜査に加われるような事件じゃない。

もちろん、単なる偶然と思うのは危険だ。いつも通り情報を集めよう」


「偶然じゃなかったら?」


 ドギーは振っていた手を下ろし、心配するなというふうにタフな笑顔を作る。


「ヒーローの出番だ」


 秘密の一端を垣間見た気分だ。

 ドギーの目を見ないように顔を背け、火を崇めよと、ロストは白い夜空に無信仰の冷めた吐息を吹き上げた。

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