第12話

 カジノ街から第三階層に降りるシャフトに乗っている途中、ドギーにもらった名刺入れがレディの会見映像を取り込んだ。

 彼女の顔を見ると忘れかけていた顎の痛みが蘇る。


 今日は光の当たり具合で赤くなる自然な風合いの赤毛だ。

 苦痛に耐え忍ぶ厳しい表情をした彼女はその心情を、目が離せなくなるような悲しみを無言で伝えている。

 記憶の中に形ではなく、鮮烈な色となって現れる女だ。


 作戦中に殉職者が出たことについての質問に対し、答えようとする弁護士を遮って発言している。

 そういのはやめろと何度も注意されているだろうに。


「今後、このようなことが二度とないよう、より迅速に一方的に制圧します」


 彼女の手法が暴力的すぎるという批判を完全に無視するメッセージだ。

 たぶんまた訴えられる。

 憂鬱なのにシャフトの窓に映る自分の顔は微笑んでいて、まるで恋人の写真でも眺めているみたいだ。気持ち悪い。


「犠牲のない平和などない。彼の死を悲しまず、誇りに思って欲しい」


 最後のフレーズは前と同じ。

 本気でそう思ってるならお前が死ね。


 影が広がり、夜が始まる時間帯、第二階層から下に向かうシャフトはほとんど利用者がいない。

 レールに沿って滑り降りるガラス張りのエレベーターには日光治療を受けに行った老人たちのグループが乗っているくらいだ。


 老人たちは最初、一瞬だけロストを見たが、気にした様子もなく話し続けた。

 人だと思ったら虫だったというふうに。


 現在、シティで見かける老人のほとんどは尊厳死か老化遅延の施術を求めて移住してきた人々だ。

 自国ですら消え去ろうとしている伝統や文化を、木を植えるようにシティに植え付けてコミュニティと地域文化を生み出す。

 まるで接ぎ木だ。


 ロストは会見の映像から目を上げ、採掘の坑道を利用して作られたシャフトの塞がれていない横穴に、ときどき見える小さな赤い光を眺める。


 エディナの言う犠牲にはどこまで含まれるのだろう。

 彼女の言う仲間、銃を手にした少年、砕かれた無数の骨、ロストが殺したオーファンの少女。

 エディナのやせ衰えた足、ロストの記憶。


 失われたもののどこまで?


「お前は何もわかっちゃいない」


 ガラスの向こうのロストが手を伸ばし、赤い光を遮る。

 犠牲を必要とするなら、それは平和などではない。


 延々とループする呪文のような老人たちの会話が途切れ、ロストに視線が集まる。ムラサメの言うとおりだ。独り言をやめないといつか捕まる。

 停止したエレベーターから逃げるように降りて、エディナの声もそれ以上聞きたくなくて、名刺入れはポケットに突っ込む。


 シャフトを降りてから家までの距離は短く、ため込んだ期限切れの保存食のどれを食べてみようかと考えている内にドアの前に辿り着く。


 顎を殴られて脳震盪でも起こしただろうか。

 鍵が開いているのに無警戒に入ってしまった。

 待ち伏せされていたら殴り倒されるか撃たれている。


「今後、このようなことが二度とないよう、より迅速に……」


 聞きたくなくて、ポケットにしまい込んだはずの声に出迎えられた。

 壁一面にエディナの顔が映っていて、一人の少女が床に座って食事をしながら見入っている。


 肌を見せたくないから外ではいつも長袖のカーディガンを着ているが、今はそれを脱いでキャミソールに短めのジーンズ姿で、床にあぐらをかいて座っている。

 暗くして映像を見ているから半透明の皮膚の下で顔の筋肉が青い筋になって、後ろに流した長い髪の付け根を内側から光らせている。


 父親によく似た丸っこい目が一瞬だけロストを見て、映像に戻った。

 あいさつはなし。機嫌は良くない。会う女はみんな機嫌が良くない日だ。


 琥珀色のスープに縮れたパスタを浸した謎の麺料理を食べていて、油っぽいスープが唇を艶っぽくし、膨らみのある頬と小さな顎に奇妙な立体感を与えていた。


 ロストが一瞬たじろぐほどの音をたてて少女は麺を口の中に吸い込む。

 少し前歯は大きいが、歯並びのいい口の中で噛みつぶされる麺を見ないようにして、ロストは部屋の明かりを点けた。


「なんだ、またママとケンカしたか?」


「ん、お母さんとというか、お母さんの連れてきた人とっていうか」


 麺を飲み込んでから言う少女に適当に相づちをうち、ロストは台所の隅に積まれた保存食から適当に見繕う。


「なあ、ケイト、お前くらいの年頃の女の子は、そういうとき友達の家とかに泊まるんじゃないか? パパの部下の家じゃなく」


「家の事情で友達に迷惑とかかけたくないんだ」


「俺はいいのか?」


「ロストは私が来ないと困るでしょうが。

ソファに吐いてそのままってほんとどうなの、大人として?」


「人の家に勝手に入るなら掃除くらいしとけ。

それより、もうそれ食うのやめろ、音が汚ねえ」


「大丈夫、ロストのもあるよ」


 ケイトが差し出したのは上部が広くなった円筒型の紙パックで、耳元で振ってみると中で軽い固形物が動く音がした。

 虫でも入っているみたいな音だ。

 台所の隅に向かって紙パックを放り投げると、ケイトはそれが落ちるまで目で追ってから食べるのを再開した。


「そんなの見てても面白くないだろ」


 ロストはスーツの上着をソファに放り投げ、台所で立ったまま非常食のパックを開ける。食欲はない。

 よく考えてみると最近はずっとだ。いつも上から押し込むみたいに食べている。


「うん。レディが綺麗だから見てるだけ。私も髪、あんな色にしようかな」


「あれ、地毛じゃねえぞ」


「え、ウソ。普段はどんな色なの、ていうかロストはそれ見たことあるの?」


 たかが髪色のことで興奮気味にまくしたてるケイトを無視して、トウモロコシの色をしたパフみたいな非常食を囓る。

 水を入れて食べる表示に気づいたのは口に入れた後で、舌が痛い。

 水代わりにウイスキーで流し込もうと思ったが、出しっぱなしにしておいた瓶が見あたらない。


「おい、ここに置いといたのどうした?」


「隠した」


「何で?」


「ロストは飲み過ぎだって前にお父さんが言ってた」


 そう言いながら画面を見続けているケイトのどこかぼんやりした横顔は、ロストの飲酒量など気にしてもいない。

 どう見ても自分のことで頭が一杯だ。どんなに賢くても子供だ。

 面倒だから自分から言い出すまでは放っておく。


「金髪だよ。色が薄くて強い光が当たると頭の形が透けてな、禿げてるみたいに見える。そう言うとめっちゃ怒るけどな」


「それ本当? 見たことあるの?」


「ある」


 強烈なフックももらった。

 真偽を天秤にかけるかのように、ケイトはエディナとロストの顔を交互に見る。

 目の周りを年輪のように囲む表情筋が収縮して彼女の青い瞳の光を広げたり絞ったりする動きが、頭の中で繰り広げられている議論に連動しているみたいだ。


「ロストはさ、レディの手伝いをしてるんだよね?」


 ほらきた。

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