第7話
イス・ウォーターの本社ビルは第四階層にある。
互いに牽制しあうかのように丸みのない威圧的な風貌を突きつけ合うオフィス・ビルの集まる一角。
窓が城壁の石組みの柄になった正方形のビルが三棟連結したビルがある。
通称は『キャッスル』
レッド・ブランチの社屋はその管轄区である第三階層にあり、ほとんどの隊員もパトロールなどの任務がないときはそこにいる。
だが、ロストの所属する『調整班』は親会社であるイス・ウォーターの広報キャンペーンとの連携も深く、本社に出社することが多い。
白樺や柊の木が植えられ、木製のベンチが囲み、珍しくて観光客が見に来るくらいの小鳥が放し飼いにされている中央ロビーから繋がる三棟のビル。
その中央の七階にある都市事業部がロストの目的地だ。
エレベーターはガラス張りで外には水が流れ、滝の中を上がっていくアトラクションにでも乗っている気分だが、楽しくはない。
死亡事故の事後処理のための出社で気分がいいわけがない。
都市事業部のフロアに壁はほとんどない。
仕切られた個人作業用のフリースペースが散らばっているが、一定の間隔で配置された円卓にそれぞれのパッドを持ち寄って仕事をしている社員のほうが多い。
踏むと砂浜のような感触のサンド・マットにほとんど足跡を残さずに、ロストは人のいないほうへ、誰の目にもつかないうちに調整班の部屋へと消える。
目が合えば挨拶する相手くらいはいるが、コミュニケーションが上手くいかなかった気まずさが残るから、仕事で必要ない限り顔を合わせたくない。
不自然に壁が曲がっていて、外壁との間に無理矢理空間を作ったような部屋が調整班の事務室だ。
社内で隠れて喫煙していた連中を密告して手に入れた。
業務上、電子データにはしたくない紙の書類も多く、室内で焼却しても火災探知機が作動しない。
室内には立っても座っても作業できるように調節できる机が三角形に配置され、ドギーは腰痛が気になりだして以来、立って書いている。
今日も一番乗りで、娘から贈られた万年筆の先をしきりに舐めながら手紙を書いている。デスクの前のパネルに表示された文面指導に従いながら。
昨日からあまり寝ていないのだろう、焼け焦げた肉が冷めたみたいな体臭を口の中で感じる。
「俺たちは行かなくていいぞ」
「結局、何人死んだ?」
「二人だ。一人が身内で、同僚が制服着て行ってくれる。
友達が多いやつで助かったよ。いや、それだけいい人が死んだってことになるのか」
「残された女が美人なんだよ」
ロストはネクタイを首から引き抜いて壁際に積まれた段ボールの上に投げる。
黒スーツで来て損した。共用テーブルに積まれた書類をムラサメの机に移動させてから自分の机に腰掛ける。
「ネクタイはしとけ──」
ドギーが万年筆をロストに向け、それから段ボールの上で輪っかになったネクタイを見る。
「──と言おうと思ったんだがな」
「何でだ? クズのほうは死んだからって弔問には行かんだろ」
「レディが降りてくるかもしれない」
「来ねえよ。こういうことがあるってのは、向こうだってわかってる」
「今年に入って二人目だ。去年がゼロだったことを考えると、俺たちの調整不足が疑われるのも当然だろう」
「気にしすぎだ。原因は調整じゃなく情報の不足だぜ。昨日のありゃなんだよ」
唐突に、勢いよくドアが開いた音で気の小さいドギーの背筋が伸び、机が揺れてロストの机に乗っていた赤いボールが転がり落ちる。
猫とカモノハシが汽車に乗るわけのわからない歌を歌いながらムラサメが入ってきて、フロアで仕事をしている社員が振り向くくらいの声で挨拶した。
「観ました? 素敵だったなー、レディ。視聴数はぶっちぎり。拡散速度も過去最速でしたよ」
「そりゃライブであんだけ派手に吹っ飛ばされりゃな」
ムラサメの身長はドギーより少し低いくらいで、細長い手足と女性らしい膨らみなどほとんどない身体はスマートというより貧弱だ。
長い鼻筋と、外側に向かって整然と並ぶまつげに縁取られた鋭角的な目はあまり表情を作らず、ブラッド・オレンジの口紅を塗った唇の興奮した動きと合わない。
長袖のジャケットとタイトスカートという格好で、髪色はジャケットと揃えてダーク・ブルーだ。
