第3話

「ニャーが一匹」


 あえて通常の言語でまったくいらない情報を挟んでくるのは嫌がらせのつもりだろう。あとでバカなフェイの頭を踏んでやろう。

 猫みたいに。


 左手の階段の壁は切れ目なく続き、ヒヨコの建物を囲む塀と繋がっている。

 塀の向こうは整地されていない斜面と灌木。


 階段の下の狭い路地は他の民家が建ち並ぶ通りに伸びていて、避難民用のバラックを解体して組み直した民家が背を向けている。


 発電機やエアコンの室外機だらけでうるさく、明かりもほとんどなかった。

 一人、路地を歩いている人間がいたが、すぐに心音が消える。外回りの仕事だ。


 もともと飲料メーカーの使う倉庫で、奥行きの長い建物は天井も高く、事務所として使われていた二階が屋根の真ん中に突き出ている。

 高い位置に小さな換気窓がいくつかあるが、どれも閉じていて壁も防音されているのか音が漏れてこない。


 閉まっているシャッターは搬入口で、その脇に人が出入りするためのドアがある。合板の薄いドアだが、音が深く沈んで黒く見える。

 見た目よりずっと頑丈で重い。


 スーツのポケットから鍵穴に入る二本の細い棒がついた手のひらサイズのドライバーを取り出す。

 鍵穴に差して持ち手についたモーターを動かせば、勝手に鍵を壊してくれる。

 電子ロックには役に立たないが、あえて前時代的なセキュリティを使うような連中相手には便利だ。


 最悪は回避できた。

 右手の銃を胸の前で構え、左手でドアを押し開けるとすぐ目の前にペットボトルのケースが積み上げられ、ロストの身長と同じくらいの壁になっていた。


 倉庫の中がほとんど仕切られていないと射線の通る全ての相手から銃撃される。マウスピースを鳴らし、内部の構造と人員の配置を探った。


 ムラサメに言ったことのほとんどはロストにも当てはまる。


 ロストもどこに行っても役立たずと言われた。

 持っていたIDから、疫病の発生時に支援物資を届けに来た人道支援団体の一員だとわかったが、母国ではすでにロストは死んでいた。遺体つきで。


 記憶も金もなく、仕事の段取りも把握できず、コミュニケーションは取れない。

 誰かに指示されなければ便所にも行けない役立たず。


 目の前の二人のうち、一人は入口に背を向けていた。

 もう一人はケースの側で手に持ったバインダーに挟んだ紙にペンを走らせている。一人が数え、一人が書き込む。


 その二人は無視して、シャッターの内側に置かれた長いテーブルに白いブロックを並べていた男を右手の銃で撃つ。

 ドアが開いた瞬間から銃に手を伸ばしていた。

 最初の二人は左手でポケットから取り出したもう一丁の銃で撃つ。


 狙うのは顔面。

 胸の皮膚には防弾繊維を編み込んでいるやつもいる。

 頻繁に動かす顔面の皮膚には細工しにくいし、細工すれば皮膚に艶がなくなって引きつるから目立つ。

 だから顔面を撃つといい。記憶をなくしても覚えていたこと。


 銃弾内部には隙間が作ってあり、着弾の衝撃で砕ける。

 二人の顔は内側からめくれ上がるみたいに破砕し、赤黒く咲いた花の下から歯を剥き出しにした下顎が雄しべのように突き出る。

 記憶をなくしても見慣れていたこと。


 高速言語への反応が異常だった。

 ムラサメの話によると、ドギーへの指示より倍以上の速度で発声しているらしい。ロストはそれを聞き取るのではなく、映像に近いイメージを頭の中に構築できた。


 他にはない才能だとドギーは言った。

 役立たずなんかじゃない、と。


 無理に二階を造ったのか、思ったより天井が低く、鉄骨と灰色の防火素材が剥き出しで柱がない。

 ペットボトルのケースが身長より高く積まれているのが三カ所。

 フォークリフトが一台ある。


 建物の一角を仕切るクリーム色のカーテンの向こうで、侵入者に気づいた六人がサブマシンガンを持ち出す。

 それ以外は散らばっているが、呼吸と心音から位置を特定できた。


 ケースの側で倒れた二人のほうへ歩いてケースの後ろに回り込むと、テーブル側にいる二人からは遮蔽を取れる。


