第11話

 ロアは書類を広げて手で押さえ、添付された写真に目を走らせる。


「見覚えはないな。何した?」


「あんたのケツに穴開けたやつだ。エジプト軍で使われてたリムの操作に慣れてた」


「元兵士か……だとしたらお前らのほうが詳しいだろ。

下手すりゃ、どっかのCVに所属してっかもな」


「あるいはこいつらの目的が武器の密売じゃなかったのかも」


 口をついて出た冗談みたいにして訊いてみたが、ロアは書類の男の情報を読み取るのに集中していてほとんど聞いていなかった。

 その様子を見ただけでも、ロアが今回の事態を把握できていないのは明白だ。


 ロストは書類をつまんで引っ張り、無理矢理注意をひく。


「なあ、おい、マイノスはどう思ってんだ?

これ、あいつとやり合おうってのが出てきたんじゃないか?」


「よせよ。マイノスはちゃんとした大人さ。

ガキがでっかい玩具振り回したって何てことない」


「大人なら振り回す前に取り上げろよ」


「だからレディが『運送屋』を潰すのに乗ったろ。

なあ、おい、あんまカリカリすんなって。考えすぎだ」


 ロアの呆れたような口調はマイノスの話題を嫌っていて、それ以上は追求できそうもない。

 ロストとはときには利害が対立することもある立場だ。

 組織内部の現状を詳しく話してくれるはずもない。


 ロストはアプローチを変え、書類の写真の一つ、緑の妖精に指を置く。


「ああ、それな、俺も気になったが、見覚えはないな。

元兵士なら部隊章とかじゃないのか」


「妖精なんて不吉なもん、使うかよ」


「まったくだ。このへんで縄張り争ってるガキどももそうさ、おばあちゃんから貰ったお守りみたいなの入れてる。

いかつい連中ってのは、ほんとやることが女々しいよなあ」


 ロストは立ち上がりながら肩の上で指を回す。


「あんたもだろ、いかつくはないけどな」


「これは張り替えた皮膚のしるしだよ。もう帰っちまうのかい?

あまりものでよければ何か作るぜ」


「飯は食ってきた」


 嘘をついて書類をポケットに戻し、コーヒー代の紙幣を一枚、小気味よい音をさせて置く。


 現金での支払いが可能なのは夜だけだが、ロアはそういう支払いを好んだ。

 本物の酒、本物の女、本物の音楽。

 何世紀にも渡って男を支え続けてきた事実とプライドが『キャッシュ』の商品だとロアは信じていて、だから対価も本物の金だ。


 情報以外やりとりする気のない相手だからこそ、その信念に好意を示して友人としての側面を印象づける。

 互いに利用価値があるということと友情は、少なくとも二人には同じ意味だ。


 レディの制圧現場とロストが行った倉庫、二つの場所に緑の妖精がいたことはまだ伏せておくのももちろん友情だ。


 キャッシュから出ると大勢の声が集まって意味をなさない騒音が最上層から降ってきていた。

 夜が近づき、全ての色が反転するみたいに一瞬で街が表情を変えてしまう前に、ロストは襟の内側からイヤーピースを引っ張り出して耳に挿した。

 ドギー、とだけ言えば繋がる。


「どうだった?」


 ドギーの声は明らかに文章を書きながらで、上の空だ。


「たいした話は聞けなかったな。ロアのほうでもまだ状況を確認中って感じだ。

ただ、『運送屋』がつるんだ武器の取引相手が人を寄越してたらしい」


 想定していた内容の報告には返事もない。


「そんでさ、俺は思うんだが、あのでっかいのはマイノスに向けるつもりだったんじゃないか」


「まさか。マイノスはシステムそのものだ。

銃でどうにかなる相手じゃないのは誰でも知ってる」


「言い方は違うけど、ロアも同意見」

 

「あいつの話はするな。バーバラを潰しやがって」


「花でも贈れよ、歌詞カードつけて」


 ドギーが深呼吸するための六秒間を、ロストは方向を見定めるために使う。

 本社に戻るには中途半端な時間だ。


「戻ってくるんだろ」


「いや、それよりレディが捕まえた連中、レッド・ブランチのほうにいるのか?

あのリムを操作してたやつに話を聞きたい」


「ああ、お前も聞いたのか、耳が早いな。そいつのとこならムラサメが行ったぞ」


「ムラサメが何の用があるんだよ」


 ドギーが半分笑いながら机を万年筆でこつこつと叩く。


「いや、あの話だろ? 尋問中に妖精のタトゥーが飛び去ったって。

ムラサメが大喜びで見に行ったよ。ま、尋問官は薬物検査とカウンセリングだな」


「倉庫にも妖精がいた」


「おい、お前はしらふだったろ」


「お前が薬物検査受けろよ。まだ抜けてねえのか?

肝臓に入れた虫、全滅してんのか?

妖精のタトゥーだよ。倉庫でも同じタトゥー入れてるのがいた。運送屋がよこしたってのはそいつらかも」


「わかった、俺が行く。戻らないなら閉めていくが、どうする?」


「ああ、俺はこのまま帰る。あ、ムラサメにシュークリーム買ってくんの忘れるな」


「約束したのはお前だろ」


「シュークリーム売ってるとこなんて知らねえよ。ペットショップとか?」


「わかった、そっちも俺が行く。だがな、ロスト。優しくするなら責任を持て」


「急に説教すんな、気持ちわりい」


 通信を切り、歩きながら飛び去った妖精について考えていた。


 妖精のタトゥーが組織の構成員であることを示すものであったとして、それに手の込んだ仕掛けをする理由で一番考えられるのは、タトゥーが情報や場所のアクセスコードになっている可能性だ。


 倉庫で殺した男の遺体は残っていない。そんなもの残さない。

 だが、勝手に消えてしまうような特殊なタトゥーなら、それを肌に刻むのに特殊な技術が必要だ。飛び去った妖精はまだ追える。


 考え事をしている間に足が止まっていて、ロストの足下から光の蝶が舞い上がり、黒いスーツの表面を上下に揺れながら飛んでいた。

 カジノ街に入ると様々な映像が近くのカジノに誘う。見上げれば、窓が蝶の形になったバタフライ・ホテル。

 ロストに群がる蝶が増えて、歩かないと覆い尽くされてしまいそうだ。


 こんな街だと、本物の妖精が飛んでいても、きっと誰も気づかないだろう。

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