第14話
ドギーからの連絡があったのは深夜で、だいぶ焦った感じで電話では話せないと繰り返すばかりだった。
すぐに行くとロストが言うと、それ以上何も言わずに電話が切れた。
また幻覚でも見たのか。
上着を着てドギーが送ってきた所在地を確認すると、ドギーの現在地はロストのアパートがあるのと同じ第三階層で、レッド・ブランチの管轄区の住宅街だ。
斜面から離れた平らな土地で、イス・ウォーターの社員も多く暮らす。
家族の住居もあるから、それでドギーは焦っていたのかもしれない。
深夜にシティを走っている自動運転車の大半は監視が目的だ。
事態が把握できないうちは近づきたくない。
記録を操作できるイス・ウォーターの社用車を来させるのに少し時間がかかるが、車両AIは無用な会話をしないし、指示も簡潔ですむ。
すむのだが、ドギーの本名がすぐに頭に浮かばない。
「ゲシのとこへ行ってくれ」
変な名前でいつも思い出すのに苦労する。
発音も難しくてちゃんと言えているのか怪しいが、AIはすぐに認識してくれた。ニュースを開いてもらうが、何か大きな事件が起こったという報道はない。
目的地に着く前に腹の上から肝臓のある辺りを拳で殴り、肝臓に移植された培養寄生虫を活性化させる。
技術班はそんなことをしても意味はないと呆れていたが、効果があるのはドギーで実証済みだ。
後で少し吐き気がするものの、アルコールや薬物の分解が格段に早まる。
海外トピックスを突き抜けて、救急車両の黄色いランプが車内を照らす。
速度上限が上がる深夜は到着が早い。
ドギーがロストを呼ぶからには事故ではないはずだが、それなのにレッド・ブランチの赤色灯が見えないのは不自然だ。
車を降りると周辺は住宅街を囲む環状道路と外側の道路を繋ぐ連結路の側で、車以外が通ることはほとんどないためか街灯が少ない。
街路樹の向こうには並んだ住宅の平らな屋根が暗い湖のように広がっている。
救急車両のヘッドライトが照らす中には灌木の前でしゃがみ込んでいるドギーと、少し離れて話し合っている青いジャンパーを着た救急隊員たち。
レッド・ブランチと提携している医療サービス会社『ライフ・ライン』だ。
隊員はみんな一様に小柄で目つきの鋭い東洋人で、紛争地域からでも契約者を回収して運ぶ彼らが立ち止まっているのなら要救助者はいない。
それでも現場に留まっているのは現場では判断しきれない状況を報告し、指示を待っているからだろう。
厄介。
ロストを運んだ社用車の音でドギーが振り向き、ロストを手招きする。
前とは違う背広なのだが、やっぱり焦げ茶色だ。
「所轄の連中は寝てんのか? ストだってんなら俺は喜んで働くぜ。
区議会抱き込んだ本社の連中に勝てっこねえもんな」
「来たけど、俺が帰らせた」
ロストは顎でライフ・ラインの二人を指す。
「あいつらは?」
「俺に帰らせる権限はない。
互いの本部が情報の出し方を決めるまで、みんなここで足止めだ」
「暇で呼んだっつったら、あいつらに運ばせるぞ」
「まずは見てくれ」
ドギーが灌木を腕で押さえると、二つの茂みの間に隠れて子供くらいの大きさのガラス像が置いてあった。
低い椅子に腰掛けるような姿勢で揃えた両足は太ももとふくらはぎの部分でガラスが溶けてくっついている。
腕は胸の前で交差し、透けた肋骨が白っぽいひだを作り、へこんだ腹の奥の内臓をスカートみたいに包む。
顔は鼻から上が失われ、後頭部が外側に向かって開いていた。
ロストが最後に見たときと同じ姿勢だ。
後頭部に銃弾を撃ち込んだ、そのときのまま。
ロストが殺した、オーファンの少女だ。
触れようと伸ばした手をドギーが掴んで制止した。
手首を掴まれて栓がされたみたいに血が上って、こめかみで血管が脈打つ。
「なんでここにいる?」
「誰かが移動させた以外には考えられん」
ドギーの落ち着いた声が耳の内側を引っ掻くみたいな音になって不快だ。
彼がロストを呼んだ理由がわかった。
隣でパニックになっているやつがいれば、自分は落ち着いていられる。
「カバー担当のやつらに確認しなきゃならんな」
「そうじゃねえだろ、どうしてこいつだ? 何の意味があるってんだ」
人差し指を口の前に立て、声が大きいと注意するドギーの仕草が鬱陶しくて余計に頭が混乱する。
ロストの声に反応してライフ・ラインの二人が顔を覚えようとしているかのように見つめてくるのもいらつく。
ロストたちと目があってもまっすぐ見つめ返してくる二人とも、双子のようにそっくりで見分けがつかない。
「何見てんだ、キツネみてえなツラしやがって。
知ってるか? キツネって人のクソ食うんだ、俺のクソ食いてえのか。
ここにてめえらの仕事なんかねえよ、とっとと失せろ」
ロストが怒鳴ると微かに眉をひそめる二人の表情はちゃんとした人間のものだ。
哀れみ。
見下されて、ロストは幼稚な怒りに自分を任せる。
制御できない感情に支配されて皮膚の下で跳ねる筋肉の感覚が好きだ。
自分が自分でないような気がして。
前傾して二人に近づこうとするロストの首に腕を回し、締め上げながらドギーがライフ・ラインの二人に手を振った。
「こいつ、酔ってるんだ。気にしないでくれ。な、ロスト、落ち着くんだ」
中途半端に愛想笑いを浮かべるドギーの脇腹に肘を何度も打ち込むが、分厚い筋肉と脂肪に阻まれて内臓まで刺さらない。
ライフ・ラインの二人は愛想笑いを返し、救急車両の裏側に移動した。
二人が視界から消えるとロストは暴れるのをやめて長く息を吐く。
まるで彼らを遠ざける芝居だったみたいに怒りも一緒に消える。
怒りも何もかも、長持ちしない。そんなだから記憶をなくす。
「もういい、怒鳴ったら落ち着いた。あいつら殴ったらもっと落ち着くけどな。
それよりそいつの身体、ガラスになってんのか?」
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