第13話

 今日、初めて顔を全部ロストに向けたケイトが疑り深そうに確認する。

 ちょっとでも嘘の気配を嗅ぎつけられたらウイスキーは二度と出てこない。


「ああいう派手な仕事につきものの裏方だよ。いろいろと面倒な手続きが多い」


「手続き……ロストが……」


 ケイトは顎に指を当て、それがどのくらい重要な仕事か推し量ろうとしている。


「字、読めるの?」


「まったく驚きだよな」


 ケイトがため息をついて髪をなでつける。

 言語化すると、頼りないけど仕方ない。


「あのね私、今期の課題でインタビューを選んだの」


「無理だ。ドギーのインタビューでも取れよ。課題なんてそんなもんだろ」


「ちょっと聞いてみるくらい、いいでしょ、お願い」


 両手を合わせて距離を詰めてくるケイトに食べ残しの非常食を投げつける。


「宇宙人みたいなもんだ。向こうから接触してこない限りは何もできねえ」


「そんなことないよ。

レディはすごく優しいから、ロストの話だってちゃんと聞いてくれるよ」


「同僚が死んで誇りに思えとか言ってるやつだぞ。

俺が死んだら声くらいかけてくれるかもな」


「ヒーローだもん。強くなくちゃいけないからだよ。

レディだって心の中では泣いてるんだよ?」


 会ったこともないエディナの気持ちにどうしてそこまで寄り添えるのかわからないが、とにかくケイトは真剣だ。

 無言の圧力と暴力に晒されているロストには不思議で仕方ないが、レディの熱心な支持者には若年層の女性が多い。


「それならドギーに頼め。あいつは俺たちの中では一番レディと話してる」


 意外そうにケイトは顔を上げる。

 道が開けたみたいに合わせた両手を広げていたが、すぐに思い直して手が閉じた。


「いや、お父さんはダメ。頼めない」


「何でだ? お前の頼みなら喜んで聞くぞ」


 ケイトは腕を組み、部屋の中に誰か隠れているみたいに見回す。

 思いもかけず核心に触れてしまったとロストは後悔する。このままだと十代の少女の秘密を打ち明けられてしまう。


「言いたくないならいいんだ。今日は疲れてるからもう寝るわ。

お前、ソファで寝ろ。大丈夫、掃除したから綺麗だ」


 ケイトは聞いていない。

 今や腰の後ろで手を組み、迷いを振り払うように上半身を左右に揺らしている。


「実はさ、今回の課題って一人でやるんじゃないんだ」


「そっか、がんばれ」


「がんばってるよお」


 髪に手を入れてかき回して、変な笑い方をするケイトをドギーが見たら相手の男を殺しに行くだろう。


「それでね、お父さんがレディの手伝いをしてるって言ったら、インタビュー取れないかって話になって。彼、報道に興味があるの」


 何も聞こえていないし、見えていないようなのに、ロストが黙ってベッドに向かうとその男の魅力を喋りながらついてくる。

 夢を見ている少女の謳うような口調はロストの眠気を誘い、知らない間にシーツが交換されているベッドに倒れ込んだ。


「お父さんもおじいちゃんもジャーナリストなの。

そのことに誇りがあって、すごい一所懸命、勉強してるの。

そんなの見てたら手伝ってあげたくなるでしょ」


「世の中で一番、鬱陶しい連中だ。

モラルも根性もないインテリぶったバカがやる仕事だな。

そいつはやめとけ、家系的にクズだ」


 ケイトは飼い猫みたいにロストの背中に乗って、黙って首を絞める。

 半透明の皮膚は無機質で冷たそうだけど、ケイトの手は温かくて首筋や肩の筋肉がほぐれる。

 そいつはオーファンなのかと訊こうとした言葉も喉の奥で解けて消えた。


 いつもは鬱陶しいケイトの声や体温が今日は心地よくて、無邪気な喜びと痛いくらいの不安が体温と一緒に染みこんでくる。

 なぜだか彼女を傷つけたくないと思う。


「私だってほんとにできるとは思ってないよ。

でも、聞いてみるくらいできるんじゃないかなって思って、よく考えもせずにそう言っちゃったの。やっぱバカだったかなあ、私」


「バカだな」


「あう」


 ケイトがベッドの上で膝を抱えるとロストは身体を起こし、彼女の頭をつかんで膝に強く押しつけた。

 白くて光沢のある髪は絹糸みたいな手触りで、手と後頭部との間に何もないみたいに少し出っ張りのある形を手のひらに感じた。


「聞いてみてやるよ」


 勢いよく立ち上がってロストの手をはねのけ、ケイトはベッドの上で跳ねる。


「ホントに?」


「寝ぼけてよく考えもせずに言ってるだけだ。あんま期待すんな」


「しない、しない、ぜんぜんしない」