自分が女性形だと知ってから伸ばし始めた髪は背中まで届き、光の輪ができるくらい磨かれている。ドギーが女性の髪は神が与えた冠だと教えたからだ。
「違います。ライブにこだわるレディの姿勢がどんどん厚い支持を得ているんです。
加工できる映像なんかに価値はないっていうレディの主張は正しい。
イス・ウォーターも認めたから広報アドバイザーとして契約したんじゃないですか」
「まあ、二年でビッグ4入りだ。実際、レディに意見できる人は本社にもそういないだろう」
ドギーが嬉しそうに言いながら眼鏡を指で擦るのを見て、ロストは足下に転がっていたボールを拾い上げる。
「どうせ週間でアホライズに負ける。いつものことだ。
レディのはインパクトはあるが、飽きられるのも早い。事実に基づいたフィクションってあたりが一番受けがいいのさ」
「それ昨日、俺が……」
ボールを顔にぶつけられたドギーを見て笑い、ムラサメは指を一本立てる。
「今回は別。見ててください。今回こそあのインチキ覆面ヒーローからトップの座を奪いますから」
バレリーナみたいに回りながらムラサメはロストの前を通り過ぎて自分の机に向かい、机に積まれた書類の山に気づくと鼻歌が止まった。
「ロストも仕事してくださいよ。字、一番綺麗なんだから」
「しょうがねえ、手伝ってやるよ」
「いや、それもとからお前の仕事だ」
ロストの机は窓を背にしていて、正面のパネルは海。いつもイルカが泳いでいる。カウンセラーが言うには攻撃性を抑制してくれるらしい。
椅子の背もたれを倒してイルカを足蹴にし、書類をまとめていたペーパークリップを背後に放り投げる。
レディの行動によって死傷した相手のリストだ。
障害を持つもの、幼い子供がいるものなど社会的弱者の要素を持つ相手は情報を書き換える。
もしも親族に地位のある人間がいたら、別にして詳しく調査する必要がある。
レディに対して訴訟を起こしそうなら事前に交渉、親族の犯罪者を恥に思っているなら取引の材料としてストックしておく。
重傷者と死者の査定するのがロストの主な役割だ。
複雑骨折、筋肉の断裂、視力の極低下。簡単に署名を入れて机に投げ出した足の右側に置く。
身体機能は完全に回復しないかもしれないが、日常に戻れる程度の負傷は幸運の右側だ。
肋骨の粉砕、肺の損傷、腎臓の圧壊。不運の左側。
内臓の入れ替えや骨の新築の可能性があると、裁判の結果次第では会社側から治療費を補助しなければならなくて、経理が嫌がる。
福祉関連はAI算出では体裁が悪く、ヒューマン・ファクターが大切になるから。
「知るか、ボケ。たまには働け」
まだ言われてもいない苦情に言い返していた。
脇腹が痛み始める。熱い泥がこびりついたみたいに途切れない痛みがまだ残っていて、イルカに靴底を押しつけ、背中を反らせる。
死亡したのは十七歳の少年。
頭骨骨折、脳挫傷。
徹甲弾を撃った後、風車みたいに回転させられていたやつだ。子供ではない年齢だが、子供扱いできる年齢でもある。
レディを批判し、評判に傷をつけようとする連中は必ず目をつけるだろう。
幸い、少年の顎は砕けながら鼻の下まで入り込んでいて、顔の再構築は難しい。
あらかじめストックしておいた身元不明死体の遺伝子と入れ替えることで少年は消える。
「おいドギー、このサックス吹き、使っちゃっていいよな?」
ドギーが手紙から目を上げ、ロストが掲げた遺伝子情報のカードを一瞥する。事務的な確認。
「まだあったのか。構わんよ、使ってくれ」
身元不明死体を見つけてくるのはドギーの仕事だ。
刑事をしていたころの知り合いがレッド・ブランチにいて『都合』してくれるというが、誰かは教えてくれない。
見つけ方はドギーの秘密で、さすがに作ってはいないとロストは考えている。
カードを書類に押しつけるだけで、冷たくなったサックスを抱えて死んでいた不法移民が少年の遺体に張り付く。
まるで死者の身体から抜ける最後の吐息のように、ロストの口から空気が漏れ出た。
今日の仕事はこれで終わりにしたい。
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