 テーブル側にいる一人が息を止めたと警告。

 ほぼ同時にマウスピースを鳴らし、銃を構えて射撃体勢に入った男の姿勢を捉える。

 最初の射撃に反応し、ロストに気づいて動きを目で追っていた男だ。


 一歩、ケースから離れる。

 破裂したペットボトルから飛び散った水で濡れるのが嫌だ。


 銃身より長い弾倉のついた男のマシンピストルから放たれた銃弾はプラスチックのケースを破壊し、ペットボトルを散乱させる。

 崩れるケースの隙間に銃を差し込み、ムラサメの指示通りの角度に銃を傾けて人差し指を絞る。


 次のケースの壁に移動しながら、つま先がなくなって踵だけになった右足を抱えて倒れ込む男の頭頂部を撃つ。


 ムラサメの音への感覚も万能ではない。

 重なる発砲音、足音、怒号、乱れる呼吸、コンクリートの床に落ちるペットボトル。脅威の選別が難しくなり、情報量も増える。


 絶え間なく流れる高速言語と飛び散った水滴とが、激しい雨となって視界を灰色に塗り潰していく。

 そうなると目を閉じてしまってもいいような、奇妙な感覚に陥る。

 ムラサメの声が引き延ばされた一音にしか聞こえなくなって、見えているものが現在ではなく、記憶の再生のように感じて、次に起こることを知っている。


 頭頂部を撃たれた男の後ろに、緑色の妖精をスキンヘッドにペイントした男が屈んでいる。

 彼が撃った銃弾を仰け反って避けると弾道を辿って撃ち返し、妖精を四散させてから次のケースの壁に隠れる。


 クリーム色のカーテンの前に丸いテーブルがあり、ペットボトルのケースを椅子にして座っている男がいた。

 上半身は裸で、それでも暑いのか汗で背中が光っている。

 テーブルの上には白いブロックとそれを削ったナイフ。


 汗まみれの男が左右に揺れる瞳をロストに向け、ナイフを掴む。


 クリーム色のカーテンが開き、サブマシンガンで武装した六人が飛び出す。

 彼らの横にあるフォークリフトの、上がったリフト部分に弾を撃ち込み、破裂した弾の破片を彼らの顔に浴びせてマウスピースを鳴らす。


 リフトを撃った銃をそのまま地面に落とし、上半身裸の男がロストの胸に向かって突き出したナイフを、腰をひねって避ける。

 手首を掴むと関節まで汗まみれで、フィルムを纏った手が吸い付く。


 ロストが掴んでいるのに、冷たい感触が手首を締め付ける。

 音がなく、手や顔の感触がほとんどない中で目に映る映像だけを見ていると、ときどき見えている身体の感触が混乱する。


 茶色の髪に細い顎、無精髭風に手入れされた髭が俳優みたいで、赤ん坊の肌のように赤みのある上半身は細身で適度の筋肉がついている。

 皮膚に防弾繊維を編み込んではいない。

 ナイフを突き出して伸びきった腕の下、肋骨の間に銃口を差し込むように突き上げ、肝臓のすぐ側で発砲した。


 俳優の肩越しに、フォークリフトの横で顔に弾の破片を浴びて立ち止まった男たちが見えた。

 サブマシンガンを構える彼らの顔の側面が次々に弾け飛ぶ。


 ムラサメが彼らの正確な位置を壁の向こうのドギーに伝え、高い窓から手だけ差し入れたドギーが順番に撃った。


 高圧で空気を入れられたように腹部を膨らませた俳優を肩で押してケースの壁に突き飛ばし、壁を崩す。

 ドギーのために射角を広げてやると、高窓の斜め上からの射撃に、長いテーブルの向こう側にいる男たちは身を低くして隠れる。


 白いブロックから切り出した岩塩のような塊と、糸鋸、量りが置いてある作業台の影に四人。


 ロストは壁を伝って死角から回り込み、四人の側面に移動する。

 高窓や崩れたケースに向かって発砲している二人は後。


 ドギーの射撃の合間にサブマシンガンを拾いに行くタイミングを計っている男と、彼らの背後にある別の出口から外に出ようとしていた男の顔面を順番に撃つ。

 飛び散った血が手にかかり、熱湯でも浴びせられたように振り向いた残りの二人に一発ずつ。


「お疲れ様でした」

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