 嬉しそうに飛び跳ねながら、気持ちと正反対のことを言ってケイトはロストの首に抱きつく。

 ケイトの額は汗ばんで、肩まで真っ赤になっている。少し強く掴んだだけで薄紫の花のように指の形が浮き上がる肌。

 頭の中から、その肌を追い出せない。


「シーバス出してくれよ、まだちょっとしか飲んでないんだ」


 楽しい気分に水を差されて不満げに唸りながら、ケイトは身体を離した。


「寝酒ってよくないんだよ。寝付きはいいけど、睡眠の質は悪くなるの」


「何でどいつも俺に説教すんだ。いいから出せよ、こっちは頼みを聞いたろ」


 はいはい、と返事をするとケイトは台所へ行って一番高い棚を背伸びして開く。

 瓶は痛み止めの入った缶の横に隠してあって、ケイトの手が棚の中にまで届くのを見て胃の辺りが冷たくなった。


 ついこの間まで手が届かなかったはずなのに、どんどん大きくなっている。

 ロストは部屋にある銃やナイフ、ガンオイルと弾薬の置いてある場所を頭の中で整理する。

 一度、考え直したほうがいいだろう。


 ケイトは一番小さなグラスと一緒に瓶をガラスのテーブルに置いた。


「せっかく綺麗にしたんだから、こっちで飲んでよね」


 聞こえるように舌打ちしてもケイトは涼しい顔でテーブルを指で叩くだけだ。

 父親譲りの犬のしつけ。


 眠りかけの重い頭を肩で支え、ロストがふらつきながらソファまでたどり着くと、入れ替わりにケイトがベッドに入る。

 とりあえずウイスキーを注いでいると、ケイトが脱いだ服を間仕切りに引っかける小鳥が羽ばたくような音が聞こえてきた。


「ロストはソファで寝て。大丈夫、掃除したから」


 ロストはグラスの酒を飲み、喉が焼かれて新しく張り替えられるようなすっきりした感触にうなずく。

 味なんかどうでもいい、身体の中が洗浄されているような感覚が好きなだけだ。


「一緒に寝る?」


 ロストが黙っているのを心配してか、間仕切りの横からケイトが顔だけ出した。


「なんか夜中にときどき光って面白いらしいよ、私」


「何だそれ? 気味わりい」


 ケイトは舌を出して顔を引っ込め、自分のパッドに取り込んだ会見の映像の続きを見始めた。

 ロストは壁に映っていたエディナを消してソファに寝転ぶ。


 リムの男に会いに行ったドギーから連絡があるかもしれない。

 テーブルに置いてあるピラミッド型の音声通話キューブの音声をイヤーピースに直接送るように設定しておく。


 グラスを床に転がし、瓶を手に取ったのがどうしてわかるのか、ケイトがわざとらしい咳払いで注意した。

 無視して酒を限界まで喉に流し込む。


 砂漠に水をまいたみたいに、染みも残さず消えていく。


 ひどい乾きで心臓が干からびそうだ。

 今日は、たぶん今日だけはケイトの側で笑えない。

 オーファンの少女の側で笑えない。


「ロストさ、今日は優しいね」


「そうか?」


「いつもみたいに帰れって言わない」


「帰れ」


「今さら? ね、何かあったの? 疲れてるっていうより死にそうだよ」


「死にそうな人間、見たことあんのか?

寝てられねえくらい臭えぞ、あいつらは」


「酒くさ」


「生きてる匂いだ」


 喉を鳴らして水みたいにウイスキーを飲み、胸の前で瓶を抱えた。


 パッドを触るケイトの爪が画面を叩く小さな音がすぐ耳元で聞こえ、目を閉じると頭の中に入ってくる。

 こつこつと床を鳴らすのはロストの靴。前に見えるのは鉄のドア。


 シティではありえないくらい冷たいドアに触れると勝手に開き、階段に服を着ていないケイトが座っている。

 彼女の目はロストの顔を初めて見るみたいに無表情で、きっと忘れてしまったんだとロストは寂しくなる。


 でも逆よりはいい。忘れるより、忘れられるほうがいい。


 強い日差しで内臓を傷めないように、ケイトの身体を上着で覆う。

 代わりに上着を脱いだロストの背中が日光で炙られ、鋭い爪に引っかかれるように痛い。


 でも逆よりはいい。彼女が痛みで苦しむより、自分が苦しむほうがいい。


 ケイトの手を取って太陽の下に連れ出すと、白い髪を通った光が赤い色をわずかに残す。

 砂の混じった初夏の風が彼女の髪を吹き上げると、髪に血管が通っているみたいに赤毛へと変わっていく。


 エディナみたいだと言うと、ケイトはロストを見上げていつもみたいに、記憶にあるとおり、嬉しそうに笑った。

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