第3話 海が好き!

 竜之介である。

 いや、私がである。


 海っていいですよね。泳げるし、波に乗れるし、魚が釣れるし、イカが釣れるし、タコも釣れるし、貝だってとれる。

 私が生まれ、高校卒業まで過ごした長崎県の西海市という所は、海に囲まれておりました。まあ、長崎のほとんどが海に囲まれているのですが。

 いつかはね、帰るのかなと思ってはいたのです。

 で、前回、もう一方のエッセイに書いてあるからとリンクだけ貼りましたが、こちらにも書いた方がやっぱり親切ですよね。

 と、いうことで、Uターンを考え始めた頃のことから、なかなかUターンも難しいと感じ、そんなところに行くのかい? ってなったところまでを書きましょうね。


 海なし県、奈良での生活に未来が見えなくなった私。

 いや、奈良は良い所です。

 特に私の住む王寺町という人口二万の小さな町は、某不動産情報誌が独自の調査方法で発表した「街の住みここちランキング2020」では全国一位になったほどです。

 ただ、海がない。海まで遠い。町中雪丸だらけ。

 あ、雪丸は聖徳太子の愛犬らしいですが、私は聖徳太子に愛犬がいたということ自体信じておりません。

 とにかく、私にとってはベストな居住地ではないと判断した奈良。

 住めば都とも言いますし、私にとって奈良は正に都になるも、遷都する時期が来たということですね。


 三年前に広島から転居するときも、候補地はそう多くありませんでした。

 広島の中に留まるか、長崎に戻るか、新天地を求めるか。

 いまはもう、新天地という選択はありません。帰郷一択です。


 さて、長崎に行くとして、何が必要でしょう?

 住む場所と定職ですね。

 といいますか、定職に就ける環境を求めて移住するわけですから、まず仕事第一です。

 ですが、普通に働くことを諦めている私です。(正確には過去形で『でした』)

 方法を探すうちに、国の制度、自治体の制度で、新規に漁業に携わる人に向けた補助制度を見つけました。

 漁業指導者に支払うお金と、研修者に支払うお金を国や自治体が補助する(負担する)というもの。

 毎月設定された最低操業日数を越えなければいけない。また、研修終了後、指定年数漁業に従事しなければならない。などなど、細々した条件もありましたが、魅力的な制度に見えました。

 研修している間に資金を溜め、独立する準備をする。そして、自由気ままに漁師として操業し、たまにテキストを打つ。遊漁船を兼業しても楽しそう、とかね。


 そして、昨年。ちょうど西九州新幹線新幹線が開通する一日前。空ではブルーインパルスがイベントの予行演習飛行を行うという日。私は長崎県庁を訪ねました。

 事前にもらっていた長崎での漁業に関するパンフレット。それに書かれていた情報を指さしつつ、「実際はもうちょっと厳しい状況ですが」という係の言葉。

 それは大丈夫。想定内ですから。

「それに、命の危険も伴う仕事でもあります」

 はいはい、承知していますよ。

 さて、私は超前向きにその制度を利用して、海の男になるつもりで奈良からはるばる長崎県庁まで行ったわけですが、そんなに話が早く進むものではなく。

「どこのエリアで操業するか。漁協に受け入れ態勢が整っているか。その漁協と、漁協のある自治体との調整が必要です」

 あーはーん。


 さて、私が最初に訪ねたのは、故郷の自治体と漁協。

 それがいつだったかなぁ。11月? かな?

 自治体の漁業振興担当者と共に、漁協へ。

 そして、サクッと受け入れを断られる。

 キーになったのは、漁業従事者の高齢化と、研修期間。

 高齢化が進んでいるからこそ、新規従事者を募集する制度では? と思いました?

 正にそうなのですが、高齢化が過ぎるってことです。

 八十過ぎた人に、二年間の研修が受け入れますかって話。

 漁協の人も言葉を選ばず「二年のうちに死ぬかもしれん」と言っていたほど。

 さらに、仮に受け入れたとして、現状の燃料高騰と漁獲量減少、卸値の下落。そのトリプルパンチの中、専業で食っていくのは無理ってことなんですね。

 こっちが「それでもチャレンジしたい」と言っても、漁協はその責任を負う勇気がない。

「老後に年金もらいながら楽しむのなら薦めるけどね」

 だってさ。


 まあ、でもそれは私の故郷の漁協での話。お隣の漁協ならまたちょっと違うかも。

 ……。

 一緒だった。一緒だったよ。もう、そっちは電話の時点で断られた。

「対馬とかならまだなんとかいけるかも……」

 なんて県の人から言われたけど、それも「かも」であり、対馬はあまりに遠い。ほぼ韓国でありますよ。


 それでも一度長崎に向いた心は、簡単に海なし県には戻ってきません。

 自分で間違いなく分かっていることは、受けるストレスは長崎が少なく、発散できるストレスは長崎の方が多い、ということ。海って大きいな。色々な意味で。


 仕方がない、とりあえず他に働ける道がないか探してみるか。

 と、安全な実家近く(最悪親の脛が齧られる)で「勤め先」を探したところ、実家から徒歩圏内で、障害者雇用で募集している介護付き有料老人ホームを発見。介護系の資格は持っていないけど、それでもできる仕事があるようで。

 そして面接の前に一度見学においで、と採用担当者に言われ、また長崎に。

 これが十二月? 記憶が曖昧。

 まあね、言ってしまえば随分と下に見られていました。採用担当者がアレでは、働いたとしても先が見えます。

 実家を離れて、都市部で仕事を探した方が良さそうです。


 私は実家から佐世保市の高校に通っていましたが、現在では公共交通機関の便が悪く(嗚呼押し寄せる人口減少と高齢化の波!)なっていて、実家から佐世保市内に通勤するのは厳しい。交通費もかかる。通勤時間もかかる。

 それなら、佐世保市内で市営住宅でも借りた方が良さそう。

 佐世保なら、住むエリアの近くで必ず働き口があるはず。多少のストレスは我慢するしかないけど。


 ああ、当初の予定から少しずつ逸脱し、自分に厳しい道になって来たよ。

 でも自立して生きるにはしょうがないでしょ?

 それを容易にやってのけている世の人々は本当に凄いなあ。なんて思うことが多くなりつつ、自分の道を慎重に選ぶ日々。


 さて、佐世保市では年に四回、市営住宅の抽選が行われます。それ以外でも、前回抽選時に応募のなかった物件は常時募集物件として、いつでも申込できます。

 当然ながら、人気のある物件は常時募集されていないので、直近の抽選を待ちました。

 それが今年一月。運命の出会いですね。

 佐世保市に含まれてはいますが、五島列島の最北部に位置する宇久島の住宅に空きがでていたのです。

 高校時代、二年上の仲の良い先輩に宇久島出身の人がいました。残念ながら名前は憶えていません。なぜなら、あだ名が「宇久ちゃん」だったから。

 宇久ちゃん本人もそう呼ばれるのを誇っているように、「宇久島は最高」と何度聞かされたことか。そんな宇久島に住めるかもしれない。


 しかし、仕事はあるのか?

 あんな過疎化が進んでいるであろう島に。

 ポンコツな私にできるような仕事が。


 ……あった。

 っていうか、なに、このメガソーラー事業って?


 ★次回「宇久島に見つけた仕事と居場所」

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