第4話
高速言語に慣れたところで急に普通に喋られると耳が痛い。
耳の奥まで太い指を突っ込まれているみたいだ。
耳はまだムラサメのものだが、彼女はもう一言も喋らない。疲れている。
ロストは耳を押さえて頭を振り、警戒しながら倉庫に入ってきたたドギーに手を挙げて合図する。
彼は合図を返すというより、見ないでくれと頼むように手で顔を隠した。
最初に白いブロックを見てから嫌な予感はした。
ドギーは上半身裸の男が座っていたテーブルに近づき、顔のフィルムをはぎ取る。
ロストは舌打ちしようとしたが、顎がきつく押さえられていて口が動かせない。ドギーが前屈みになり、ナイフで削った粉を鼻腔の内側に指でこすりつけるのを黙って見ているしかない。
動画に撮って娘に送りつけてやろうかと思う。
題名は『パパのお仕事』。
すでに崩壊している家庭に一撃を加えても面白くもない。
周囲を見回してみると二階に繋がる階段はドアで塞がれ、南京錠で施錠してあった。
低い位置に手が通るほどの小窓が取り付けられている。
ドアに歩み寄りながらクリーム色のカーテンを引っ張ると、脳波が示されたモニターに細長いメモリスティックが何本か突き刺してあった。
人の視覚データを編集する機材だ。
崩れたケースの下に倒れている上半身裸の男の頭を軽く蹴って髪を上げると、皮膚を被せてあるが、こめかみから後頭部にかけてスリットが入っている。
ムラサメがドアの向こうに心音があると告げるとドギーが顔を上げ、同時に小窓が下りた。
ドギーの目は泳いでいるものの、まだ状況を把握できているようで、ナイフを持ってドアの前に立つ。
ロストは一歩下がって銃をドアに向けた。
ドギーが南京錠をナイフの柄で叩き壊し、ロストがドアを蹴って開ける。
薄暗い階段に倉庫内を照らす強い照明が入り、膝を抱えて階段に座っている少女を浮かび上がらせる。
服を身につけていないせいで、彼女はぼんやりとした光に包まれているように見えた。
半透明の皮膚の下に筋肉とそれを包む毛細血管が赤と白の根を張って、手足の形にまとまっている。
歯並びはよくはないが、薄桃色の唇が浮かんでいて綺麗だ。
長くて白い髪は光が当たると青く輝き、彼女の半透明の皮膚の上を魚の映像が泳いでいるみたいだった。
胸や腰には強く掴まれた手形や歯形が紫の薄い膜になって皮膚のすぐ裏に張り付いている。
瞼がほぼ透明だから、ずっと見開いているような緑の瞳がドギーの顔に向けられている。
ロストは自分の顔の鼻にあたる部分をつまんで引っ張る。
空気の抜ける音がしてビニールの焦げた臭いがフィルムと顔の間に充満する。
片方の耳から通信機を抜き取ると、倉庫内の温度を保つための空調の音が耳鳴りかと思うくらいうるさくて、頭が痛くなってくる。
「大丈夫、助けに来たよ。もう大丈夫」
ドギーが少女の前で屈んでスーツの上着を脱ぐと、ドギーの体格か服を脱いだことに対してか、少女は怯えて身を固くした。
ドギーは何度も大丈夫と囁きながら、拾った子猫をくるむみたいに上着で少女の身体を包み、触れるか触れないかの力加減で抱擁した。
少女が冷たくてドギーは小さく震え、ロストを見上げる。
泣いている少女の側でどうしていいかわからずに、一緒に泣くしかできない子供。
「上を見てくる」
ロストは二人の横をすり抜けて階段を上がる。
ムラサメの警告がないから、上に誰もいないのはわかっている。
二人に聞こえるように足音をたてて肩越しに振り返ると、吸い込んだビニールの焦げた臭いが胸の中を掻きむしった。
ドギーが顔を上げ、恐怖と哀願で目のすぼんだ頬の垂れた犬、彼が可愛がっている喉まで涎まみれの犬のような顔で何かを訴えていた。
必死に、まだ白い粉のついた鼻孔を震わせて、ロストしか知らない魔法でもあるみたいに。
少女が不審に思わないように、一瞬でも不安を感じないように、ロストは足を止めずに少女の後頭部に銃弾を撃ち込んだ。
犬の表情は読めない。
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