第2話

「もしかして私のこと、話してました?」


 不意に耳元で、気配さえ感じられるくらい近くで、ガラスの共振みたいに耳の奥をくすぐる声がする。

 耳の後ろに挟んだ通信機が体温と同じくらいに温まっていた。


「話してないよ。お前こそ、勝手に聞くな」


「聞こえてきたから声をかけたのに、返事しなかったでしょう。

もしかして届いてなかったんですか? ロストはほんとに親和性が低いんですね」


「低いのはお前への信頼だよ。AIなんぞに人の仕事は勤まらんって話だ」


「ほら、やっぱり私の話だ」


 ドギーがロストの肩を小突いて戒める。妹をいじめてる長男に注意する父親みたいでいらつく。


「ムラサメはAIじゃなくてFAI(フェイ)だろ。頼りになる仲間だ」


「ほんとに? 心からそう思ってます? ロストも?」


 ドギーが二の腕をつねるから、ロストももちろんだとうなずくしかない。


「俺に心ってものがまだあればな」


「それってジョーク?」


「やや自虐的な」


「笑ってもいい?」


「どうぞ」


「ハハハ」


 ロストはシートに背中を押しつけて笑うのを堪え、ダッシュボードを蹴りつける。ドギーは迷惑そうにロストの足を払いのけ、耳を叩いて通信を遮断した。


「あんまりからかうな。まだこっちに慣れていないんだ」


「面白い連中だぜ。向こうとこっちの境目が曖昧ってのマジか」


「少なくとも、レディが拾ったときは空気の感触に混乱して皮膚を剥がしてた」


「そいつはひでえ。今のあいつでずいぶんまともになったってことか。

いや、おい今なんつった? レディが拾ってきたのか?」


「何かのCMの撮影現場で見つけて、可愛いって連れてきたらしい」


「皮膚、剥がしてるのが? 何、考えてんのかね、うちのお姫様は」


「役に立ってるのは事実だ。来てくれて感謝してるよ」


 ドギーはロストに渡したのと同じ紙袋を開けていて、ロストも捻って閉じてあるだけの袋を開く。

 中には石灰でできたみたいな、手のひらより少し大きいくらいの銃が二丁とマウスピースが入っている。


 銃は銃口と排気口が空いているだけで弾倉を交換する機構もないが、消音器が内蔵され、成形炸薬薬莢の弾丸をほぼ無反動で撃てる。

 二人分、プリントするのに五分くらいしかかからない。


 ロストは左右のポケットに一丁ずつ、銃をしまう。


「何発入ってる?」


「十二……いや、十かな。まあ、前と同じ設定だ。前の設定はお前だよな?」


「前の設定もお前だよ、しっかりしろよ。途中で足りなくなったら、てめえんとこのワンちゃん蹴り殺すぞ」


「足りる。二十人もいないはずだ。いないよな?」


 ドギーが通信を再開してごまかすと、ムラサメが待ち構えていたみたいに深いため息を聞かせてきた。


「人間はね。それ以外については私は知りません」


「すねてる、すねてる。お前ら感情あるっていうけど、本当にあるのと、あるように振る舞ってるだけなのと見分けられんだろ」


「こっちに応援は?」


 ドギーがロストの挑発に声を被せて聞こえないようにする。いじましい努力だ。


「監視カメラは潰れてます、管理AIもクスリ漬け。

あとはいつも通り私たちだけ。みんな明日の準備で忙しいんですよ。

なんなら私も抜けて二人きりにしてあげましょうか」


「抜けて何すんだ? どこ行ったって役立たずって言われるくせに。

あ、俺たちの役に立ってるって意味じゃないぞ」


「教会に行ってロストのバイタルサインが消えるのをお祈りしますよ」


「つったって、お前らのことは神様も知らんしなあ。え、誰? て感じ」


「ひどい、そんな言い方ってない。

ロストの人でなし、ろくでなし、記憶なくして心もなくしちゃったんだ。

ほんとに死んじゃえ」


 耳元で、大音量で泣きわめくムラサメをドギーが宥めているうちに、ロストはマウスピースを口に入れ、奥歯で噛んだときに出る音を確認しておく。

 拍子木を一回、短く打ち鳴らすような音が顎の骨を震わせると、音に合わせて肩の筋肉が張り詰める。


 記憶をなくして心をなくしても、身体が覚えた動きは忘れない。

 涎と一緒にマウスピースを口から抜き取り、袖で拭う。


「お前な、いい加減にしろよ。ムラサメを泣かせてからでないと仕事できんのか?」


「泣いてない」


 きっぱりと否定するムラサメを鼻で笑う。

 ロストが車から出るとドギーも重そうに自分の身体を車内から引っ張り出し、ロストに正方形の手ぬぐいくらいの大きさのフィルムを渡す。


「教えてやってんのさ。口の悪さと人の善悪は関係ないってな。

猫なで声で優しいこと言うやつは、フェイを犯すか殺すかしか考えてねえ」


「ドギーだ」


「なんで人でなしの言うことを信じる」


「だって……ロストって嘘言う知能がなさそうだし」


「いつまでも喋ってんじゃねえぞ、アホども。緊張感もてよ」


 ロストはうんざりした口調で言い、ドギーに壁のほうへ行くように指す。


「こっちは暗視きれかけだ、外回り頼む」


「了解」


 ドギーがフィルムを顔面に被せて後頭部まで引き延ばすと、顔は凹凸のない肌色の平面になる。

 目も鼻も髪もない風船頭。下品な連中にはたんにスキンと呼ばれている。


「俺が入る。ムラサメ、耳、持ってけ」


 マウスピースを口に含み、ロストもフィルムで顔を覆う。

 真っ暗になると同時に音も消える。

 口も鼻も覆われている息苦しさに頭が熱くなり、口を動かして喘ぐと自分のものではない息づかいが聞こえてくる。


 赤ん坊に指を握らせて喜んでいる母親のように静かで優しい呼吸だ。

 どんな状況でも心拍数を一定に保ってくれるムラサメの呼吸。


 呼吸を落ちつかせて頭が冷えてくるとフィルムを貼った手のひらから感覚が消え、顔に当たる空気も手で感じる気温もなくなった。

 目に映る景色がモニター越しの遠い世界になり、そこにいるのは見知らぬ誰かだ。世界の手がかりを求めてマウスピースを嚼んで鳴らす。


 すぐにムラサメが反響音を捉えて周囲の地形や潜んでいる生物がいないか教えてくれる。


 電子の世界で生まれたムラサメの操る高速言語は含まれる情報の密度が違う。

 一言、お母さんと言う間にその人生を語り尽くすくらい早くて聞き取れない。

 だが、ロストたちは他の音や感覚が遮断された状態になると不思議と頭に入ってくる。聞き取れるのではなく、見えてくる。

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